子供たちの教育環境への不安

小学生の頃に図工の授業ってありましたよね。

好き嫌いは人によって異なるとは思いますが、私は好きな方でした。パッと思いついたものを誰よりも早く終わらせて完成させて、あとは勝手に遊んでしました。そのためアイディア力や行動力はあると評価は受けましたが、完成するものはテキトーということで微妙な成績でした。

図工の授業で学ぶこととは、「感性と表現力」もありますが、表現については自由度も高く、「正解が無い」です。テーマは同じでも子供毎にまったく違う、バラバラの物ができたときにお互いを認め合うことへの教育につながるそうです。

それとは別に、「不可能を知る・なぜを育む」とも聞いたことがあります。

例えば覚えがある方もいるかもしれませんが、絵で描いたものを作ってみようとなったときに、例えば粘土とかで鳥を作ろうとすると異常に足が細くなって立たなかったり、簡単につぶれてしまったりします。もっと足を太くしないと上の重さに耐えられないと立たせることはできないと気づきます。

でも、鳥って体は丸々太っているのに脚細すぎないか?とか疑問がわいてくると尚素晴らしいことになります。自分で作ってみることで、体験しながら知り、気づいていくために図工の授業はあるようです。

今の子供向けのテレビ番組を見たりすると、番組内で答えを言わないものがあったりします。疑問を出して、子供たちが考察をして、ヒントは出しますが最後まで答えを言いません。自分で実験してみろということなのかもしれませんが、一度は勉強したはずなのに思い出せないようなテーマもあり、子供の方が思考が進んでいると感じてしまうこともあります。

大人になり、社会に出ていくと答えの無いようなテーマと日々向き合って生きていくことになります。誰かが答えを教えてくれると思っていては身に付かず、自分で体験して自分で学んで気づいたことは、一生忘れません。

情報が大量にあふれる現代において、すぐにネットで答えを探そうとすることも私たち大人の悪い癖になっています。
答えはネットに出ているのではなく、仮説を立てて実施して、その結果から学んでいくことになります。

お受験のための詰め込み教育世代と言われる私たちでもありますが(そんな世代は無い)、教育って大事ですね。

コロナによる学校にも行けない時期によって、家で勉強する子はするから親次第とか子供次第とか、リモート学習ができる環境とそうではない環境による格差とか、学べる媒体やツールはあふれているから学校に拘る必要はないとか様々な意見はありますが、

家で学校並みの学習できる設備を仮に整えられたとしても、子供同士が接して学ぶことも多いように思います。環境としては不十分に感じてしまう点もあります。

うちの娘も1歳前から保育園に行くようになりましたが、やはり感情表現が豊かになり、よく動き、立ち上がろうとして(まだ立てずに転がりますが)、言語表現が少しずつですがはっきりしてきています。

単なる年齢を重ねた成長だと言われてしまえばそれで終わりかもしれませんが、人に興味を持ったり他の子どもがどうやってそのおもちゃで遊ぶか、複数の子供たちの中にいて過ごすことから学ぶことは結構すごい教材なのかもしれないと思います。

関係ない話ですが、保育園に娘を迎えにいったとき、複数の子供たちの中に自分の娘がちょこんと座っているのを目にすると、結構感動します。

子供を持つ親としては、心配は尽きませんが、良い教育環境を提供できるように親もまだまだ学び、考え続ける必要がありそうです。

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