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LoserではないChallengerであること

きょうだい児としての私の話を今回はしようと思います。

産婦人科医として仕事をしていても、
世の中のドラマ、映画、書籍を読んでいても、
子供が病気になったり、障害になったりすると 

「こんな体に産んでごめんなさい。」
「こんな病気にしてしまってごめんなさい。」
という言葉を耳にすることがあります。

その辛さや思いというのは
他人には到底、想像もできないようなものだと思います。
そして、その気持ちをその人がどのような形で表現するかは自由です。

私はそう言った気持ちを否定するのでも、
その気持ちを持つことが弱いということではありません。

そして、きっとそんな気持ちで自分を責めてしまうのが
当たり前なのかもしれないとも思います。

それでもきょうだい児の私が、幼少期を振り返って
母に感謝したい沢山の事の一つに

妹に対して「こんなふうにして申し訳ない。」
と言ったりしなかったことです。
少なくとも私が記憶する母は
そういった趣旨の事を言ったりしませんでした。

「この子も大事に育てて、社会の中に溶け込ませなくては。
幸せにしなくてはならない」
という強い使命感のようなものを
感じてはいました。

ですが、「かわいそうな子」「申し訳ない」と言った表現を
母の口から聞いた覚えがありません。

そして、妹のことを「かわいそうな子」
として扱っている姿も見たことがないですし、
母が自分を責めている姿も記憶にないのです。

きっと、泣かなかったはずはないし、
きっと、自分を責めなかったはずはない。

それでも、私の前では
「妹も、私も、丸ごと ちゃんと幸せに育てて社会に送り出すんだ。」
という挑戦に挑む果敢な母でした。

我が家には障害を負ってしまったという敗北者の悲壮感ではなく、
「やってやるぞ。」という挑戦者の空気が流れていました。

きょうだい児の前で無理に明るくなる必要はないけれど、
少なくとも言葉にしないことで 救われることもある そう思っています。
「かわいそう」「ごめんね。」 より 
「頑張ろうね。」「ありがとうね。」のが 
ずっと現実的な意味のある言葉です。



そして、私が大人になった今、
できるなら、今の私とほとんど変わらない歳で
必死で頑張っていたその頃の母を抱き締めて、
おかげで私は救われたよ。頑張ってるね。大丈夫だよ。全てうまくいくよ。
と伝えてあげたいと思うのです。

きっとそんなことを思ってると母が知ったら
少し困った顔で笑うと思うので。

ここに記しておこうと思います。
いつか伝えられるかな。








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