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ある茶色い犬の記憶

春先に夫の家の犬が旅立った。
「19歳と7ヶ月。」
ぽつりと義父が言った。

その言葉には、『どうだ立派なものだろう』という誇らしさが含まれているように思った。年々、足や目が弱っていったものの、夫やその弟妹たちが帰省したときには気丈に振る舞っていたと聞いた。当人(犬)はどういう想いだったかはわからないが、弱っている姿を見せたくなかったのかもしれない。

よく冷えた日だった。
義理の実家の末娘の就職を見届けるように、とうとう行ってしまった。

煙になって、2月の薄水色の空に溶けて、本当にどこかへ行ってしまった。
休みが不定期な仕事をしている弟妹たちが全員集まって見送った。ここ何年かは正月でも家族全員が揃ったことはない。

帰り道、義理実家の馴染みのレストランで食事をした。狂犬病の予防接種代などの積み立てを使った精進おとしだ。

事情を知った店の主人が、小さな白い小皿を運んで来て、テーブルの空席にコトリと置いた。

「喉が乾いてるかなと思って。」

中には水が入っていた。その飲み水を当人(犬)が飲んだか飲まなかったかはわからないけれど、じんわりとあたたかく染みた。

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2016年の年末、某所にこんな想いを書いていた。
あれから数年が経った。君と一緒に育った弟妹たちは、夢をかなえたよ。お兄ちゃんは今年運転手になったんだよ。子分は店長になるんだって。よかったよね。君はどうしているかな。

結婚って、血のつながらない者が家庭に入ってくる事だよね。
家でこんなふうに悲しいことがあったとき、それは希望になると思うんだ。
そんなことをよく考える世代になったよ。

洗濯機が鳴ったから、また今度ね。

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