ミモザの花言葉
ミモザという花を知っている人は、どれくらいいるだろう。
名前は聞いたことがあっても、
実際どんなお花かわかる人はどれくらいいるだろう。
コロナ禍になってからガーデニングが再熱して、お花育てたりなんちゃって家庭菜園したり、時にはお花を買って飾ったり。なんだか大人になったな~……。
先月、「国際女性デー(International Women’s Day)」である3月8日に、
私はミモザのお花を買った。
なぜなら、2月から「国際女性デー」がある3月にかけて咲くミモザの花が、この日のシンボルだと知ったから。
今思えば、私は小さいことから性別に関していろいろ疑問を抱く小さなフェミニストだったし(大好きなエマ・ワトソンの影響もある)、今も性差別や人種差別をしっかりと問題視して訴えていきたいと考えてる。
だからこそ、少しでも賛同の意をここで示そうと考えた。
フェミニズムって、
今でこそだんだんと(本当にだんだんと)浸透してきた運動だと思うけど
私は中学生、高校生の時に「私はフェミニストです!」なんて言えなかった。世間に煙たがられていたし、堅物だと思われたくないという気持ちが強くあった。
今でもあるんだと思う。
スルーすれば良いのに、わざわざ突っかかって、声を上げて、荒波を立てている人たちだと、面倒な人たちだと思っている人がきっと、いや、本当に多い。
正直、私も当初はフェミニストながらそう思っていた。
「そんな喧嘩腰じゃなくても……」
「なんで怒るの?冷静に対応したほうがいいのに……」
でもこれって、怒って当然だった。
確かに、
理不尽に何でもかんでも怒りに任せて問題提起して、議論をし、どんどんと論点がずれてしまっているような会話をよく目にした。(特にTwitter上が多いかな)議論に感情をのせすぎてしまうことは良くない。
でも、なぜ理解してもらうために
私たちが聞いて”もらう”立場にならなきゃ、
私たちが”冷静に”話さなきゃいけないんだろう。
自分の権利を訴えるために、なぜ……?
私はそもそも感情を出すことが得意ではないから、勢いのある感情にのせた行動はしないのだけれど、でもそれは”わたし”のフェミニズムのやり方だし、冷静なフェミニズムだけが真っ当だなんておかしい。
怒りが溢れてしまう、それだけの気持ちにさせられた原因があることだけでももっとみんなが知ったほうがいいんじゃないか?
こういう時、頻繁に男性と女性の対立構造が生まれてしまうけど、男性でフェミニストだっているし、女性でフェミニストを嫌っている人だっている。男性を敵にしたいわけではないことをもっと知ったほうがいいんじゃないか?
目的はそこではないことを知って。
問題を訴える時に、そこに絡む関係者は男性であることが多いからこそ、必然的にそこへ敵意を向けているようになることが多いんだろうけど、(トップに男性が多い…なども、別の論点にはなってしまうが)そういうわけではないのに。
Netflixオリジナル作品の『モキシー 私たちのムーブメント』(2021)がまさにそうだった。
それぞれのフェミニズムへの関わり方があって、前に出て声を上げることだけが全てではないことをこの作品で理解できると思う。行動を起こさないとフェミニストじゃない、とかフェミニズムに大きな責任を感じてしまう前に、一度この作品をみて気軽に意思表示をしても大丈夫だと知って欲しい。私もそうだから。
一緒に鑑賞した友人も言っていた。
「前に出てムーブメントを起こすような声を上げ方だけがフェミニズムじゃないと知って、なんだか安心した」と。
ミモザの話から結局映画の話にたどり着いてしまうのが私。
ミモザの花言葉を伝えていなかった……。
とにかく、(でまとめられないんだけど)
私はみんなが”思いやり”に溢れた社会・世界になってほしいし、そうしたい。
それさえあれば……なんて綺麗事かもしれないけど、それがあれば……。
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