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「怪物」観たよ!

※映画を観た当日の深夜2時ごろ書いた文章です

 予告編も何もチェックせず、評判だけをフワッと聞いて、よくわからないけど映画館で観た方がよさそうだ、ということで観に行ってきた。スクリーンがシネスコサイズになるときに画面が広がるタイプの劇場でうれしかった。以下全部ネタバレです。内容はめちゃくちゃ掻い摘んでいます、ご容赦ください。

 映画では、一連の出来事の様子が複数の目線から描かれる。最初の主人公は、夫を亡くして小学5年生の息子を一人で育てるシングルマザー。息子が急に髪を切ったり、けがをした状態で一人で鉄道廃墟にいたり、走行中の自動車から突然飛び降りたりするので心配になり問いただすと、息子は「先生に暴力を振るわれている」と告白する。学校で相談するも、定型文の答えばかりを返して頭を下げるだけの教員たち。母親にとっては、なぜか息子に暴力をふるう担任の教師、そして人間味があるとは思えない対応をする学校は得体のしれない怪物のように思える。

 しかし、視点が担任に変わると、彼が生徒と恋人を大切に想う至って普通の、心身ともに健康な青年だということが分かる。担任はクラスでたびたびいじめを受けているような様子の男子生徒・星川を気にかけている。そして、どういうわけかいつもその場に居合わせる生徒・麦野、最初の主人公であるシングルマザーの息子の対応にも手を焼いている。どうしてかわからないが、麦野も星川も担任の身に覚えのない証言ばかりするせいで、担任は学校を去ることになってしまう。担任にとっては、どういうわけか自分を貶めようとする生徒と、学校のために自分を切り捨てようとする他の教員、そして仕事を辞めるきっかけを作った母親・モンスターペアレントこそが怪物だ。

 最後に、視点は少年たちに切り替わる。どちらかというと女の子と仲が良く、いじめられても受け流すばかりの少年・星川。母の望む「男の子」像に窮屈さを感じている麦野は、天真爛漫なように見せて、時折達観したような物言いをする星川に不思議と惹かれていく。反応の薄さにいじめっ子たちがいらだち、星川に対するいじめが激化する一方で、麦野と星川はひっそりと距離を縮めていく。そのことに気が付いているのはおそらく、麦野の隣の席に座り、いつもボーイズラブの本を読んでいる女の子だけだった。

 星川は、廃線になった鉄道跡の近くに打ち捨てられている車両の廃墟に麦野を連れて行く。少年たちにとっては理想の秘密基地で、二人は放課後の長い時間をそこで過ごすようになる。麦野は母親に問い詰められるたびに嘘をついてしまい、その結果担任が職を追われたことに動揺している。一方、「お前は病気だ。普通の人間ではないから、治さないといけない」という考えの父親に、日常的に暴力を振るわれている星川も、少しずつ追い詰められていく。二人は台風が近づく日に家を抜け出して秘密基地へと逃げ込む。そしてその場所で土砂災害が起きてしまう。

 嵐が去り、あたたかい日が差し込む中で、秘密基地である列車から二人が外へ出るシーンで映画は幕を閉じる。二人は日の当たる美しい草むらを幸せそうに駆けていく。自分たちが「怪物」となってしまう狭い世界を抜け出して、二人で――。


 ラストシーンの草むらは廃線の鉄橋へと続いている。本編の途中で映ったときには、鉄橋への道は高さのある鉄柵に阻まれていたが、ラストシーンでは鉄柵ごと取り払われている。つまり二人は土砂災害で死んでしまっており、ラストシーンでは死後の世界が描かれているのだ。本編で何度も母親に「お父さんは生まれ変わったかな?」と尋ねていた麦野。野生の猫の死体を「このままだと生まれ変われないから」と火葬しようとした星川。二人はラストシーンで、生まれ変わっても自分たちが自分たちのままであることを喜び、鉄橋の方へと駆けていく。そしてエンドロールが流れる。

 本編では泣かなかったのに、エンドロールが始まってから終わるまで涙が止まらなくて困った。なんて幸せで救われない終わりだろうか。二人がもっと鈍感だったなら。二人がもっとガキだったなら。二人が出会うのが、せめてあと5年遅ければ。君たちだけじゃない、もっとたくさん仲間はいるのに。誰を好きかなんて、別に大した問題じゃない、と思える日がやってくることだってあるのに。

 急な自分語りになってしまい大変恐縮だが、かくいう私もどちらかといえば同性愛者だ。性的指向は年々やたらと細かく色分けされてきているような気がするが、私の場合、人に説明するときは「たぶんL寄りのB」と言っていることが多い。自分のことなのにフワッとしているのは、私も私自身の性的指向に確信を持てていないからだ。私のお気に入りのコートは、厳密にいえば若竹色とか青磁色という中途半端な緑色をしているのだが、母や妹はいつも「灰色」と言い表す。たぶん私の性的指向も、仮に目で見ることができたならば、そんな感じのなんともいえない中途半端な色をしているんだと思う。

 今思い返せば片鱗は小学生の頃から見え隠れしていたのだが、私ってもしかして女の子が好きなのかも、と初めてはっきりと思ったのは高校二年生のときだった。隠さなきゃ、と思ったり、女の子を好きなること自体に悩んだりしていたのはそこから5年くらいだったと思う。30代を目前に控えた今となっては、ある程度相手を選びはするものの、自分の性的指向を開示することにそこまで抵抗はない。友人の結婚式に出席して感極まる新郎新婦の親御さんを見るたびに「私はこういう場を自分の親に提供できないんだな」とやるせない気持ちにはなるけど、別に死ぬほど困っていたり窮屈さを感じていたり、ということは私の場合は特にない。

 恵まれている、と自分でも思う。たまたま、恋愛とかにそれほど興味を持てない、やや鈍感でマイペースな性格に生まれついた。たまたま、「女らしくありなさい」とうるさく言わない親に育てられた。たまたま、自分が他の人と少し違う性質を持っていることに気付いたころには周り人たちもある程度成熟していた。たまたま、意を決して相談してみたら気持ち悪がらずに親身になってくれる友人がいた。たまたま、趣味を通して自分と似たような価値観の人をたくさん見つけることができた。偶然に偶然を重ねて、たまたま、少数派の性的指向にさほど苦しまない人生を送ってきた。

 だからこそ、ラストシーンが悲しかった。生きていたとしたって、二人は苦しい青年時代を送ることになったかもしれない。母親は成長するほどに、息子に父親のような男らしさを求めただろう。父親に暴力を振るわれ続けるか、あるいは捨てられて親類の間をたらいまわしにされる青年時代になったかもしれない。それでも、もしかしたら「誰を好きになるかなんて、右利きか左利きか、というのと大して変わりのない、ささいな問題だ」と思える日が、二人にもやってきたかもしれない。右利きの人はいいよね、あらゆる道具が右利きの人用に設計されててさ。実は地味に不便なことがいっぱいあるんだよ。とたまに文句を言ってみるくらいの、ささやかな日常を送れる日がやってきたかもしれない。

 靴を両方隠されてしまい、靴下のまま帰り道を歩く星川に、麦野が自分のスニーカーを片方差し出す。お互いに片足だけ靴を履いた、奇妙で不便な状況でも、二人は片足で跳んでみたり、笑ったりしながら楽しそうに道を歩いていく。

 クリーニング屋で働き、毎日しわのよったシャツにアイロンをかける麦野の母親。出版物の誤字脱字を見つけては出版社へはがきを送る趣味を持つ担任。自分の息子は普通じゃないから矯正しなければならないと思い込む星川の父親。もちろん偶然ではないと思うが、本作に出てくる大人たちのほとんどは、汚れた、曲がった、間違ったものを綺麗に、正しい方向に修正しようとする性質を持っている。そのくせ、本当かどうかも分からない噂話を大人たちの間で流布する。

 なんかいい感じに〆たかったけど、どう〆ても説教臭くなってしまいそうでなにも言えなくなってしまった。この感想文のような駄文も、私というまぁまぁがっつり色の付いた色眼鏡を通した感想であって、他の人からしてみれば全然感じ方の違う映画だと思うので、よかったら観てみてほしいです。観たら連絡ください。感想と考察合戦しようぜ。

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