宗教としてのアイドル③(終) アイドルによって救われるなら、もう宗教
現代社会が宗教に求めているものは大まかには「精神の安定」「コミュニティの形成」「人生の意味・目的の提供」が挙げられるでしょう。これは一括りに言えば「救済」になります。
アイドルに限らず「ライブに通う」という経験がある人には上記の三点が理解できるでしょう。ライブで得られる高揚感や、推しとまたお話ししたい・推しが頑張るから自分も頑張ろうと思える人生の意味も得られます。
「精神の安定」に関しては、ことアイドルに関して他二つに重複するので割愛しました。
・コミュニティの形成
これは外部の人にはわかりにくいものです。しかし推し活において、これが大きなウェイトを占めることが多いものです。
個人的な話ですが知人に「アイドルと付き合えるわけじゃないのに何で会いに行ってるの?」とよく聞かれます。こういう時は相手を納得させるための一つの方便として「草野球のようなものだ」と答えるようにしています。
草野球の目的はもちろん野球をプレイすることにありますが、それだけではなく気心知れた仲間と試合後の打ち上げが楽しみな人も多いでしょう。アイドル現場も同様です。ライブ後のオタク同士の打ち上げが楽しくてライブに通う人も少なからずいます(私もその一人です)。極端な話、ライブを見ずに打ち上げだけ来る人すらいます。
宗教とコミュニティの見地から言えば、例えばアメリカにおける仏教寺院が日系移民コミュニティの維持・形成に大きく寄与しているそうです。通常、宗教においては崇拝対象が存在することでコミュニティが形成されますが、アイドルという最大公約数が老いも若きもライブに集める理由になるわけです。
しかしながらそのコミュニティも非常に脆いものです、推しメンの卒業・脱退やグループの解散などの理由によって。アイドル自体、活動期間がバンドやシンガーソングライターの人たちと比べて相対的に長いとは言えないですし。それでも仲良くなったファン同士の繋がりが消えるわけではありません。救済における重要なファクターです。
・人生の意味・目的の提供
俺の推しがいるから明日からも仕事が頑張れる。自担が配信で私の応援してくれたから期末テストにむけて勉強もはかどる。などのケースは多いでしょう。アイドルは他のアーティスト(ミュージシャン、パフォーマー)と比べ、それとして存在することに価値があります。
あえて深くは掘り下げませんが、日常生活はとてもつらいものです。仏教で言われるように人生には生老病死の苦しみがあるそうです。そんな中でライブに行く、配信やダンス動画を観る、楽曲を聴く、ふと推しを思い出す、そういったものを通して、日常の一幕に推しが存在することでの人生の意味が見出さられるのではないでしょうか。
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これまで、アイドルは宗教なのか?という問いに対して書いてきました。総論としてまとめるなら答えはイエスです。そこには演者側とファン側の不断の努力がなければ成立しないことも、そこに救済が存在することも見てきました。
宗教にはカルト的なものを想起させるのでネガティブに捉える向きが多いことは事実です。しかし宗教的外観を呈していないものの方が実は宗教的な本質を備えていることもあります。占いやスピリチュアリズムなどのニューエイジ思想が挙げられます。アイドル文化もそれに含まれるのではないでしょうか。
それが必ずしもポジティブな側面しか持っていないとは決して思いません。宗教とは本質的に不条理な体系です。与えた分の等価交換で欲しいものが得られることの方が実際には少ないものです。科学的、合理的には理解できないことがほとんどのことすらあります。
しかし大事なことして、誰かにとっての推しが見つかったことで人生の意味を見出せるなら、どんな形でも喜ばしいことなのです。少なくとも私はそう信じています。
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