改めて実感する「人間は環境の動物」ということ
アフリカ大陸のウガンダという国に住んでいたことがある。青年海外協力隊という制度(今はJICA海外協力隊というらしい)で2年間派遣されていた2010年1月〜2012年1月の2年間だった。
この1年、ウガンダでの生活を思い出すことがよくある。新型コロナウイルス流行の影響で、家にいることが多くなったり、いわゆる日本国内での娯楽や人とのコミュニケーションを伴う活動が制限されたり、気を使わざるをえないからだと思う。
派遣期間2年間のうち4日間だけウガンダの国外へ行ったけれど、あとはずっとウガンダにいた。毎日公衆衛生や感染症対策、畑での活動をして、休みの日は首都や近隣の街に行ったりして、友人たちに会ったりしていた。それも毎週ではないので、ほとんどは村で生活していた。
私の生活環境は、電気は時々ある程度。止まれば3ヶ月くらい電気がない時期もあった。水道はないので、毎日水汲みに行っていた。幸い、水場は歩いて5分ほどのところにあった。ガスはないので、炭を起こして食事を作っていた。
活動は近隣の村を自転車で回っていた。1日12〜20kmくらいは自転車をこいでいた。村にあるものといえば、家と畑、水汲み場、マンゴーの木、ジャックフルーツの木。
ヤギがたくさんいたので、よくヤギに話を聞いてもらっていた。ニワトリは散歩のように家の前を通りすぎ、牛たちは長〜いロープに繋がれて草をむしゃむしゃ食べていた。ムスリムとクリスチャンが混在していたので、豚は隠れたところで飼われていた。ウガンダには木々がたくさんあるので、サルはたくさんいた。いろんな種類のサルたち!コウモリ...とネズミからはひたすら逃げていた。
村のおばあちゃんにムケーカと呼ばれるゴザの作り方を習ったり、散歩したり、わーきゃー楽しそうな子どもたちと遊んだりしていた。
コンクリートの道...なんてものは村にはないので、雨が降れば、道はドロドロ、ひどい時は土砂が川のように流れていき、外に出るなんてとんでもない状況になる。1日雨が降る日は桶に水をためたりしながら、とにかく家で過ごしていた。活動の計画を立てたり、本を読んだりして過ごした。
休みの時は、日向ぼっこしたり、雨の音を聞いたり、子どもたちにマンゴーを取ってもらったり、みんなでジャックフルーツを食べたりして、お茶を飲んでのんびりしていた。あの当時、本を読む時間や物思いにふけったり、絵を描いたりする時間がたっぷりあった。人生で読書や考え事をする時間がこんなにあるのは貴重かもしれない、と思っていた。
しかしこの認識は少し違ったのだ、と今は思っている。
私の場合、日本にいれば美術展や写真展に足を運ぶのが楽しみで、映画館へ行ったり、用事があれば買い物へ行ったりする。まとまった休みを取って旅行をしたりする。日本でも地域によるけれど一歩街へ出れば、カフェがあり、飲み屋さんやご飯屋さんがあり、魅力的なお店があり、物がたくさんあり、イベントがあちこちで開催される。
Doがあちこちに溢れている。事柄も、物も、情報も、たくさんのDo。このDoが著しく制限されているのが今の生活だ。Doに慣れていると、これが制限された時に苦しくなるのは当たり前のことだと思う。
何が正解かはわからないけれど、今はDoよりBeなのだろう。今あるものに(Be)目を向ける。私がウガンダでの生活で習得したのはBe生活だったのだと思う。時間がたっぷりあったわけではない、状況に順応して生活環境を受け入れ、生活環境に合わせた時間の使い方をしていただけなのだ。ウガンダでの日々で大変だったこととして思い出すのは、言葉や習慣の壁だったり活動のことで、生活の環境面で辛いと思ったことは正直1度もなかった。(六畳ほどの部屋で巨大なネズミが出てどこかに隠れた時は、泣き叫び、同居しているウガンダ人家族に笑われたけれど...)
水がない、じゃあ汲もう。電気がない、じゃあロウソクかランタンか、まあ夜なんだから寝ればいい。雨が降って動けない、雨の音でも聞きながら家でゆっくり過ごそうか、なんなら水が溜まるからすごいラッキー!ガスがないけれど、炭はある、毎日炭を炊いて料理を作っていた。
求めればキリがないけれど、状況をそのまんま受け入れると「問題」というものはほとんど発生しない。
「人間は環境の動物だから環境をよくしないと動かない。」というのは経営者の松本晃さんがカルビー時代、オフィスレイアウトのプロジェクトリーダーに伝えた言葉なのだそうだ。「オフィスは作業場でもなければ、倉庫でもない。オフィスというのは考える場所、人間は環境の動物だから環境をよくしないと動かない、考えることができる環境をつくってくれ、ゴミ箱にするなよ」と。
これは会社内での改革の話だけれど「人間は環境の動物だ」というのは、まさにそうなのだと思う。強い意識で自分の心とうまく付き合っていける人もいるだろう。でも誰でもがそう簡単に意識だけで前を向けるわけではない。意識ではなく、自分を取り巻く環境を変えたり、今ある環境への受け入れ方を変えると心も変わる。できないことや制限されていることに目を向けるよりも、家のお掃除をするでもいい、なるべくストレスがかからない環境に身をおいて過ごす、こっちの方が心地よく生活をしていけるのだろうなぁ。
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