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親密な人間関係は、贈与で決まる?【しょぼいレポート】

本文の中身

 このnoteは、さぼっちが「贈与論」1章から得た知見を元に、身近に起きている贈与を整理するためのレポートです。「贈与をあわよくば有効活用してやろうグヘヘ」という下心を含んでおり、内容が少し胡散臭い仕上がりになっています。あらかじめご了承ください。

【当noteのざっくりまとめ】
目的:贈与論を読んで感じたこと、考えたことをまとめたい
主題:身近な贈与を取り出して、何を贈与しているのか考えよう
課題:贈与から見えてきたことを、自分なりにアレンジしよう
現状:贈与論1章を読み終わった状態で書いています(2020/05/08)

まえがき

 最近、ネットの知り合いから「贈与論」が面白いぞ!というタレコミがあり、本を買って読んでみることにしました。知り合いのゆーさん(@yuma__ito)が書いていた大変興味深いnoteも併せて読んで、「あーそっか、俺のあの経験がここで書いてる贈与なのか。へぇ~~~」と気持ちのいい納得感に包まれました。”わかる”経験は楽しいですね。

 ゆーさんのnoteから、気になったことを引用してみました。引用文中の”マオリ”はニュージーランドの先住民族の名前、”ハウ”は贈り物についている人の意志を擬人化したものとして読んでみてください。

マオリの世界においては,全ての贈り物は「ハウが帰りたがっているから」という理由のもとに行われている,と言えそうです。
この世界感から色々なことを考えることができますが,僕がいちばん「すごいなぁ」と思うのは,ハウがあることによる「呪いの洗浄」です。
(中略)
これは極端な例ですが,贈り物には人間関係を結ぶ力が働くため,それは一種の強制力となります。これを「呪い」と呼ぶことにしましょう。
(中略)
誘っている人の意図,つまり「呪い」,は「相手をデートに誘ってお近づきになりたい」ということでしょうか。しかし,それを悟られてしまうと,受け取ってもらいずらい。どうするか?「余っている」という別の理由に置き換えるのです。この場合は「ハウ」ではなく「もったいないお化け」がその役を担っています。その「もったいないお化け」のおかげで,ライブチケットは受け取られやすくなるのです。

 引用した文章をまとめると、「贈り物を贈ると、受け取った人間とある種の強制力を持った人間関係を結ぶことができる。でも、この強制力のせいで贈り物を受け取りづらくなっている。でも、『もったいない』とか『余ったからあげる』というもっともらしい言い分で強制力をうやむやにすることで、贈り物が成立しやすくなるんだよ」ということらしい。

このあたりから、僕の私生活でも思い当たることを見つけたので、まとめておこうと思います。ちゃんとした文献を使ってレポートをしたためるにはいささか知見がないので、今回は「体験考察型」というアプローチで書いていきます。

身近に起きた「贈与体験」をさがそう!

 紹介する体験は3つです。

1.会社の同期から来た結婚式の招待を断った
2.家事を手伝う
3.Twitterのフォロワーに似顔絵をあげる

体験1:会社の同期から来た結婚式の招待を断る

 結婚式というプライベートな儀式に呼ぶことを贈り物とし、それに出席することがお返しとなり、1セット分の贈与がなされていたと解釈して話します。”知り合いに対して儀式に招待する”という贈り主(新郎新婦)からの贈与に(さぼっちが)応えて出席することで、”お互いに相手との人間関係が保たれていること”というお墨付きを得るという構造です。しかし今回、僕は「行きません」と返信して結婚式の招待を拒むことで、この贈与を成立させませんでした。元々その同期とは接点が少なかった都合で、招待を断った前後で接し方の変化が観測できていません。ただ、相手方にとっての印象は悪くなっているかもしれません。

体験2:家事を手伝う

 家族という集団の中で義務になっていること(家事)を果たすことで、「僕はこの集団のなかでうまくやっていこうと努めていますよ」、「あなたの家族関係を維持する気持ちに還元しようとしていますよ」という安心感を家族に贈り、その代わりに"ご飯をもらえる""家の設備(トイレやシャワー、洗濯機)を使える"というお返しをもらっていると理解しています。具体的な話としては、家族不在の時には床掃除をする、トイレの便器を週1回きれいにする、月6万を家に入れるなどを続けることで、平和な家族関係を保つことができるのです。

体験3:Twitterのフォロワーに似顔絵をあげる

 僕には「イラストを描く」という趣味があるのですが、一時期Twitterのフォロワーにプロフ用のイラストをプレゼントする試みをしていたことがあります。Twitterをいじっている最中に面識のない人からフォローされる経験が嬉しくはあったものの、もう少し相手と話ができる間柄を自分から作れたら面白そうだなと思い、「イラストの練習をしたいので、月に2人くらいに無料でイラスト描きます。興味があったらDM送ってね」と触れ回っていました。4,5人から連絡が届き、プレゼントしたイラストを半年経った今でも使ってくれている人もいます。
 この試みで面白かったのは、先ほど言った”話せる間柄”のきっかけを能動的に構築できること、「練習に付き合ってほしい」という理由付けをした方が依頼の来る頻度が増えるという気づきを得たことでした。ネットの有名人や実力派の配信者のような勢いはないにせよ、”よくわからないフォロワー”を”知り合い”に昇華できた経験として、僕の中では今でも印象深いエピソードとして残っています。

考察:贈与を行う頻度が、人間関係に影響するのではないか?

 ここまで3つの贈与体験を振り返ってきましたが、僕が思ったのは、「人間関係、贈り物の流れをいじくれば多少制御できそうだな」でした。

 体験1では”相手から贈られた儀礼を受け取らず、最低限の返事で済ませた”という内容を取り上げました。「贈与論」を読む限りですと、贈り物に対してお返しをしないと命が危うくなる、相手と争う火種ができてしまうなどの弊害が生まれるそうです。そうは言っても法や医療が整っている現代社会では、”死ぬ”のは人間自体ではなく別のもの、例えば贈り主から受け取り手に対する友好的な感情や期待の感情ではないかと思うのです。「贈与論」曰く、贈与は将来を含めた人間同士の関係を平和にする権利を、贈り物を通じて手に入れる行為に当たります(かなり意訳しています)。ですが、この”平和を維持する権利”を受け取ろうとしない人間が身近にいたら、その人とはあまり接点を持たないようにするのが賢明でしょう。
 したがって、仮に特定の人との人間関係を弱めたい、無くしたいという人に対しては、普段から期待されている仕事を最低限に済ませる、付き合いを徐々に減らしていくなどの行動が有効なのかもしれません。アイドルの塩対応って、キャラじゃない限りは多分ガチ。

 体験2では”既存の人間関係を維持するために、その集団の中で義務となっている行動をとり続ける”ことを述べました。先住民族が神様に供物をささげること、隣人を宴会に招待することを義務としているのと同じように、現代の人間もそれぞれの集団の中で決めた約束事(会社に行くときにはスーツを着るとか、恋人の記念日には少し特別なことをするとか)を守ることで、集団や特定の個人と良好な関係性を保っているのだと思います(もちろん、例外もあります)。
 したがって、これまでの人間関係を維持したい、またはさらに良好にしたい人に対しては、相手から受けた働きかけを贈り物として捉える思考を持つこと、贈り物を受けたら「受け取りました」のメッセージを相手に認めてみらうことがポイントになるでしょう。手っ取り早い手段としては、挨拶をこまめにするとか、相手の好きな本や漫画を貸してあげるなどが有効だと思います。
 親しい個人そのものではなく、自分と相手の間にあるつながりを枯らさないために必要な栄養を自分から補充するイメージでこの文を書いていますが、読者のみなさんはどうお考えですか?

 体験3では”個人的なつながりのなかった人間に自分から贈り物をして、人間関係を作ることができる。もっともらしい理由を伴って贈り物をすると、尚よろしい”ということを説明しました。冒頭に上げた引用を、再度見てみましょう。

贈り物には人間関係を結ぶ力が働くため,それは一種の強制力となります。これを「呪い」と呼ぶことにしましょう。
(中略)
しかし,それを悟られてしまうと,受け取ってもらいずらい。どうするか?「余っている」という別の理由に置き換えるのです。この場合は「ハウ」ではなく「もったいないお化け」がその役を担っています。その「もったいないお化け」のおかげで,ライブチケット(贈り物)は受け取られやすくなるのです。

 贈り物をする相手に「人間関係を作りたい」という意図をむき出しにするのはよろしくない。だから「個人的な事情に付き合ってほしい」と、贈り主の都合に受け取り手を巻き込んでいる印象を相手に与えることで、「仕方ないなぁ、付き合ってやるよ」という心理になるのがミソなのかな?と思います。お年玉をお札丸出しで渡すよりも、袋に包んで渡す方が丸く収まるのと似た感覚がします。

課題:人間関係、補強しよう作戦

 せっかくレポートを書いたのだから、無理のない範囲で実験と検証をしてみたいと思います。下にあげたことを実践して経過をツイートしてみたいです。それぞれのルール、贈与をした相手、返礼の中身、人間関係の変化などを細かく決めて書いてみようと思います。

【実施中】
・本の感想をツイートする
・イラストを描く様子をツイキャスする
・自分からトイレ掃除と風呂掃除、皿洗いを受け持つ
・友達を細かく褒める
【実施したい!】
・コンビニで毎日特定のお菓子だけを買う(コロナ明けにでも)

まとめ

・人間関係のやりとりには贈り物と返礼の義務が生じる
・贈与と人間関係の親密度には、正の関係がある
・贈り物には送り主の意図が生じて、受け取り手との間に強制力を持った人間関係を構築してしまう。この強制力は贈り主の「もっともらしい」理由で緩和できる

 さぼっちの「贈与論」レポートは、以上でおしまいです。「中身が面白かった」と思ったそこのあなた、返礼(スキ!とシェア)をしましょう。
じゃないと、呪われてしまうかもしれませんよ・・・?

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