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『源頼政と木曽義仲-勝者になれなかった源氏』 永井 晋 著

※注 この記事はネタバレを含みます

治承・寿永の乱(源平合戦)の幕開けを象徴する二人の源氏について、この乱が発生した経緯と、その末路までを解説した新書です。

源平合戦といえば、平清盛・頼朝・義経ぐらいしか知らなかったのですが、頼政・義仲の人生もドラマチックだなぁと思いました。
頼朝が活躍したのは後半で、合戦のきっかけを作って以仁王の挙兵を指揮したのが頼政、その後平氏を都落ちさせたのが義仲なのですね。

頼政は、教養もあり京都の慣習に詳しい武家として朝廷や公家から一目置かれていました。平清盛は、後白河院との政治的な駆け引きの中で、武家としての責任を一手に負うリスクを回避するため、源平並立の建前を維持するために、頼政を常に取立てて武家源氏の代表として処遇しました。

平氏との良好な関係によって社会的地位を上昇させていった頼政には、反平氏の挙兵をする理由はないように見えます。
ですが、朝廷が以仁王の失脚を目論んでいると知ると、以仁王に事情を知らせる使者を送ってしまいます。これが、以仁王の逃走につながり、責任を感じた頼政は以仁王の陣営につくことになります。そして、このとき70歳を過ぎているのにも関わらず、陣営を指揮することになります。これが全国的な内乱になっていきますが、本人にはその意図はありせん。どちらかといえば成り行きで巻き込まれたような立場ですが、最後切腹をするまで、武士の美学を貫いて、かっこいいおじいちゃんだっただろうなぁと思いました。

この以仁王の遺児を担いで挙兵下のが源義仲なんですね。
義仲は結構有名なので、割愛するとして(笑)

この時代は、人間関係やそれぞれの思惑が複雑すぎて、理解するのが大変でした。朝廷・公家・武家・寺院、それぞれの中でも駆け引きをしていて、この時代に生きていた人は大変だっただろうなぁと。以仁王の挙兵も、最初は園城寺を頼って、嗷訴(ごうそ:昔のデモみたいなもの)で訴えようとしていたのを、園城寺と対立する延暦寺が、園城寺焼き討ちの絶好のチャンスとヒートアップした結果、以仁王の挙兵に繋がってしまったんですよね。

この時代、朝廷や武家と渡り合っていた清盛はほんとすごい人物だったんだなと思いますし、義仲が平氏と戦っている間、後白河院と密談して、義仲討伐後の政権を考えていた頼朝はさすがだなと感じました。

来年の大河ドラマがこの時代のことをやるので、普段見ないですが義仲とかも出てきますので、ちょっと見てみようかなと思いました。


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