宗教としてのアイドル② 神格化に必要な2つのアプローチ

前回の記事で、アイドルは神格化を通して神になると書きました。では神格化とは何でしょう?

イエス・キリストは神の子として人間の体を持って世に生まれました。これを「受肉」と呼びますが、人の神格化はこの逆の行為です。人が人を神に仕立て上げることです。アイドルの文脈で言うなら、普通の一般人(歌唱やダンスのスキルとは別に)を触れられない存在にする行為です。

ここには表題の通り、2つのアプローチがあります。即ち、「売る側」と「推す側」です。ステージとフロアと言い換えても良いかもしれません。この両極の共犯・共助の関係がアイドルをアイドルたらしめているのです。それぞれ見ていきたいと思います。

売る側(プロデューサー)による神格化

少し離れますが、バンドや歌手など広くパフォーマーと呼ばれる人達とアイドルは何が違うのでしょうか。この境界線は非常に曖昧で、プロモーション側の意向もかなり関わってくるところでもあります。いまやバンドマンやシンガーソングライターもチェキを売りますし、パフォーマーとしての技量が高いアイドルもたくさんいます。なのでこれは個人的意見ですが、アイドルとして売るからアイドルなのだと言えます。例えば声優アイドルはアイドルとして売っていますが、アイドル的な声優はあくまで声優なのであってアイドルではない。実情が同じとしても両者は異なるものです。

一歩踏み込むなら、アイドルとしてデビューしたという事実と存在そのものを商品化しているとも言えます。英語圏ではidolという言広く、人気芸能人を指すそうですが、商業ベースで考えればメディアに出ることが即ち偶像としての価値を持つということなのでしょう。

以後、わかりやすいように仮にこういう女性地下アイドルがいると仮定して話を進めます。元ネタはぜんぶ大乗仏教です。わかる人にはとても笑えると思います。

芸名: シューニャ(本名: 大船 恵 おおふな めぐみ)※サンスクリット語で「空」

年齢: 非公開 (本当は大学2年生)

担当カラー: ダイヤモンドホワイト

グループ名: まーは☆やーな

コンセプト: 見える世界にリセットを、からっぽな心に彩りを。

所属事務所: ブラフマン・ミュージック

プロデューサー: 外場 隆(そとば たかし)

大船 恵という女性は、ブラフマン・ミュージックのアイドルオーディションに参加し見事選ばれ、数ヶ月間、ダンスレッスンなど準備期間を経てシューニャとしてデビューしました。つまり大船さんという人格ではなくシューニャとして世に出たということです。

プロデューサーの外場さんを主語にするなら、彼がグループのコンセプトに合うように大船さんの容姿や歌声などをベースとして、グループのコンセプト、芸名、衣装、あるいは本名など公開しない情報、これら諸々が一般人としての大船さんをアイドルとしてのシューニャの神秘性を高め、シューニャのアイドルとしての価値を高めることにつながります。その神に相応しい神話を書く行為に似ています。

ある人を様々な要素を付加することで商品化し、触れられない神秘的存在として売り出す。これが「売る側」による神格化です。

推す側(ファン)による神格化

シューニャちゃんにこのようなファン(オタク)がいたと仮定します。

オタク名: ルパ (本名: 亀山 実 かめやま みのる)大学3年生、彼女なし
※サンスクリット語で「色」

ルパくんはシューニャちゃん推しのガチ恋オタクです。まーは☆やーなのライブに足繁く通ってら担当の白色のペンライトを振り、終演後にシューニャちゃんとのチェキをたくさん撮るドルオタの鑑です。

ファンという言葉自体、fanatic(狂信的な)という単語に由来するわけですが、ルパ君は原語に近いレベルでシューニャちゃんが大好きです。しかしLINEのIDなど個人情報を聞き出すことは禁止されています。シューニャちゃん側としても、ルパ君のことを良いファンとして見ていますが他にも彼女のファンがいるのでなるべく平等に接しようとします。彼はここに非常にモヤモヤしますが、それでもシューニャちゃんが好きなので今日もライブに行きます。

ルパ君はシューニャちゃんの本名も通っている大学も知りません。彼女の私生活もあくまでInstagramなどで提示された情報でしか知り得ないのです。それでも彼はシューニャを推すという行為を通じて彼女への愛を表現しています。

さて、アイドル界隈においてレギュレーションという言葉はチェキ券の値段と捉えられることが多いです。本来の意味は「規制・規範」になります。レギュレーションは宗教を構成する重要なファクターです。ここで言う規範とは何でしょうか。シューニャちゃんへの強い思いを持ちつつ、運営の指示に従う(特典券を買ってお話しする、個人情報を聞き出さない、直接肌を触れない、など)ことです。例えるなら鶴の恩返しにおいて律儀に戸を開けないということでもあります。

推しメンと直接会って声が聞けてもアイドルでいる限り到達できない。このジレンマがかえってアイドルの神格化に寄与するのです。

整理すると、ファンになる→運営側が提示するレギュレーションに従って応援する→あえて自分から遠い存在に持っていく。これが「推す側」の神格化です。

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ここまで「売る側」「推す側」の2つの視点からアイドルの神格化について見てきました。これは、繰り返しになりますがあくまでプロデューサーとファンの二者による共犯・共助関係に基づくものです。

では、崇拝された神としてのアイドルは何を信者に提供できるのでしょうか。ダンス、歌唱、SNSの更新、特典会での対応、これらを通して何を提供できるのでしょうか。宗教に即して平たく言えばそれは「救済」になるでしょう。

では何がアイドルにおける救済なのか?次の記事で掘り下げたいと思います。

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