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”生まれて死ぬまでの間に…この10年があってよかった”

ネタバレ注意【獣の奏者】


『自分たちのあいだに起きたことは、熱病のような恋ではなかったと思う。むしろ、ひたひたと滲みていく水のようなもので、枯れかけていた草が水を吸い上げていくように、いつしか互いが互いに滲みこんでしまっていたのだ』

イアルとエリン、この2人が音もなく惹かれ合っていくかの様子は、幼い頃から私の気を無性に引いた。私の”何か”に刺さっている。

私はずっと引っ掛かっていた”何か”について、2人の出会いを順に追っていきながら考えてみることにした


2人の出逢い

2人はカザルム王獣保護場で初めて出逢う。エリンはイアルのことを『冬の木立のような人だと思った』と述べた。
お互いに何か抱え合う大きな暗い部分を感じ合い、似ている部分が惹かれ合う要因になったのではないだろうか。特にエリンは、腹に矢が刺さってでも盾として真王を守るイアルに、縛られて生きている闘蛇と重ねた部分が、他の人ではない、”イアル”に惹かれたきっかけなのだろう

闘蛇襲撃後

2人はこの大きな事件を経て、”会話”が産まれた。
イアルは「どうかしていて、話すべきではないことを随分貴方に話してしまっている」と苦笑いしながら伝える

だが、この時には既に随分奥まで惹かれてしまっていたのではないだろうか
”お互いの冷静な対処、世を見通す聡さ、静けさ、そして芯にある強さ”
それらを言葉を重ねれば重ねる程感じ、そして無意識のうちに信頼ができる人だと判断し心の奥底にしまっていた想いすら話してしまっていたのだろう
2人のこの『なぜこの人には話してしまうのだろう…』と気づかない不器用さがもどかしく、そして綺麗に感じる。

深手を負ったイアルと看病するエリン

ダミヤの謀りにより、毒を盛られ傷を負い、朦朧とする意識の中で無意識にエリンの所へ向かったイアル。

この行動が2人の関係を大きく変える一手となった。2人は惹かれ合っていることに気づいていなかったのが、イアルのこの無意識の行動により、特別な関係性なのだという客観的事実を作ってしまっていたのだ。しかし、事実を作った本人イアルは惹かれていることに気づかず、その後も関係性を変えることをしなかったという朴念仁っぷり(苦笑) なんでここまでの関係性を構築した人を放置しようっていう考えに至るんだ、、、

しかしエリンにとっては、この事件が2人の関係性に大きな衝撃を与えた。「なぜ、あれほど会いたくてたまらなくなったのか…ラザルの王獣舎にいると、あの人のことが思い出されて…なにをしていても、あそこで横たわっていた姿や、生い立ちのことを話していた低い声が思い出されて…」
今までの環境的要因による偶然の2人の時間ではなく、誤魔化しようがないイアルの選択による2人の時間、関係性なのだ。この衝撃はエリンの気持ちを自覚させる大きな要因となったのだろう。


穏やかな日常の中の2人

穏やかな日常になり、イアルは指物師、エリンは王獣医術士としての日々を共に過ごすようになる。だが穏やかな日常だからこそ、今まで目につかなかったような部分まで鮮明に見えてくるようになるのだろう。
イアルは「頬のなめらかさや指の細さがふと目につくようになり、そのたびに胸を冷やした」と感じていた。お互い自覚をし、自身の言動の”根本”が隠れ見えし始めていることに、そしてその先の恐れまで感じていた。
感じているけども、次々と共に過ごす時間や出来事を増やしてくことを止めない。
2人の恋人らしい、ご飯を一緒に食べたり、服を選んだり、デートにいったりという話も積もっていくのだが、それらが全て温かく感じるのは、イアルが本来は真逆の道を行く運命だったからだろう。
国のトップにいる武人で、全体を俯瞰できる冷静さ、色恋よりも指物、堅物、心を開かない、妻子を持たずに一生をかけて真王の命を守り通す。
その作りあがっていたイメージがあるからこそ、エリンに笑ったり、デートらしい似合わないことをする自分に照れてたり、自分を大事にしてほしいと純粋に想ってくれるエリンに目の前が滲んでいたり…その人間臭さがどうしようもなく愛おしい

伴侶や子供が共に重い運命にいざる負えなくなるとしても、捕らわれて全てを諦めるのではなく、苦難の中の幸せを大事にしたエリン。そのエリンと共に生きる決断をイアルができたのは、自身にはありえなかったはずの幸せを既にエリンが与えてくれていて、これからの苦難の中の幸せであっても大事にしたいとイアル自身も感じていたからかもしれない。

私的見たかった場面

・ヤントク視点のイアル初デートまでの小話:きっとイアルのことだから、今までまっっっったくエリンのことを伝えることなく、いきなり相談になっただろうから、さぞかし驚いたことだろう。

・ジェシが産まれてからの3人暮らし初期:「堅き盾」であったイアルと「エリンの夫」であるイアルのギャップに馴れないラザル王獣保護場のメンバー。ジェシの話でくすくすと笑い合っているイアルとエリンを見て、二度見してほしい。新人の教導師に「誰ですか?!」と問い詰められて初めて「…エリンの夫です」と言うことに照れてほしい。

・カイルにジェシを抱いてもらうときの話:カイルにとって仕事ができるけど、口下手で堅物で不器用な唯一の親友が、本来自分達が持つことのなかった子供を連れてくる。夢にも思わなかった親友の子供を抱けたことに、いつも飄々としていたカイルの目から涙が零れていく…

・セイミヤ視点のイアルとエリンについて:幼い頃から「堅き盾」であったイアルしか見ていないセイミヤにとって、2人の様子は全く想像できないものなのではないだろうか。イアルの”変わらない”部分が多くある中で、確実に”変わった”エリンという芯があること。エリンが一番であるとする姿や立ち位置には感慨深いものがあるだろうなと。




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