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ヨガ哲学が日常にどう生きるのか

哲学とか瞑想とか、抽象的で概念的でふわふわしたものは、学んでどうなるのか、やってどうなるのか、具体的に何に役立つのか、ということが伝えにくいです。数々の哲学書、瞑想指南書を読み漁っている私ですが、皆、あの手この手で伝えようと頑張っています。

というわけで、私も挑戦。
まずはヨガ哲学。


私が伝えているヨガ哲学は、「オンザマット(マットの上)」と「オフザマット(マットの外)」という概念です。マットの上で学んだヨガを、オフザマット=日常でいかしましょう、という実践哲学です。

ヨガをしていると、マットの上での自分の心の状態がわかるようになります。例えば、

  • 隣の人と自分を比べてしまう:体の特性は人それぞれ。隣の人の出来不出来に左右されずに、自分と向き合う。人と比較する無意味さに気づく。ポーズが上達したときは、「私は周りよりできている」という傲慢さがでてきたら、それにも気が付くこと。

  • 自分がやりたいポーズをとってしまう:ある程度できるようになってくると、講師の声が聞こえなくなり、我流でポーズをとってしまう。(ケガや妊娠など、自分の身体的特性にあわせる、という調整はここでは例外)「私はもっと強度を上げられる」という奔放さ、傲慢さがでるときもある。または、このポーズはこう、という固定観念が出る場合もある。余計な固定観念をもつと、そこからはもう視野が広がらない。

  • 理想のポーズを目指して、自分の身体を無視してしまう:身体を壊す人は実はインストラクターに多い。インストラクターはポーズの完成度や理想を、一般の人以上に目指すから。インストラクターたるもの、こうでなければならない、に苦しむ人も。身体の声を無視する代償が確実にくる。

  • 自分の身体の特性を受け入れない:身体の特性は人それぞれ。柔軟な体を持つ人もいれば、軸の強さを持つ人もいる。自分の個性や特性を大事にする。その違いを楽しめているか、尊重できているか。


大事なのは、自分を俯瞰して、自分の身体と呼吸と心がどういう状態になっているかを、しっかり観察して把握すること。心と身体がポーズをとることをちゃんと喜んでいるか。ただの苦行になっていないか。傲慢さや固定概念が出ていないか。


このくらいシンプルに深く、そして素直に自分にフォーカスしていたら、余計なことは一切考えなくなる。その状態こそが、呼吸が深く、リラックスしていて、自分の最大の価値発揮ができるとき。オンザマットのこの状態を、そのままオフザマット=日常にもっていくことができると、ヨガを哲学的に生かすことができます。自分をこの状態にもっていくと、自分の目標達成にフォーカスするから、下手に周りに振り回されなくなります。その過程では、俯瞰癖がついて、「ああ、いまは自分は傲慢な心の状態になっているな」「疲れてるんだな」「無理をしているんだな」「心が喜んでいるな」、ということが、人のことを見るように感じられるようになります。自分のことを、自分で観察しているような感覚です。

少し瞑想をかじったことがある方なら、お分かりと思いますが、これは瞑想と全く同じ脳の働きです。

瞑想編に続く。



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