2023/10/10(火)のゾンビ論文 吸血鬼のメディア変遷

ゾンビについて書かれた論文を収集すべく、Googleスカラーのアラート機能を使っている。アラート設定ごとに、得られた論文を以下にまとめる。

アラートの条件は次の通り。

  1. 「zombie -firm -philosophical -botnet -xylazine -biolegend -gender」

  2. 「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender」

  3. 「zombie -firm -xylazine -biolegend」(取りこぼし確認)

検索条件は次の意図をもって設定してある。

  • 「zombie」:ゾンビ論文を探す

  • 「-firm」:ゾンビ企業を扱う経済学の論文を排除する

  • 「-philosophical」:哲学的ゾンビを扱う哲学の論文を排除する

  • 「-DDoS」/「-botnet」:ゾンビPCを扱う情報科学の論文を排除する

  • 「-xylazine」:ゾンビドラッグに関する論文を排除する

  • 「-biolegend」:細胞の生死を確認するゾンビ試薬を使う医学の論文を排除する

  • 「-gender」:ジェンダー学の論文を排除する

また、検索条件3では、上記の検索キーワードで不必要にゾンビ論文を排除していないかを確かめる。

今回、それぞれのヒット数は以下の通り。

  1. 「zombie -firm -philosophical -botnet -xylazine -biolegend -gender」一件

  2. 「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender」一件

  3. 「zombie -firm -xylazine -biolegend」六件(差分五件)

検索条件1-3はメディア学が一件だった。


検索条件1「zombie -firm -philosophical -botnet -xylazine -biolegend -gender」

デジタルモバイルメディアにおける吸血鬼

一件目。

原題:Vampires in digital mobile media
掲載:The Palgrave handbook of the vampire
著者:Kirstin Mills
ジャンル:メディア学

デジタルモバイルメディア、つまりスマホとタブレットにおいて吸血鬼がどのように受容されているかを分析・考察する論文。

メディアの変遷に対応してモンスターの描写がどう変化していくか、という題は岡本健著『ゾンビ学』の第4章でも分析されている。大衆的なキャラクターをメディアの観点から分析するにあたって標準的な考え方なのだろうか。

ちなみに、『ゾンビ学』第4章では節ごとに扱うメディアを分けて次のように話が進む。①メディアの歴史的発展の紹介、②ゾンビ・コンテンツがそのメディアでメディア化されているか触れる、③ゾンビ・コンテンツ内にそのメディアが登場するか触れる。大体はこれで終わりで、メディア化と社会・文化との相互影響やメディアそのものがゾンビ・コンテンツにどうかかわるかにはあまり記載がない。ほかの章と関連付ければ見えるものもあるが。一方で、今回の論文では社会・文化から受ける影響に触れているようだ。

zombieの単語は唯一アブストラクトに見つかった。

It concludes by considering the role of the vampire as a metaphor in criticisms of the “smartphone zombie.”
(最後に、「スマホゾンビ」批判におけるメタファーとしての吸血鬼の役割を考察する。)

Kirstin Mills著
The Palgrave handbook of the vampire掲載
『Vampires in digital mobile media』より

"smartphone zombie"(スマホゾンビ)とは、日本語で言うところの歩きスマホである。歩きスマホ批判に吸血鬼がどう登場するのか、全く想像がつかない。ちょっと興味あるかも。

ジャンルはメディア学。



検索条件1-2の差分(差分なし)

「DDoS/botnet」で検索結果に差異が生じるか調べる。

今回は差分がなかった。もしかして10月も差分ゼロか…?



検索条件4「zombie -firm -xylazine -biolegend」

上記の条件で誤ってねらいのゾンビ論文を取りこぼしていないかチェックするために、こちらの検索結果もチェックしておく。ただし、ゾンビ企業とゾンビドラッグ、ゾンビ試薬は排除されるように設定してある。

ゾンビとインド: neoMONSTERS の疫学

原題:Zombies and India: The neoMONSTERS Epidemiology
掲載:The Journal of Popular Culture
著者:Sami Ahmad Khan
ジャンル:比較文化学

「-gender」で排除。インド映画におけるゾンビの分析。

まず西洋的観点によるゾンビ評を述べ、しかしそれは西洋に特有でありアジアでは異なると続け、インドのゾンビ映画をベースにインド文化がゾンビをどう捉えているか分析している。

実に羨ましい。日本でもそういう研究がなされてほしい。インドのゾンビ映画も含め、かなり興味を引く論文だ。


ゴシック ロマンスからプランテーション ホラーまで: ジョーダン ピールの『ゲット アウト』の空間ダイナミクス、白人邸宅と黒人ゾンビ

原題:FROM GOTHIC ROMANCE TO PLANTATION HORROR: SPATIAL DYNAMICS, WHITE MANORS AND BLACK ZOMBIES IN JORDAN PEELE'S GET OUT
掲載:Unusual Shapes, Fantasy & Horrorという本
著者:Marta Miquel-Baldellou
ジャンル:評論(ポストコロニアル批評)

「-gender」で排除。映画の評論を扱う。イントロにゾンビ映画の評論理解に役立つ文章があったので引用しておく。

The intrinsic connection between the infamous institution of slavery and the genre of American Gothic was first put forward by critics like Leslie Fiedler (1960) in relation to narratives in which traces of the actual horrors of slavery merged with the fantastic. According to Teresa Goddu (1997), as slavery found reflection in the literary Gothic tradition, the factual reality of slavery and the pure fiction of Gothic (p.139) blended in narratives which portrayed horrors that were too real to be narrated.
悪名高い奴隷制制度とアメリカン・ゴシックのジャンルとの本質的なつながりは、奴隷制の実際の恐怖の痕跡が幻想的なものと融合した物語に関連して、レスリー・フィードラー(1960)のような批評家によって初めて提唱された。 Teresa Goddu (1997) によれば、奴隷制度がゴシック文学の伝統に反映されるにつれて、奴隷制の事実とゴシックの純粋なフィクション (p.139) が、あまりにも現実的すぎて語られることができない恐怖を描いた物語の中に融合した。)

Marta Miquel-Baldellou著
Unusual Shapes, Fantasy & Horror掲載
『FROM GOTHIC ROMANCE TO PLANTATION HORROR: SPATIAL DYNAMICS, WHITE MANORS AND BLACK ZOMBIES IN JORDAN PEELE'S GET OUT』

「アメリカン・ゴシック」が具体的に指す作品に心当たりはないが、奴隷制制度が影響を与えているというのならば、探して観てみる価値があると思う。


物理主義に対する二次元の議論の精査

原題:Scrutiny of the Two-Dimensional Argument against Physicalism
掲載:Principia: an international journal of epistemology
著者:Wilson MendonçaとJulia Telles de Menezes
ジャンル:哲学

「-philosophical」で排除。哲学的ゾンビを扱う論文。


構造的現実主義と永遠主義は心と脳の問題を解決できる

原題:Structural realism and eternalism can solve the mind-brain problem
掲載:不明。Googleにこの論文を直に売り込み?
著者:Hiro Inuki
ジャンル:哲学

「-philosophical」で排除。哲学的ゾンビを扱う論文。

謎の論文。著者の"Hiro Inuki"はGoogleでもGoogleスカラーでもヒットせず、この論文も上記リンクでしか見つからない。哲学を趣味でやっている個人がGoogleブックスに直接売り込んだとしか思えない状況だ。

無料でゲットできる辺りが哲学がちょっと詳しいだけの素人を彷彿とさせるが、素人にしては図がしっかりしているように思う。誰が書いたかもわからない謎の論文。しかも名前が日本人っぽい。


物理学に適した機能主義

原題:Functionalism Fit for Physics
掲載:PhilSci Archive
著者:Eleanor Knox と David Wallace
ジャンル:哲学

「-philosophical」で排除。哲学的ゾンビを扱う論文。ただし、"philosophical zombie"ではなく"content zombie"(コンテンツゾンビ)や"Qualia zombie"(クオリアゾンビ)という表現がされている。

クオリアは確か哲学の専門用語なので意味がわかればクオリアゾンビの意味もわかるとして、一般用語が使われているコンテンツゾンビは定義を引用しておく。

To further illustrate the distinction between the two views, consider the possibility of ‘content zombies’: beings lacking content-bearing states but behaving as if they had them. (‘Qualia zombies’ — systems lacking qualitative experience or self-consciousness but behaving as if they had them, as discussed in (e.g.) (Chalmers, 1996) — are not relevant to the physics analogy we wish to make here.)
(2 つの見解の違いをさらに詳しく説明するために、「コンテンツ ゾンビ」の可能性を考えてみましょう。コンテンツを保持する状態を持たないが、あたかもそれを持っているかのように振る舞う存在です。 (「クオリア ゾンビ」 — (例) (Chalmers, 1996) で議論されているように、定性的な経験や自意識が欠如しているが、あたかもそれらがあるかのように振る舞うシステム — ここで行う物理学の類推には関係ありません。))

Eleanor Knoxら著
PhilSci Archive掲載
『Functionalism Fit for Physics』より

哲学的ゾンビが心の有無に注目した概念であり、そこから「心の有無」から「コンテンツの有無」へと概念を拡張していたものが「コンテンツゾンビ」である、と言っているように読める。



まとめ

検索条件1-3はメディア学が一件だった。

メディア学の一件はゾンビではなく吸血鬼に注目した論文だが、あるモンスターがある文化圏においてどのように受け入れられてきたかを調査する研究は興味深い。なぜアメリカをはじめとする西洋文化圏でゾンビが広く受け入れられ、あまつさえ様々な学問分野に「〇〇ゾンビ」という単語が頻出するのか、そしてなぜ日本ではそのような傾向が見られないのか、どうにかして調べられないかと思っていたからだ。

ただ、まあ、その、有料で長い論文らしいので、買って読みまではしないが。

一方、哲学的ゾンビに関する論文がいくつか見つかったので、そちらは時間を見つけて読もうかな。評論の方も理解できる範囲で読みたい。

今回はねらいの論文がなかった。


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