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この線が足に絡む前に

昼下り、家で療養していると急に会議に呼び出された。風邪を押して参加してみれば、賑やかしのパンダ役であった。

この国の学校は校長が複数人いるのが通常らしい。直接教育に携わる人や、管理側の人など、いろいろである。彼らは年代的なものか、おしなべて訛りが強いのが特徴である。

その席でふとしたことから、ある校長から私の語学を馬鹿にされた。細かいことは聞き取れなくても、そういうのは手に取るようにわかってしまう。
他人を貶めることで、自分の評価と場を盛り上げようというよくあるソレである。

校長の取り巻きの人たちは笑っていたけれど、語学関連の教師たちの顔が一様にサッと曇ったのは救いだと言えよう。

このような点も一切合切含めて、このような土地であり、教育機関である。

「ふーん」と思って、バカバカしいくらい重厚で大仰な机の、その下で組んだ足をブラブラさせてみた。

ここで

「悔しい。もっと語学やろ。」

となっても構わないんだけれど、あまりエンジンはかからないな。

「あちら側へいくこと」

「こちら側を見下すこと」

誰かにひかれたこの線は、さっさと消さないと、私もその価値観で生きることになってしまうのではないかしら、と思うからです。

校長の顔は もう忘れた。

アカの他人を気持ちよくさせる飛び道具として子を生み育てる親など、どこにもいやしないのにね。

近頃ちょっと縮んだ気がする両親を思い出して、そんなことを考えたのです。

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