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死生観を夫に語る

買い物で少し遠くに出かけた帰り道、私の更年期障害の話から、乳がんの経過や再発リスク、友人知人の再発事情などの話になった。

5年の経過観察でいったん卒業となるが、5年経たずに再発してしまうこともあるし、何もないまま一生を終える人もいる。10年以上経って安心していたところで、また闘病生活となることもある。だから正直、あれこれ考えても仕方ない、という気持ちだ。もちろん再発リスクが上がるような行動は出来るだけ控えたいと思っているけれど、そこでがんじがらめになってしまうと、逆にストレスで病気を招いてしまう気がするからだ。

そもそも私は、死ぬことをあまり怖いと思っていないのだ。私が怖いのは、死ぬまでの過程の苦しみであって、死ぬこと自体を怖いと思っていない。もともと長生きしたいという欲がないのもあるけれど、今50代になって、やりたいことを結構やっている実感があることがひとつの要因かもしれない。正直大変な人生ではあったと思うし、今だってやりたいこと全部やっているかというと、もちろんそんなことはなくて、色々な問題も抱えているわけだけれど。それでも割といい感じに生きているのではないかと思う。

もしかしたら、あまり長生きすると、人生の大変なターンがまた何回も回ってくるからなぁ…と思っている節があるのかもしれない(これは夫には言わなかったけれど・笑)。家族がこの世を去るとなったら、もちろん私は悲しいし寂しいし、その人のいない人生を思って怖くなるかもしれない。でも、自分に関してはそういう気持ちがほぼないのだ。

父が僧侶で、ご先祖様に手を合わせるという習慣を幼いころから持っていることも影響しているかもしれない。死んでなお、自分のことを思い出してくれる人がいる、と信じられることは、大きな支えになっているだろう。

そんな風なので、さらっとなんでもないことのように死生観を語ったのだけれど、夫はだいぶ難しい顔をしていた。そりゃあ、2年前にがん摘出手術をした妻が、自分の死についてなんでもないことのように語っているわけだ、だいぶデリカシーのないことをしてしまったと、今になってちょっと反省。でもそういうことを言葉にして共有しておくことは、きっと大切なことだと思う。

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