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年賀状の思い出☆からの沙々杯☆

冬休み前の国語の授業で年賀状の書き方のセットを
娘が持って帰って来た。
誰に書くのかな?と思う間もなく(笑)、
さっそく大好きな先生に宛てて、
学校の住所へ年賀状を書いていた。

私も小学校の頃そういう授業があったのを思い出す。
一度だけ、父方の祖父母へ年賀状を送ったことがあるから。

幼い頃は、いつも元旦は母方の祖父母の家と決まっていて、
母と祖母がせっせと作ったおせちをテーブルいっぱいに並べ
みんなでわいわい賑やかにいただくのだった。

父方の祖父母の家に行くのは三日になってから。
賑やかさはないけれど、いつも整えられ、花が活けてあり、
正月とは限らずいつでも山の麓にある家には
清らかで静かな空気が漂っているのだった。

というわけで、初めての年賀状は父方の祖父母に送り、
数日後お返しの年賀状が届いた。

その年の干支が印刷されているような、
年賀状だったと思う。
端の方に小さく、祖母からの言葉が添えられていた。

「お父さん、お母さんの言ふことをよく聞きましょう」と。

初めて見る祖母の字。
決して達筆とは言えなかったと思う。
少しゆらいでいるような文字。
父の話では祖母は字が書けるけれど、
離れに住んでいる親類の小屋のおばあちゃんの方は
字が書けないと言っていた気がするから、
祖母が書いた字、書かれている内容、
そして、『言ふこと』という仮名遣い。
何もかもが新鮮で、何度も読み返した。

毎年三日には行くという事もあり、これが最初で最後の年賀状だった。

それが最近、孫と遊んでいるときにたまたま父の字を見て
「あれ?」と思った。
あの時見た祖母の字に似ていると気づく。
そういえば父の字って見たことなかったなぁって。
いつも書類は母が書いているし、
父が何か書く時はたいてい私たちに地図を描く時。
カレンダーの裏を使って、さささっとすばやく地図を描いてくれる。
頼んでなくてもとにかく描いてくれる。
何か、図を描くのが好きなのかもしれない。

父の字は、母が書く堂々とした大きな字とは違う。
決して雑だったり弱弱しいわけではないけれど、
なんだかゆらいでいるような、繊細な字。

そして、
字形の美しさとは関係が無く、
温度を持った字というのは、
その人を感じるものなのかもしれない。

父の字も母の字も、「らしいな」と感じる。

旧かなの賀状の文字にゆらぎかな 季語:賀状
(きゅうかなのがじょうのもじにゆらぎかな)

夜の更くるほど淡き雪明りかな  季語:雪明り
(よのふくるほどあわきゆきあかりかな)

アルベド取る量絶妙の蜜柑かな 季語:蜜柑
(あるべどとるりょうぜつみょうのみかんかな)


沙々杯に参加させていただきます♪

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