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ノートはリスの木の実と同じ

学生時代を振り返って、時々ひとりで笑ってしまうこと。

試験前になると、ノート集めで大わらわになる。今はどうなのかわからないが、私が学生の頃は、出席を取らない、いわゆる試験一発勝負の講義というものがあった。講義を聴くかどうかは学生にゆだねられ、聴いても聴かなくても試験さえクリアしたら単位をあげるよ、ということだ。教師にとってみれば、その講義のゴールが達成できればいいわけで、その過程の講義の部分は人数が少ない方が楽だし(そう思っていたかどうかはわからないが、私ならそう思う・笑)、合理的だ。

遊びたい盛りの学生にとっては、こういう講義は当然出席しないつもりで取るケースが多い。出席している人が取ってくれたノートさえ入手できれば(場合によっては教授の書いた高価なテキストを購入しさえすれば)、試験も資料持込可だったりするので、どうにかなるのだ。だからその見通しだけつけて、試験準備をする頃までは忘れている。

さて、そろそろノートを集めなければ、という時期。大体入手ルートというものがあって、どこからともなくコピーのコピーのコピーくらいが回ってくるので、普段の人脈作りが重要になる。早めに入手できれば、安心してしっかり勉強しなければいけない授業の試験準備に充てられるので、とりあえずノート集めの目星だけつけていく。
そしてめでたく目星が付くと、それで安心するのだ。実際ノートを借りたら、急いでコピーをして、それで準備はほぼ完了。コピーしただけでもう勉強したつもりになってしまう。

そして試験直前になって、ノート見ておかなきゃ!と開いてみると…思った以上に内容が濃くて幅広くて、いやいや、これじゃどこに何が書いてあるか把握しきれないよ!と焦ることになるのだ。テキストも同様で、過去問があっても、その回答はどこを見たら書けるのかがわからない。いやいや、これ、もっと早く見なきゃダメなやつだったでしょ!と焦ってももう遅いわけで、他の講義の試験準備もそこそこに、慌てて読み込むことになるのだ。

これってリスの木の実と似てるよなぁ、と思い出す度に思う。せっせと溜め込んで、安心して、しまい込んでしまう。そしてずっと見ない。いざという時になって、リスの場合は場所を忘れて探し回ったりするのだけれど、ノートの場合はしまった場所は忘れていないが、回答するのに必要な箇所を探し回ることになる。とにかく、溜め込んで安心するところがそっくりだ。(溜め込んで、というか、リスの場合は貯め込んでいるのかも)

もっと言うと、収集癖、というものもちょっと似てるなと思う。私の場合、棚に並んだ好きなアーティストのライブDVDや、レコーダーの中に録りだめたテレビ番組のリストを見ると、それを思い出す。一度も見ていないものがどれだけあることか…いつでも見られるという安心感。いつでも見られる、は、いつまでも見ない、なのかもしれない。
冬の間に見つければ食べるリスと並べたら、リスに失礼かも?

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