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尊厳とゴミ箱

朝、鳥を捨てた。
私の手を離れたそれは、駐車場の片隅にある青いゴミ箱の中にボスンと落ちた。

まな板の上で対峙した時の、閉じた目、ひんやりとした首、脚の感触、教科書通りのお腹の中、手についた臭いがありありと思い出された。

何度もマーケットに行って、言葉に苦労しながらも、はじめて入手した鳥。
帰り道、ビニール袋の上部から飛び出した脚。自分にこんな日が来るとは全く想像していなかった。食べるため、生きるための営みである。

翌日、キッチンでひとり果物ナイフを握り、YouTubeで確認しながら捌いた。終わった時は大仕事を終えた気分であった。

結局、一人では丸鶏を食べきるのは難しく、半分は冷凍したものの、体調不良や仕事に追われているうちに、臭いが出てしまった。

ピンク色の見慣れた肉の姿のそれ。

日本にいた時は、仕事で忙しかったり、外食がはいったりして、腐りかけたトリニクをパックのままポイッと捨てることがよくあった。

私はまだ屠殺の経験はないものの、解体をしてみて、今では「とんでもないことをしてしまっていたな」、と思っている。

感覚が、危ないところだった。

辛いことがあったときや落ち込んだとき、意味を見出したり、あるいは意味を作り出そうとして自分を励ますことがあるのだけれど、これに関しては考えてみても自己弁護以外思い浮かべることができなかった。

もったいないの言葉じゃ足りないな。外では放し飼いの鶏が鳴いている。朝が来る。

心の畑を掘り起こす日々を過ごしている。

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