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九州に行くという願い⑤


今日は最後の検証。

九州に行けない理由その④
事故への不安

これは、この記事の後半で書いたけど


怖がらない
不安に思わない


これしかないと思った。


不安は乗ることでしか解消できないし
事故が起こらないという確証はない。

怖がる気持ちはわたしの本能で
その気持ちにとらわれてしまうと
走ってて楽しくない。


楽しい時って
体の力は抜けてるんだと思う。


想像してみて!


楽しい時に
歯を食いしばってたり
体こわばってたりする?

きっと心が広がるような
指先まで弛緩したような
そんな状態になっていないかな?

その状態をキープできるように
今、走っていることを
全力で楽しむしか
事故への不安を消すことは
できないんだと思う。

そう思うようになった。


そして、最後の⑤
周りの理解

仕事はなんとか段取りをつけて
何人もにお願いをして
いなくても回るようにできた。

ボランティアの方は
1人思うところがありそうな人がいたけど
意を決してその人にも事情を話し
(それに対しては何の反応もなかったけど)
留守を頼んでみた。

わたしの両親にも話をした。

途中、実家に寄って
泊まらせてほしいと話すと
むしろ嬉しそうな様子だった。

夫もこどもたちも大丈夫だし
「これでもう大丈夫」と
義理の母に九州行きを話した。


「九州にバイクで行こうと思っています」

『え?おかあさんは反対だな。
 だって心配だもの。
 家族は反対してないの?』

「してません
 子どもたちも行って来なと
 言ってくれています」

『ご実家は?』

「反対してません」

『とにかくわたしは反対だな。
 だって高速は危ないでしょ。
 九州行きたいなら飛行機で行ったら?
 バイク積んで運んでもらえないの?』

「引越し業者は運べるかもしれませんけど…」


飛行機で行ったり
バイクをトラックで運んだら
意味ないんだけど。

九州に《バイクに乗って》行きたいんだけど。


まさかの反対!!


青天の霹靂とはこういうことを言うのか。

お義母さんが反対!?
実の母は反対してないのに?


わたしの両親はなぜ反対しないのか
ひと晩考えてみた。


結論から言うと

(わたしは)言っても聞かないから。笑


わたしは、自分を心配する声には
全く耳を傾けないから。


またいつかゆっくり
書きたいと思ってるけど…

『気をつけて』という言葉が
ずっと嫌いで

絶対言わせない

と心に決めて
親に言う機会を与えなかった。


どうして言われたくなかったのか?


ずっと考えていて
ようやくわかったことがある。


わたしの身を案じる(ことができる)人を
わたし自身が選んでいるのだということ


言い換えると
わたしの身を案じるか案じないかは
わたしに決定権があって
勝手に案じることは許さないと
強く思っていたこと。


おかしいでしょう。
誰かがわたしのことを心配しているのに
それを拒否するなんて。

でも、その気持ちは
義母に対してもすぐに現れた。


心配?あなたが?


人によっては不思議な
理解できない感覚かもしれない。

とにかく
義母からの言葉で
初めに思った感覚はそれで
その次に、理性がわたしをなだめた。


普通は心配するもんなんだよ。
他人でもね。


一方で
嫁なんて他人だろ!って思う。

そんな自分をなだめる。

そんな葛藤でひと晩を過ごした。



どうやってわかってもらおうか。


反対する人を押し切って
行くことはできない。


不安に思うのは
旅の詳細がわからないからかもしれない。

そう思い
ルート表を出力した。


話しかけるタイミングがわからない。


どうしよう。
いつ、説得しようか。


実は、この後フェリーのチケットが届き
昨日書いたことが起きていた。


うちで、夫の爆弾発言があり
夫と義母に反対されて
途方に暮れていたのだった。


まずは先に夫を説得し
家事は春休みのバイトとして決着し
手の心配はルートを詳しく説明して
理解してもらえた。

(いや、諦めたと言った方がいいかもしれない)


夫を味方につけてから、義母の説得。


義母に

あなたにわたしの心配をする権利はありません。

とは言えない。


嫁を心配する人は
世の中にたくさんいるんだろう。

だから、それは言えない。


心配していることを受け容れた上で
心配を減らすことに力を注ごう。

最後まで反対されたら
行くのは止めよう。

その時は「行くのは今じゃない」
ということだから。


お彼岸で、お墓参りに行くことになり
お昼を一緒に食べた。

お昼を食べながら
楽しそうに孫たちと話している義母を見て
「この時間を壊すようなことは言えないな」
と説得を断念した。


ギリギリに話して
見切り発車のように出かけたくないから
その後も機会を見て話せるように
ルート表を持ち歩いてのある日。


話すなら今しかない。

という瞬間があった。


その瞬間を逃さず
ためらわずに思い切って
義母に声をかけた。

「お義母さんがこの前心配していたので
 九州に行くルートを持ってきました」

ルート表を渡す。

受け取ってくれた。
お義父さんを呼んでくれた。

2人に話す。

「淡路島から四国に入って九州に行くんです。
 昔、19の時に西日本を一周したんですけど
 それと同じルートを走りたくて。
 四国に友だちがいるんです。
 その時も泊めてくれて
 今回もぜひ来てと言ってくれていて」

ルートを詳しく説明した。

2人は話をさえぎらずに
最後まで聞いてくれた。


『ここまでちゃんとルートを考えてるならね。
 ホテルもちゃんと取ってるみたいだし。
 この前は突然の話でビックリして
 反対しちゃったけど
 ここまで考えてるんなら。ね』

お義父さんに同意を求めてくれた。

お義父さんも口を開く。

『バイクは危ないからな。
 昔、俺もバイクで曲がりきれなくて
 高架から落ちそうになったことがあるから。
 特に山道の下り坂はスピードが出過ぎるから
 エンジンブレーキをよく使って
 ゆっくり安全に走るんだぞ』


お義父さん バイクに乗ってたんだ。


お義父さんがバイクに乗っていたことを
初めて知った。


お義母さんがお義父さんの話に乗って
どこで落ちそうになったの?とか
結局どうなったの?とか
聞いてくれて、話がそちらにそれた。


ひとしきり、お義父さんの武勇伝を聞いて
話もひと段落した頃

『気をつけて行って来るんだよ』
とお義母さんが言った。

お義父さんも横でうなずいている。


許してくれたんだ。


説得…できたんだ!


許してくれたことがありがたくて

「はい」
と頭を下げた。

気をつけて行って来ようと思った。




これで、本当に九州に行ける!


全ての行けない理由が解決したのは
出発の5日前。


ホテルもフェリーも
キャンセルしなくていいんだ。


これで、願いは本当のことになった。


いざ、九州へ。





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