男はみんな、三國無双か戦国無双は経験してくるもんよな。
というわけで、どーもさぼを。です。
僕めっちゃ、歴史とか好きな人なんですけど、今回はそんなちょっとマニアックな話。
過去の偉人とか、歴史人って沢山面白い話ってあるじゃないですか。
「戦でこんなことしました」
とか
「こんな名言言いました」
とか
そゆの結構好きなタイプです、さぼを。
下手な自己啓発本より、よっぽど歴史人の考え方とかの方が参考になったりすることあるよなー、と日々思ってるタイプです。
そんな僕が、今回ご紹介するのは、
戦国時代の名将「黒田官兵衛」にまつわる話。
ブチギレ親父 官兵衛
黒田官兵衛と言えば、言わずと知れた名将ですね。豊臣政権下では、黒田長政という官兵衛の息子が頑張ってたわけです。
しかし、黒田家は豊臣さんとはとっても仲が悪かったんですよね。
関ヶ原の戦いは、誰もが知る時代の大きな節目の戦いですが、この時は戦国時代で空前の裏切りブーム。
黒田長政をはじめ、小早川秀秋など、たくさんの武将が徳川軍に寝返るわけですが、その仲介役みたいな感じだったのが長政君だったのです。
親父の官兵衛に話を戻しますが、
官兵衛は豊臣政権に、多大な貢献をした知将で、人望も熱い親父でしたが、関ヶ原の前には一線を退き、息子の長政君に主導権をあげちゃってました。
豊臣さんと仲悪いのも、実は親父の時から、、
あまりに黒田官兵衛が優秀だったんで、豊臣さんも怖くて、冷たい待遇をしてたみたいですね。
まあそんなこんなで、関ヶ原の戦いの時は、息子長政君が、徳川軍と一緒に頑張ってました。
その頃、親父は出家してたんですが、お構いなく九州で徳川方として大奮闘してたらしい。
なんとも破天荒で、元気な親父だ…
というだけにとどまらず、現役の頃さながら、九州を平定しちゃったみたいです。
なんなら、このまま本州乗り込んじゃえ!
関ヶ原で、徳川さんも豊臣さんも疲れてるだろから、このまま第二次関ヶ原じゃぁ!
と、バイアグラ飲んでるくらいの勢いだったそうです。
とまあ、3回目のデートの夜ばりに張り切ってたんですが、関ヶ原の戦いがあっという間に終わってしまって、、、。
しかも、功労者は自分の息子長政くん。
「バカ息子が!!」とドクトリーヌのように怒ってたらしいです。
そんなことはつゆ知らず。
息子の長政君はルンルンです。
家康のおじさんにめっちゃ褒めてもらえたし。
褒美も貰えたし、握手までしてもらった!
お父さんになんて報告しよかなー♡
なんて褒めてもらえるかなー♡
ってな感じでお家に戻り、官兵衛お父さんに報告しました。
「関ヶ原めっちゃ頑張ったよ!家康のおじさんに握手までして貰えた!」
するとお父さん、こう言う。
「どっちの手で握手してもらったの?」
意味わかんない息子長政くん。
(え?なに?ちゃんとお尻拭いた手は洗ったし、お一人様の後も手を洗って握手したのに、なに?)
こんな感じだったのかも。
「右手で握手したよ!!」
(お父さんは、そんなに僕の一人遊び事情気になるのかな…。)
ブチギレ官兵衛は一言。
「貴様の左手は何をしていたのだ。」
脳内お花畑な息子とは裏腹に、
頭の中は天下取りでいっぱいの親父は、
その暇してた左手で家康を斬り殺して来ていれば、、我が黒田家が天下じゃぁー!!
と思っていたそうです。
息子はガックリきただろうね。
でもストイックパパの考え本当に嫌いじゃないからとっても好き。
その自信と、今後の行く末を見据えている姿勢を表してるなーと。
そんなエピソードを聞いた家康さんは、
「黒田の親父さんめっちゃこわ!でもすんげぇな。大好き!」
って、まあ太っ腹なこと。
そりゃ天下取りますわ。
ホトトギスが鳴くまで待ったかいがあったね。
さぼを。
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