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【朝井リョウ】『正欲』読書ノート

「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクションのことをいう」

とは、かの有名なアインシュタインの言葉だ。

私が今日までせっせと収集してきた常識は「正欲」によって、根本から蹴り倒された。


何ならその後、地獄の業火で焼き払われたと言っても過言ではない。


13歳のときに近眼になった私は、生まれて初めて眼鏡をかけた。


その世界の変貌ぶりに、ひどく困惑したことを今もよく覚えている。


「正欲」を読んだとき、「あのとき」と同じ感覚がした。


——見えすぎて、怖い。

怖いのに、ずっと見続けていたい。


半年前に読んだ本書は、ずっと私に囁き続けた。


『自分はあくまで理解する側だって思ってる奴らが一番嫌いだ』
p338

自分の本音を書くことが、ずっと怖かった。


万人受けする文章を、書いていたかった。


でも、もう書けない。


自分から逃げることはできない。


私は腹をくくった。


今ここに、自分の想いを書き記すこととする。


あらすじ


【第34回柴田錬三郎
賞受賞作】

あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。

息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。

しかしその繋がりは、"多様性を尊重する時代"にとって、
ひどく不都合なものだった――。

「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、
そりゃ気持ちいいよな」

これは共感を呼ぶ傑作か?
目を背けたくなる問題作か?

作家生活10周年記念作品・黒版。
あなたの想像力の外側を行く、気迫の書下ろし長篇。
https://bookmeter.com/books/17638510


感想

朝井リョウの書く文章は、何故こんなにも私の心をえぐるのだろう。


私が普段、脳に抱いている漆黒の感情。


それは、死んでも他人には知られたくない。


隠して、ひた隠しにして、できるだけ言語化しないように努めている思考。


それ目がけてバチリと矢を射抜き、的のど真ん中に当ててくる朝井リョウの言語化。


恐ろしくてたまらない。

——なんで、そんなに私の気持ちがわかるの

「正欲」にちりばめられた言葉の数々は、絶望と同時に希望だった。


これは、特殊性癖を持つ人間たちの物語だ。


私は、それを持っているわけではない。


そのはずなのに、何故こんなにも救われてしまうのだろう。



『幸せの形はそれぞれ。多様性の時代。自分に正直に生きよう。そう言えるのは、本当の自分を明かしたところで、排除されない人たちだけだ』
p212

私は、マジョリティの中のマイノリティだ。


他人に自分のことを告白した時、「可哀想ね」と理解してもらえる側の人間。


だが、そんな言葉では1ミクロンも救われない。


ずっとずっと、そう思っていた。


でも、そんなことを言えるわけもない。


隠して、考えないようにして、見えないフリをしてきたのに。


朝井リョウのせいで、それができなくなった。



——どうしてくれるんだよ



それが私の素直な言葉だ。


『自殺の方法を一度も調べたことのない人の人生は、どんな季節で溢れているのだろう。
生まれ持ったものに疑問を抱くことなく生きていられる人たちの目に、この世界はどんなふうに映っているのだろう』
p212

冷や汗が出た。


私は自殺の方法を調べたことが、ある。


何度も何度も調べてきた。


たまたま、実行しなかっただけだ。


いつ、それをしたとしても不思議ではなかった。


こんなことを、いちいち他人に言うわけがない。



「メンヘラ、マジヤバいからw」


「本当に死にたい奴は、何も言わずに死ぬんだよw」



そう言われることを、知っているからだ。


誰にも言わずに閉じ込めてきた思考を、感情を、朝井リョウは容赦なく暴いてくる。


——怖くて、嬉しい。

最高に黒い顔で、笑っている自分が一番恐ろしい。


ずっと、死にたくてたまらなかった。


やっとのことで「生きていていい」と思えるようになったのだ。


もし、「あのとき」この本を読んでいたら。


——救われたのだろうか?


世の犯罪者達は、その事件を起こすまで何を考えて生きてきたのだろう。


毎日、犯罪を起こすことを考え続けていたのだろうか?


それとも、自分の暗い思想を考えないようにし続けて生きていたのだろうか?


『脳。何をどう感じ、思い、考えても誰にも手出しされないはずの、ただひとつの聖域』

『「あってはならない感情なんて、この世にないんだから」
それはつまり、いてはいけない人なんて、この世にいないということだ』
p346

私は長い間、死にたくてたまらなかった。


毎朝毎朝、目が覚めた瞬間に真っ先に思うことは「死にたい」だった。


その思考を、ひた隠しにして生きてきた。


でも、そう思うことは「悪いこと」なの?



「自殺したい」と考えること。


親を「殺してやりたい」と思うこと。


人は何故それを「悪いこと」だとジャッジするのだろう?


もしも、そのことを他人や医者に話そうものなら。


どうなるかなんて、容易に想像できる。


私が抱いていたのは、一歩間違えば犯罪者扱いされる思考だ。


それを知っているからこそ、私は言わなかった。


言えなかった。



——「死にたい」「殺してやりたい」と願いつつ生きることの、何がいけないんだよ



きっと私は「あのとき」そう叫んでやりたかったのだ。



——人は何を思ってもいい。何を感じてもいい。

それを実行に移しさえしなければ、どんなことを空想しても妄想してもいいんだよ



私は「あのとき」そう誰かに言ってほしかった。


私の中の「あのとき」の自分が喜んでいる。


「ありがとう」と叫んでいる。

『今の自分は、明日を楽しみにしている。
明日、死にたくないと思っている』
P312

これは「今この瞬間の私」だ。

私は今、とても嬉しい。


幸せで、毎日が楽しい。


朝目が覚めた瞬間、「死にたい」と思わないだけだ。


「今日は何しようか?」


そう、考えているだけ。


そう思うだけの日々が、こんなにも愛おしいなんて。



『誰が何をどう思うかは、誰にも操れない』
p345


これは真理だ。


もっと、この考えが広まってほしい。


それだけで、今日と明日を生きてゆける人は増えるのに。



「正欲」はこんな人におすすめ

 

多様性の本質を知りたい人

「多様性」「ダイバーシティ」「LGBTQ」

最近よく聞くこの単語。

この本質をあなたは本当に理解していますか?

ピンとこなかったあなたに「正欲」を。

あなたは、想像もしえなかった世界を目撃することとなるでしょう。


生きづらさを抱えている人

会社や学校、プライベート。

別に嫌いじゃないけど、自分の考えを伝えることが難しい。

生活の端々で生きづらさを感じてしまう。

ひっそり悩んでいるあなたに「正欲」を。

生き延びるためのヒントが、そこかしこにちりばめられています。


人に言えない秘密を抱えている人

誰しも、人には言えない秘密を一つや二つは抱えていますよね。

言えない理由は千差万別。

あれは良くてこれは悪い、なんてものはありません。

共通していることは人には言えない。(言いたくない)

そんなあなたに「正欲」を。

もしかすると、登場人物の中に「あなたの仲間」がいるかもしれません。


おわりに

『一緒にトラウマを乗り越えていきたい?笑わせないでほしい。自分が抱えているものはトラウマなんかではない。理由もきっかけも何もなく、そういう運命のもとに生まれた、ただそれだけのことだ。こうなってしまった自分には何かしらの原因があって、それを吐露する場があれば何かが癒され変化するような次元の話ではない』
p300


言語化することは、静かなるテロであると同時に救済だ。


朝井リョウによって、多様性の概念は覆された。


「正欲」はテロか救済か、それとも?


どう捉えるかは、あなた次第だ。


「正欲」


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