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フジファブリック20周年ライブ感想と活動休止を受けての回想

昨日のフジファブリック@東京ガーデンシアターの余韻がまだ残っている。活動休止を発表してから初めてのライブ。私にとっては、おそらく8年ぶりくらいのフジのライブだろうか。

活動休止と聞いた時には、驚きと、志村が亡くなってからよく15年も続けてきたよなあ、そりゃもうそろそろ休止でも解散でもしてもいいよ、十分に頑張ったよ、お疲れ様ですという気持ちが湧いた。でもその翌日にやっぱり号泣してしまった。強がって受け入れようとしていただけで、すごく寂しかったんだと思う。
ライブに行けて本当に良かったけど、この寂しさを乗り越えるにはまだちょっとかかりそうだ。いろいろなことを感じてメンバーの気持ちをあれやこれや想像して、泣いたり笑ったり、ちょっと不満に思ったり、感情の振れ幅が大きくて、まだまだ消化しきれていない感じ。

私がフジファブリックを知ったのは2011年くらい。もう志村はいなくて、3人で始動して数年経ったころだった。クラスメイトに勧められて聴くようになって、みんなが志村が好きだったから私も志村時代の曲を主に聴いていた。あの癖のある歌声、繊細で拗らせててでも心に迫ってくる歌詞と歌い方、強い目。そしてもういないというインパクト。志村すげぇってずっと思ってたしクロニクルなんかは辛い時にたくさん聞いたし、代表曲の数々、今でも本当に大好き。
周りのみんなは志村を信仰していて、3人体制になったフジファブリックを熱心に聴いている人はいなかった。でも一度ライブに行ったからかな、私は3人にも興味を持って、その人柄に完全にやられてしまうことになる。ダイちゃんの、ちょっと感じ悪い喋りをしつつも、こだわりがあるところ、お調子者で盛り上げてくれるところ、鋭いツッコミ入れてくれること、そして何より多趣味なところ。音楽だけじゃなくて、エッセイ書いたり料理したり、好きなものがちゃんとあって、色々器用にこなす人だった。それがとても眩しかった、私も多趣味だったからダイちゃんみたいにありたかったし、ダイちゃんが勧めるものは買うようになった。そしてそして一番は、ダイちゃんの鍵盤の音が大好きだ。陽炎のアウトロみたいな、LIFEやSUPERのイントロみたいな。志村時代も今も変わらず、ダイちゃんの鍵盤が印象的な曲はもうそれだけで好き。紛れもなくフジファブリックの音の要だと思う。フロントマンが変わったらもちろんバンドの雰囲気も変わるわけで。でもそれでも曲の随所にフジファブリックらしさ(本人たちがやってるのだからもちろんそうなのだけど、失礼な言い方で申し訳ない)が光ったのはダイちゃんの鍵盤がおっきいんじゃないかな。
そして総くん。志村亡き後のボーカル、フロントマンを継ぐってのは並大抵の覚悟と努力ではできないし、もう頭が上がらない、ここまでフジファブリックを連れてきてくれて前に立ってくれて、辛いことあったと思うけど、明るく居てくれて尊敬と感謝しかない。本当に総くんはいい人すぎるよ。一番年下で、天然でちょっとボケてて(ほんわかすぎて、着地点の見えない迷走MCなんて最高)俺が俺がってタイプでは決してないはずだけど、立派なフロントマンだよなあ。志村と比べることなんてない、総くんは総くんの良さがある。繊細で且つぶっ飛んでいて捻くれた志村に対して、まっすぐで素直で元気で、爽やかで、何と言っても優しい。だから歌う歌も書く歌詞も違っていい。私は総くんが歌うストレートな歌詞のバラードっぽい曲とか、Green BirdやGUMやLIFEやはじまりのうたみたいな、メロディが心地いい曲とか実は大好きだったんだって今更気がついた。一番最近のアルバムなんてもう最高。本当に素敵な人。そしてそしてギターがうますぎるよ。他のバンドを熱心に聞いてる訳ではないから比較できないけど、比較なんてしなくていいよね。ギターソロ、カッコ良過ぎて何時間だって聴ける。ギタリスト山総もフロントマン山総と同じでカッコ良すぎる。
そして加藤さん。昔はあんまり喋らなくて謎キャラっぽかったり、メンバーにも何も言わず免許取ったりしてたけれど、昨日のライブのトークのキレと笑顔と優しさにびっくりしちゃった。大好き加藤さん。お酒と読書をこよなく愛してるっていうキャラが昔から好きすぎたし、多くを望まずに自分で自分を幸せにできるというか、安定感が半端ないというか、ものすごい能力を持った人だと思っていた。そしてビジュアルがいい(笑)一番変わってないしいつもお肌ツヤツヤで、オフの時でも常におしゃれだ。そんなクールな加藤さん、多分本当にフジファブリックのことが大好きで、バンドの中での自分の立ち位置をよーーーーく分かっていて、俯瞰的にものを見て動いてくれてるんだろうなあって勝手に想像してる。昨日は元気な加藤さんにたくさん元気もらった。軽やかにステップ踏みまくって、もはや飛んでた。ダイちゃんのキーボードの真ん前まで行って笑顔を撒き散らし、シッシッってされてスタコラ去っていく姿がキュートすぎた。
そんなこんなで、愛さずにはいられない3人のこと一人一人と、3人が一緒にいることが実はすっごく好きだったんだ。誰がすきかなんて選べない。みんながいるのが好き。だから昨日の加藤さんとダイちゃんのシッシッとか、トークライブのツッコミとか、総くんがメンバーに向けたくしゃくしゃの笑顔とかをファンはみんな求めていたんだよね、勝手に。大好きな3人が仲良くしてるのが見たいから。見せてくれてありがとう。

3人のことが好きだったからファブチャンネルに登録して、2015年くらいまでは色々なコンテンツを楽しんでた。加藤さんの習字とか、写真金澤とか、ゆるイカとか。でもそれを周りに言うことはできなかった。周りはやっぱり志村が好きで、今のフジファブリックには興味がないみたいだったから。そして、キラキラしてどんどんアイドルのようになっていく3人を好きだというのはミーハーっぽく、自分のキャラにも合わない気がした。元々のきっかけである志村の雰囲気との落差にも戸惑って、堂々と今のフジファブリックが好きだと、どうしても言えなかった。やっぱり志村の時代のが一番好きなんだけどね、と前置きをしていつも恐る恐る語っていたような気がする。そうして私は社会人になり、仕事も忙しくなって、社会人4年目頃からは新譜が出ても聴かなくなっていった。たまに見かける彼らには若いファンがついて、ライブにはペンライトや振り付けも登場して、いつでもオシャレに着飾って、なんだかちょっと違う世界にいるように感じていた。キャピキャピしてんなー若いなーなんて思って遠くから見ていた。

こんな感じでコアなファンとはとても呼べない私だけど、彼らへの要求だけは一丁前だった。なんで活動休止するのか言葉を尽くして説明してほしかったし、休止はするけれど心配はいらないと明確に伝えてほしかった。その上で最高に楽しいライブもしてほしかった。(なんて身勝手な)
だからライブの早い段階でダイちゃんからのお言葉が始まった時、やっと私のモヤモヤが解消されると期待した。あの時の会場の静まり、張り詰めた空気、一生忘れないと思う。

しかし蓋を開けてみれば、正直な感想は、それだけしか言わんのかい?という不完全燃焼の気持ちだった。カンペを用意して、アドリブはなしで、しょっちゅう手元に目を落として一言一句そのまま読み上げているみたいだった。今この場で感じたこととか、話してくれないのか。区切りをつけたいという言葉はストンと落ちてきたし、それでいいんだと思ってる。決めるのは本人だし、そもそもここまでやってきた方がすごいし辞めるということも大変なエネルギーがいることだからチャンダイ先生には尊敬しかないよ。でもさ。なんだかその時はチャンダイに求めていたものが多過ぎて、物足りなく感じてしまった。まじめ腐ってたし、元気じゃなかったし、なんだか気持ちがもうここにはないような冷たい感じを受けてしまった。そして、僕の気持ちを受け止めてくれた山内くん、加藤くんには感謝してると。スタッフにも、志村にも志村家にも感謝してると。でもなんか、ファンへの言葉はなかったような気持ちがした。それでちょっと不満な中、総くんは逆にファンに感謝しすぎで、なぜか昨日はそれにもイラついて。底抜けに明るくしてくれた加藤さんには怒りは湧かなかったけれど、変な気持ちに一時なってしまった。

それでも音楽は素晴らしく久々に生で聴く喜びも、志村の懐かしい映像も、今の映像と過去の映像を織り混ぜて作られた陽炎なんて本当に素晴らしくて、まるで志村が今目の間にいるように感じて。ライブ自体はすごく楽しんだし、最初から涙腺崩壊しっぱなしで、フジファブリックに出会えて幸せだと感じた。そしてフジファブリックをここまで続けてくれた3人への感謝を感じた。続けてくれなければ、こうやって昔の曲を生で聴くことも、もちろん新曲を聴くこともできないんだもの。こんなにありがたいことってないよ。そして志村志村いうけれど、ここまでフジファブリックを引っ張ってきたのは紛れもなく3人だよ。志村をここまで連れてきたんだ。3人のフジファブリック、大好きだよって思った。だから若者のすべては総くん歌えばよかったよ。総くんが歌うことで、志村の歌が生き続けてきたのであって、それはもう総くんの歌だから。
これまでは志村の不在を思って泣いていたけれど、いつしか志村の不在には慣れていたみたいだ。亡くなった人は残念だけどもう戻らない。でも3人は生きているのに。それなのに音楽が聴けなくなるんだと思うとその悲しみが志村不在の悲しみを上回りだしたみたいな。だから今回の涙は、志村を懐かしんでではなくて、3人のこれまでとこれからを思っての涙だった。もうあとちょっとしか聴けないんだから、総くんのボーカルで聞かせてよ!と思った。もう聴けなくなるのが寂しい、悲しい、辛い。私ですらこんな気持ちになるのだからコアなファンの方の気持ちたるや。彼らの存在の大きさを改めてひしひしと感じた。

そうして、活動休止について十分な説明がなされなかったという不満と、自分はフジファブリックが大好きだと改めて感じられてライブに来られてよかったという満足の両方をかかえて、変になりそうになりながら関西まで戻った。

そして一晩空けて、いろんな方のつぶやきを見て色々考えた。

ちょっとずつ納得がいき始めたかもしれない。ダイちゃんの性格を考えてみた。まじめでちゃんとした人だ。自分が納得いかないことはやらない人だと思うし、人に合わせることもしないと思う。いつまでも向上心を持って、同じところに止まらない人だと思う。そんな彼が20年経ってやり切ったと思うのは当然なんじゃないか。そして、気持ちに区切りをつけたら、もう自分を曲げないと思う。だからファンに必要以上に寄り添ったりしないだろう。さらに自分がきっかけでバンドがなくなること、心苦しく思わないわけもない。自分がもしダイちゃんだったら、あの場でキラキラいつもみたいに笑顔を振りまけただろうか。どんな態度でライブに臨むだろうか。そうやって気持ちを想像していくと、ダイちゃんの昨日のあれはダイちゃんの精一杯だったし誠実さだったんじゃないかと思えてきた。変なこと言わないよう、そして場に流されないよう、カンペ通りにしか読まないと決めていたんだろうな。それでファンに憎まれたとしても自分はそのポジションでいいって思ったんだろうな。だってファンに向けて音楽してるわけじゃないもの。総くんはファンに向けて音楽し過ぎ(それが彼の良さでもあるけれど)。演奏は全力でしてくれたと思うし、私たちはそれだけで十分なんだ。

そして、ライブでは私たちが期待していた3人が仲良くしてる姿を垣間見ることができたわけだけど、3人の絆の心配をするなんて、なんて烏滸がましいんだと思うようにもなった。何年一緒にやってきた人たちなのか。見えないところでぶつかったり一緒に悩んだり、家族みたいに暮らしたり濃すぎる時間が流れていたわけで、道が分かれてしまっても、その年月は変わらないんだもの。ダイちゃんにとってだってそうだろう。これからはフジファブリックを名乗らなくなって、3人でも会わなくなって、思い出話すらしなくなるのかもしれない。でも、それでこれまでの時間がなくなるわけじゃないし、それでいいんだ。3人のことはわからないけど、無駄にベタベタしないでいい、3人らしく前を向いて進んでくれたらいいなと心から彼らのこれからの幸せと成功を願えるようになってきた。

もちろんたまに集合してライブしてくれたらそんな嬉しいことはないけど、期待し過ぎずに、この決定を受け入れていこうと思う。何事もずっとは続かない。ずっと続くものなんてない。だからこそ2月は最後に会いにいきたいな。

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