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ポジションを探した結果

20代に普通に就職して、普通に営業して、特別優秀でもなく、ただ、特別ダメだったわけでもなく。
それなりに遊んで、特に金には困らず、ただ贅沢できるわけでもなく。
幼少期に親の仕事の都合で転々として、場所にもこだわらず、新しいコミュニティでもそれなりに生きていけるようになっていたのかもしれないけど、同時になんでも良くて、やりたいことを探してても何もしっくりこないで、熱しやすいほうだけど桁違いに冷めるのも早い。
漠然とした将来への不安もあって、今のへの不満もあって転職を三回。変なところで器用さがあることに気がついて、それなりにやればできるけど、特別人より優れていることもない。
まったく特別なことがない中で、ある程度続けていくと、突出した人たちと出会い、劣等感を覚える。
やりたいことがないから、なんでもやれた。新しいことにも抵抗はなく、ただ飽きるのもめちゃくちゃ早い。システム営業が一番しっくりきて、自分でシステム納品したり、営業以外のこともやりながら、それなりに一人でできるようになってしまうと、周りも頼らなくなり、それなり重宝されるから居場所も作りやすかった。
でも、常に限界があって、いや、それも言い訳か。結局は突き詰める努力ができなかった。やりこんで、それを突き詰めたり、センスがある人には遠く及ばず、自分ができない域にたどり着けずに、たまたま結果になることもあれど、総じてみれば平均点。

やりたいことは無かったけど、やれないことへの恐怖心が常にあった。特別突出を本気では求めないけど、わからないことがあったり、できないことがあるのが怖くて、自分より優れた人と出会うと嫉妬して、訳の分からない言い訳を繰り返したのが30代になる頃。

そんなときに、自分の当時部下だった中途入りたての青年に、深い意味もなく、投げかけた言葉があった。
俺ができることは俺がやるから、できないことをやってくれれば良い

誰かに言われたことがあったかも記憶にない、ポロッと口から出た発言だったけど、それを言った彼は私が持たない優れた感性を持っていたようで、劇的なレベルの成長をし、結果売上が爆上がりした。たまたまではなく、わかりやすく根拠を持っての数字の向上を体験したのはもしかしたらその時が初めてかもしれない。
単純に自分ができないことをやってくれる人がいて、手がまわらなかったことをできるようになり、それを得意とする人がチームにいた。
それだけのことだったのだけど、単純なだけにあっさりと理解した。

できることを自分がやり、できないことを得意とする人に任せればいい。
本当に当たり前のことで、誰もが頭でわかっていたことでしたが、自分の立ち位置を明確にしてくれました。

シンプルにはい、そうですかとはなりませんでした。劣等感を感じる人たちの中でやることは。もちろん、それだけではなく、相手もまた同じことをこちらに求めます。やりたくないことをやってくれるとか、自分よりも優れた物を持っているとか。そうでなければ、必要とする人たちは周りに居てはくれないので。

そこからは、自己分析で一年以上使った気がします(かかりすぎ)。情けないですが突出した武器もなく、他者にメリットを提供できるような個人的なものを持ち合わせていなかったから。少なくともあの頃はそう思っていました。
ほぼこじつけでした。そんな自分ができることを洗い出してから、それを証明し、自分が苦手とすることをやってくれる人を見つけるために、ひたすら自己開示。
いろいろな人と交流して、自分の考えやできることを話し続けていくと、不思議なんですけど必要な人って集まってくるんですよね。

それをやっているときに気がついたのが、ビジョンとはポジションがわかると現れるようです。自分のスカウティングをして無理やりでも長所がわかりだすと、自分を最大限に活かせる場所を考え出して、結果それがビジョンになるようです。

自分の今の立ち位置はプロダクトオーナーです。製品開発とマーケティングとセールスの中核になる立場。
人を集めたらこの位置に辿り着きました。選んだのではなく、結果、選ばされてました。必要とされるポジションを探して、自分と向き合ってみると勝手にそうなることもあります。
探している時の方が楽でした。自分で決めたことではありますが、やはり自分ができないことをできる人間たちに囲まれて仕事をするのは、その人たちに必要とされ続けなければならず、同時に劣等感を感じながら働くことになります。

ただ、助けられているうちは、助け続けることを最優先に働くことを自分に課していきたいと思います。
最後、感想文みたいです。

年の瀬に思いのまま書き綴らせてもらったので、乱文失礼しました。

#この仕事を選んだわけ

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