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祖母に聞く80年前の保健のお話①

海外で過ごす初めてのお正月。
ここには餅も蕎麦もないけれど、有難いことに新年はやってきた。

閑話休題。
今、住んでいる地域の公教育には保健や性教育の時間が一切存在しない。
同じ国内でも、都市部では留学経験者の学識を積極的に取り入れ、日本以上に先進的な教育が行われているそうだ。近年後退したと言われる日本での性教育を基準に述べるのも、どうもナンセンスな気がしないでもない。もっとも、何を持って後退というのかも門外漢の私にはよくわからないのである。

話を戻して。
この国では指導項目は各地域に委ねられ、独自に決定していいことになっている。単純に大学入試に不要なものは切り捨てるという方針に加え、最近まで同性愛は犯罪であったこともあり、少なくとも地方においては、まだまだ教育現場への持ち込みは難しいのかもしれない。

留学経験があり比較的視野が広い学生でも、いわゆるLGBTに対する知識は乏しく、まだまだ理解という段階ではないように感じる。
私が日本で留学生の対応をしていた頃のこと。二十歳前後の、この国出身の学生から頻繁にLGBTのカムアウトを受けた。話によると彼らは国内のインターネット上には確かに存在し、そこでの出会いもあるようだ。しかし現実世界ではなかなか難しいものがあるようで、「目の前の無関係な人に、ただ聞いてほしい」という想いを感じた。私は何か言うでもなく、その話に「ふむふむ」とただただ耳を傾けたものであった。

家族が日本の高校で教員をしているが
「教師って彼らの生活の中で、絶対的に無関係な存在だから、そういう相談をしやすいみたいだね」
と言っていた。この辺りは、日本もこの国もあまり変わらないのかもしれない。


半年前、一冊の本を読んだ。
田中ひかる『生理用品の社会史』(KADOKAWA、2019)

 本の中で、日本各地に存在した月経に関する文化が紹介されていた。
たとえば月経小屋。それには様々な種類があるものの、ざっくりと言うと月経中の女性を隔離する小屋のことで、以前は日本各地に存在したとされる。この小屋への考え方も地域によりネガティブなものであったり、ポジティブな物であったりしたそうで、大変興味深く読み進めた。海外でもこの文化は現存しているらしく、国によっては違法である上にその過酷な環境がしばしばニュースにもなっている。

せっかくなので実家に帰省した際に、90代の祖母にあれこれと質問することにした。ちゃんと話を聞くために、男性陣にはアイスを買いに行ってもらった。祖母は訝しがりながらも、台所から雪の宿とルマンドを持ってきくれて、こたつに「よっこい」とおさまった。

今から約80年も前の、田舎の話である。

祖母は当時の地域の状況を踏まえると、教育を受けさせてもらえた方だと思う。裁縫専修学校で師範免許を得ていて、私が小さいときは、着物からキューピー人形に着せるレース糸のドレスまで大体何でも仕立ててくれた。(技術的に作れないものは、孫相手でも「これはばあちゃんには出来ない。講習に行かなきゃだめ。」とキッパリいうところが、職人の血を感じる。)
祖母の母校は名前は変わったものの、今では服飾の専門コースをもつ公立高校になっている。

当時、学校では月経について教わることは全くなかったそうだ。
「誰々はもう来た、誰々はまだ」そんな噂が上級生のお姉さん達の間で飛び交っていたのはなんとなく知っていたそうである。「水泳の時間はたぶん休むことができたと思うけんど、体操はどうだったかわからないよ」その言葉から察するに、その時点だとまだまだ遠い世界の話であったと推察される。

学校でも大っぴらに話されることでもなかった。家にもよるが、祖母の家は家庭内で月経について話すような家ではなかったそうだ。祖母は長女であったし、弟もいて話をできるような環境でもなく、情報は限られていたそうだ。そして、なにより祖母の母は若くして他界してしまっていた。

当時は小学校を卒業すると、近所の製糸場へ働きに行くのが一般的であった。製糸場は「女だらけで、お姉さんたちが教えてくれるずら(=「きっと教えてくれるんでしょう?」の意味)。そういう人は知るのが早かった。でも、ばあちゃんは、なーんにもしらなかった。」とのこと。

浴衣や、白ネルでパンツをチクチク縫った学校生活。
「誰が縫物が上手で、誰が下手で、あの子は先生からいつまでも合格がもらえない」とか、そんな事を話すごく普通の学校生活だったようだ。

しかし学校を卒業する前に戦争がはじまり、学徒動員がかかった。
皆、挺身隊に行くことになった。

もうちょっとだけ。②へつづきます。

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