難民収容所で折り紙教室


オーストラリアが難民を積極的に受け入れていた事には、インドネシアに近い北部の都市であるダーウィンにもたくさんの難民申請者が送られてきました。人道主義をとっていたオーストラリアが、難民受け入れ断固拒否政策にシフトした当時の状況はこちらの記事 過度の人道主義は犠牲者を増やす|Sachi (note.com) をお読みください。

さて、そのダーウィンに住む私にも、押し寄せてる難民による影響がありました。難民収容所から仕事の依頼があったのです、もちろん仕事内容は折り紙を教えてくれと。

ダーウィンには難民出身者は沢山いますが、しかし収容所なんて強制送還でもされない限り入るチャンスなんてありませんから二つ返事で引き受けました。

その施設はダーウィン市から40キロほど離れた隣の市にある比較的新しい難民収容所です。

Wickham Point detention centre 難民収容所

収容所は半島の突端にあり、施設にたどり着く道には軍の施設と同様の関所が設けられ、要件を伝えて入れてもらいます。施設そのものの入り口には空港のようなX線による荷物検査がありもちろん身体検査も行われます。確かここで電話を預けたような記憶が。。。外部の情報が入らないようにネットは使えないようでした。そして、他の講師の人たちと連れ立って案内されるのですが、金網の上部には有刺鉄線が張り巡らされ、ところどころにライフルを持ったセキュリティがおり、物々しい感じ。

私はアクティビティルームのようなところに案内され、勝手に出て行かない事、一人にならない事、等々の注意を受けました。やはりここは収容所なので何があるか分からないのだな~と感じたものでした。

さて、なぜ難民申請者たちが折り紙をするのかと言えば、アートプログラムの一環として採用されたからの様です。英語や調理、裁縫などの実社会に出てから役に立つ授業の他にも、趣味的な要素のプログラムも多々あって、所内で退屈している収容者たちの気を紛らすのに役立つのでしょうね。

集まった人たちは、クラスにもよりますが20人~50人くらいでした。簡単な折り紙を教えると非常に興味を持って他にも折りたがる人もいれば、適当にやって「参加スタンプ」をもらいたがる人もいました。このスタンプがたまれば、所内のお店で日用品と交換されるのだそうです。つまり折り紙教室に参加することが仕事の一環になっているわけで、収容者の人たちは所内の生活に不平不満を言っていましたが、衣食住あって仕事と言えば英語を勉強したり絵をかいたり折り紙折ることが働いたと換算されるのは良い生活じゃないの?と思ったのですよね実は、、、

ここで少し、難民の待遇についての補足説明をしますと、この施設は増え続ける難民に対応するために2012年に北部準州のダーウィンの隣町、パーマストンに作られました。1500床を有し、施設内にはキッチンや運動するための施設などもあります。

私がちょっと驚いたのは、共有スペースに果物やお菓子、インスタントヌードルが置いてあっていつでも食べられるようになっている事。アーノットブランドのクッキーがクッキーが山盛りに置かれていて、何て贅沢だなと思ったものでした。これはオーストラリア在住の人にはわかると思うですが、Arnott's のクッキーと言うのがミソ。留学生活やワーホリを経験した人ならArnott’sブランドではなく、コールスやウールワース等の安いスーパーマーケットブランドを選択したと言う経験があるのではないかと。それなのに、クッキー食べ放題。

収容所の中の人たちの話を聞くと、平均して3年ほど収容所内に暮らして(中には8年いる!と言う人もいましたが)その後国に返されたり、または難民と認められてオーストラリアに正式入国する人もいます。

実は私は折り紙とは別に、難民申請されて豪州国内での生活を確立しようとする人たち向けの仕事もしたことがあるのですが、その時に感じた疑問が一気に解けた感じでしたのでここで共有を。

難民向けに社会融和を促す政策で、職探しセミナーというのを担当しました。私も外国人として豪州で就職と言う経験をしていますので、履歴書の書き方、ボランティアの重要性、等々を説明するのですが、受講生のやる気のなさ、不平不満の多さにちょっとげんなり。一番困ったのが自国の資格でそのままオーストラリアで働きたい、との主張。「自分はこれこれこういう仕事をしていたので熟練しているんだ!」と主張しても、それを証明するすべはない(オーストラリアは結構資格、学歴重視社会なのです)。ですので、母国の資格を審査してもらうか、または豪州の学校に入って資格を取り直すしかないと説明しても、中々受け入れてくれずに困りましたね。自分の周りに多い、留学から移民として豪州生活になじもうと努力する姿勢とのあまりの違いに驚いたものでした。

また、難民出身者家族向けのイベントにアクセサリー作りを教える為に呼ばれた時には、子供たちの多くがあまりにも好き放題、わがまま放題だったので、一体全体どうなっているんだ?と思っていたのですが、謎が解けました。

難民収容所で甘やかされ過ぎていたのです。3年もの間「上げ膳、据え膳」で、食べるものに困る経験もなく、働くことも無く、とても親切な収容所の人たちが申請者を文字通りお世話する生活が続くのです。収容所の人たちへの態度は私が見た限りでは蝶よ花よのような感じでしたし、「仕事」と言えるようなものは折り紙教室に参加。これでは社会性が失われます。この閉鎖した空間で何年過ごそうとも、退所後に厳しい現実社会で生き抜くすべを身に着けられるはずがないだろうと感じました。

中にいる人たちは、とにかくここから出たい!出してくれ!と。私のような外部から来た人間にまで「私をここから出してください」と懇願されました。彼らは収容所を出てオーストラリアに住むことが出来るようになればバラ色の生活が待っていると言う幻想を抱いているようでしたが、一般のオージーは入管職員のように我慢強い対応を訓練されておらず、間違ったことをすれば怒られるし、英語が話せなければ何も出来ない、仕事どころか暮らすのも大変。

ここで明確ににしておきたいのは、私が辛辣に批判しているのは最近の難民申請者です。こちら(過度の人道主義は犠牲者を増やす|Sachi (note.com))の記事にも書きましたが、命からがら隣国の難民キャンプに逃れていた所を国連とオーストラリアに救われた世代の人たちは前世代の難民たちとは別です。彼らは内戦で学校に行くことが出来なかったので、オーストラリアで学ぶことが出来る事に感謝し、働き、社会貢献しています。最近の「難民船」でやってくる人たちとは全く意識が違うと明らかに感じますね。ほんの少しですが、内部を見る事で難民事情を垣間見ることが出来ました。

さてその難民申請者は収容所スタッフから丁寧に扱われているようだが、例えば暴動などが起こったらどうするんだ?と思われるでしょうが、そこはきちんと役割分担をしているようでした。女神のような優しいスタッフとは違いライフルを持ったセキュリティの人たちはとても強面です。

それからこれはちょうど私が折り紙ワークショップをやっている時に起こったのですが、オーストラリア政府が申請者をナウルに移送すると言う決定をしたと言うニュースが流れ、収容者たちが動揺したために警察官たちがわらわらと入ってきました。武装した警察官たちが座ってお話を聞いてなだめている横で、私はナウル移送に影響のない比較的落ち着いている人たちと端っこで折り紙を折っていたのは良い思い出。折り紙は危険性が無いので、暴動予防のための警察官が入って来てもそのまま続けられたのですが、例えば料理のクラスなどは包丁を使うので中止になっていたのではないでしょうか。

そうそう、難民収容所へ入るための荷物検査の時には、他のインストラクターと雑談をしたのですが、「あなたは良いわね~持ち込むものが紙だけだから申請するものが無い、はさみに包丁等の武器になりそうなものの数を申請しなくてはいけないのよ」「私は針の数を数えて、退出時に数合わせをしなくっちゃいけないのよ!」と愚痴っていました。

私は常々、折り紙はどんなところ、例えば先住民の住む遠隔地の集落や難民収容所にまで自由に出入りできる頼もしい武器だな~と思っていたのですが、改めて感じたのが、折り紙と言うのは誰も傷つける事が無い安全でかつ最強な武器だなと。折り鶴が平和のシンボルと言うのはこういう意味もあるのかなと思った次第です。難民収容所に言ったおかげでますます折り紙の重要性を感じたのでした。

オーストラリアの難民事情を書くつもりがなぜか折り紙は素晴らしいアピールとなってしまいましたね。読んでくださってありがとうございます。海外の事情を知り、日本の難民受け入れについて考えるきっかけとなれば幸いです。




参考資料
New 1,500-bed detention centre for Darwin - ABC News





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