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収穫の季節⭐︎

朝や夕方なんかに、

山の方から「ミャー」と大きな声がしたら、

それは孔雀(クジャク)の鳴き声だ。

たしか昔、父に教えてもらった。

祖父母の家に遊びに行くと、いつも山の方から、

その大きな、猫のような鳴き声が聴こえてくる。

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私が一番好きな飲み物は、

紅茶でもコーヒーでもハーブティでもなく、

緑茶だ。

結構コーヒーの記事をあげてきたけど・・・(笑)。


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小さい頃から、渋みの後にくる、甘みが好きだった。

自分でお茶を淹れて飲んでいたし、

兄の友達が遊びに来ると、お茶を淹れるように兄に言われたことも。

そこであの言葉「お茶の葉、ちゃんと換えたか?!」と。

きちんとしたものを出せ! ケチるなよ! という意味。

いつでも当たり前のように家にあったので、茶葉の話や旨味の話とか

そんな難しい話はできないけれど。

ただただ、昔からとても美味しいお茶をいつも飲んでいた。


以前、友達と行った陶芸体験で、

念願だった大きめの湯呑を作った。

先生が、「湯呑にしては大きいかなぁ?」と

言ったけれど、

私は前からずっと、もっとたっぷりお茶が飲める

湯呑が欲しいと思っていた。

だから陶芸をする機会があれば絶対に作ろうと決めていた。

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祖父母の家の目の前には茶畑が広がる。

そこから一番遠くに見える景色は海だ。霞んでよく見えないほど遠くの。

夏休みや冬休みになると、

子どもたちだけで祖父母の家で過ごした。

母と、父方の祖父母の仲があまりよくなかったからだと思う。

夏休みだと1ヶ月はいたはず。

祖父母の家の離れには、祖母の戦死した兄の奥さんがいて、

私たち孫にとっては、二人とも「おばあちゃん」だった。

ただそれだと分かりにくいので、

離れに住んでいるおばあちゃんを「小屋のおばあちゃん」と呼んでいた。

ご飯とお風呂は祖父母の家。

勉強をする時と寝る時は小屋のおばあちゃんの家。


小屋のおばあちゃんの家は、

ちょっと旅館風になっていて、

綺麗な和室が私たち三人の寝室として使われた。

小屋のおばあちゃんは自分だけの小さな寝室に、

どうやって入れたのかと思うくらい大きなベッドが一つ、

そこで一人で寝ていた。

厚みがたっぷりとあるそのベッドや、

部屋のドアにはめ込まれたガラスなんかも素敵で

憧れたけれど、中に入れてもらえたのは1,2回ほど。


夜、三人分の布団を綺麗に敷いてくれると、

「早く寝ないとゴロスケさんが来るよ!」と言い残し、

さっさと自分の寝室に戻っていった。

私たちは見たことのない「ゴロスケさん」に怖がりながらも、

「お楽しみ」には勝てなくて、

おばあちゃんが寝室に戻るのを確認したら、

早々にその丁寧に敷かれた布団を申し訳ないと思いつつもバラバラにし、

「テント」と称して、ふすまに挟んだり、マットを三角にしてみたり、

思い思いにテントらしいものを形作って

そこで眠るのが、いつもの「お楽しみ」だった。

そして時々は「ゴロスケさんとは何か??」を話し合った。


和室のガラス戸の向こうは、

ちょうど旅館にもあるような、窓際の板間があった。

旅館と違うところは、その窓が掃き出し窓になっていて、

夏には窓を開け放ち、目の前の花壇や木々を眺めることができる。

そこに三人分の机が外に向かって並べて置いてあった。

私たちが夏休みや冬休みの宿題をするために

用意してくれたようだ。

姉の机はきっとご近所からもらったのであろう、

子供向けのスチールの学習机。

兄の机は、昔父が使っていたという木製の洋風な机。

そして真ん中に私の、二人よりもだいぶ低い小さめのテーブルに、

祖父が作ったという昔の小学校で使われていたような椅子があった。

よく椅子の枠が緩んでくると、横にして、しっかりと差し込んだ。

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そして、まだ薄暗い朝早くに外に出ると、

「ブーーーーーン」と低く静かに鳴り響く、背の高い扇風機の音がした。

茶畑に霜が降りないように。


祖父母の家の方(母屋というのだろうか)は

昔ながらの土間の広い玄関があり、

少し小上がりなったところに黒電話が置いてあった。

その隣には祖父が裁断機を使って丁寧に切った、チラシの裏紙の

メモ用紙があった。これは私のお絵描きの紙にもなった。

そして黒電話のそばにはいつも、必ず生け花が飾られていた。


その生け花が祖父が飾っていたものだと知ったのはつい最近の事。

最近、父から初めて聞いたのだけど、

祖父は華道の師範だったそう。

とは言えこんな田舎に華道の仕事などないので、

お寺などに呼ばれ、その広間に祖父が花というか、木を

それはそれはダイナミックに、見事に飾っていたそう。

そしてお金ではなく、ご馳走を振舞われるのが常だったそうだ。


祖父がダイナミックに飾ったという生け花。

見てみたかった。

こればかりは全く想像ができない。

黒電話のそばの繊細な生け花しか見たことがなかったけれど、

それは小さな私でも記憶に残るほどの魅力があった。


祖父が亡くなって20年以上経って、知ったこと。

もっと知りたかったな。

歩んできた人生を語るには私は小さすぎたのかな。

でも、その時は分からなかったとしても、聞いておきたかったな。

どんな風な人生だったのか。極めた華道の話も。


祖父は常に「今」の話しか、話してこなかった気がする。

一緒に山道を散歩中、咲いている草花のことや、山道の歩き方。

私も「今」だけしか見ていない、小さな頃。


「今」しか見えていない小さな人の瞳を見れば、

出てくる言葉は「今」だけだったのかもしれない。


そういった「今しかない瞬間」を大事にしていた人だったのだと思う。


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この土地の清々しい空気が好きだ。

山のにおい。土のにおい。

今私が住んでいるのは、海の方。

曇りの日に、どこからか磯の香りがしてくる程度の距離。

だけれど、時々、

よく晴れた朝にだけ、祖父母たちがいた山の方と同じにおいがする。


はっとして、

空を見上げ、遥か遠くの

こちらからは見えないあの山の景色を思い出し、

ほんのひととき、

清々しさに包まれる。

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*この記事は作家きゃらをさんの企画に参加しています*


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