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知ってほしい 教育虐待について



あまり楽しくない話をします。
でも、よかったら読んでほしいです。


 *   *   *


2020年1月8日。


この世界からいなくなるとしたら…

どうしても伝えたいことがある

そう思い
意を決してnoteを投稿した。



それは
教育虐待について。

わたしの子どもの頃の話。



わたしは子どもの頃

現役で
家から通える
国公立大学に受からねばならない

という使命があった。


受かった後のことは
何も言われなかった。


どんな大人になればよいのか
人としてどうあるべきか
何を大切に生きていけばいいのか


普通は
どうやって知るんだろう。

親に教わるものじゃないんだろうか。



どの学部でもよかった。

大学は入るところで
何かを学ぶところだとは
思っていなかった。


ただ
受かればよかった。大学に。

そう感じていた。
親からのプレッシャーで。



前にも書いたけど
100点が当たり前だったから
満点でも褒めてはもらえなかった。

むしろ、99点の時に
『なぜ、この1点が取れない?』
と責められた。


《認められる》
という経験をしたことがなかった。


自分の存在を肯定してもらう
ここにいていいと言ってもらえる


記憶のある小さな頃から
自分の存在を認めてもらったことは
なかった。

今思えば
それが辛かったんだと思う。




2020年1月8日。

noteの世界に足を踏み入れた。


あの時
noteの世界に
自分の思いを手放したから

だから
今のわたしがいる。


2年前のわたし。
えらかったね。

よく勇気を出して
カミングアウトしたよね。


教育虐待のサバイバーなんじゃないかと。


その気持ちは
今でも変わらない。

その気持ちを知るための
心の旅はまだ続いている。


でも、今日は
2年前の自分を褒めたいと思う。




うつ病から立ち直るために
自分の気持ちを手放そうとしたこと

書くことで救われることに
よく気がついたこと(無意識だったけど)

そして
手放した気持ちを
受け止めてくれた人がいたこと



あの時
2年前の1月8日に
初めてスキを押してくれた人

今はnoteの世界にはいない人



たった一つのスキが
わたしの命を救ってくれた。

そのスキのおかげで
今、生きている。


そのことに
感謝をする日。

note記念日。




2021年1月8日。
去年のnote。


続き。


その続き。



日本の受験はおかしいと思う。

答えのない問題を解かせて
思いもしない答えを思いついた人を
合格にしたらいいのに。

妙にひねった
たった一つの決まった答えを
時間内に解くために

中高6年間を
過ごしているようにしか思えない
日本の大学受験。


もっと
世の中の困りごととか
まだ解けていない数式とか
解明できていない事象とか

そういうことを
解き明かすために
必要な頭を作ることに

時間を費やせばいいのに。




「遊ばずに勉強しなさい。」
というお父さんお母さん。

あなたの子どもが
余命数ヶ月でも
同じことを言うでしょうか。

「やりたいことをやりなさい。」
と言いませんか?



「大人になった時、困るから。」
というお父さんお母さん。

どうして大人になれるって
思うんですか?

明日いなくなるかもしれないのに。



「我慢しなさい。」
というお父さんお母さん。

明日、世界が滅ぶとしても
やりたいことを我慢させますか?

明日いなくなるとわかっていても
「我慢しなさい。」って言えますか?



明日も生きてここにいるって
なんで当たり前のように
そう思うんだろう。


明日いないかもしれないのに。



明日いないかもしれない

そう思いながら生きることは
珍しいことなのかもしれないけれど。



でも
隣にいるパートナーだって
目の前にいる我が子だって
明日いないかもしれない。


そう思うと
勉強ができるかどうかより

今日を心残りなく
楽しくワクワクと過ごせたか?の方が
大切なんじゃないのかな?




勉強ができるかできないかが
人の優劣を決めるわけじゃないから。



勉強しなさいって言わないで
子どものことを見守ってほしい。

子どもの話に
耳を傾けてほしい。

楽しい思い出を
たくさん作ってほしい。


子どもは
必要になったら
勝手に勉強始めるから。

だから
おうちを安心できる
居場所にしてあげてほしい。

子どもの一番の味方で
いてあげてほしい。


心から
そう願っています。



全ての子どもたちが
明日を楽しみに
眠ることができますように。





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