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1年前の今日

ふとGoogleカレンダーを遡ってみたら、1年前の今日はスペシャルな日だった。
紙の手帳だったら、きっと色ペンで囲ってシールを貼って、ごてごてにデコレーションしただろう。

放射線治療の最終日だった。

放射線の主治医の説明では、4日以上間をあけてしまうとふりだしに戻ってしまうから、とにかく感染に気をつけて、とのことだった。
数年前だったらまた別の注意事項があったのかもしれないが、とにかくコロナウイルスに感染したら病院の建物に入れなくなってしまうから、と。

毎日治療のために通院するのは、思いのほか負担だったし、治療の副作用も辛かった。肌がすっかり火傷状態になって、ちょっと擦れるだけで痛くてたまらなかったし(それでも私の肌の状態は軽い方だったようだ)、疲れやすくていつも怠かった。
唯一、全部終わったら娘と2人で旅行に行こうと計画をしていたので、それだけを楽しみに、メンタル低めではあったけれど、なんとか保たれてる感じだった。

そんな中、同じ病気で闘病していた友人が彼方に行ってしまい、こんな治療をしても、どうせ再発してしまうんじゃないか…と虚しさにとらわれてしまった時期もあった。
看護師さんが待ち時間に話を聞いてくださり、同じ病気といってもみんなひとりひとり状況は違うんだからね、と支えていただいて何とか乗り切ったけれど、このグリーフは今でも結構大きいまま抱えている。

それでも、ホルモン剤を使えなかった私は、この放射線治療が最後の治療だったので、その後の定期診察以外は卒業。
だから1年前の今日はすごく嬉しい気持ちになるんだろうと思っていたのだけれど、実際迎えてみたら抜け殻のような、本当にこれで終わりでいいのかと不安なような、でももう毎日病院に通う生活は終わりなんだという解放感とで、想像以上に複雑な気持ちだったのを覚えている。

1年経った今、傷の痛みは相変わらず残っているものの、概ね元の生活に戻っているし、出会えた人や学んだことも多く、これをキャンサーギフトというのかもしれないとは思う。
とはいえ、やっぱり経験しないで済むのならしたくないことだし、身近な人も知らないままでいてほしいと思うのだ。

私の気持ちはどうであれ、私は経験したのだし、体の一部を失った。
けれど受け取ったものもたくさんあるのだし、失ったものや抱えた不安もすべてそれは私の一部として、新しい私として、生きていこうと思う。

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