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自己愛の彼らにとって、わたしは単なる現象だったんだな-後編

↑前編は
1 「言動に価値とかない」とは
2 父親について-実家のルール
3 友人について-実家を出た後の人間関係

です。



4 元夫とその親族-結婚と離婚



20代の半ばに結婚と離婚を経験したのだが、この元夫も順当に"自己愛さん"だった。
今思えば、彼の行動パターンはうちの父親にとてもそっくりだった。

元夫の言葉には真実味がなかった。
「おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にいよう」
「大好きだから絶対に離れたくない」
毎日のようにそれやめて、話を聞いて、すぐ怒鳴らないで、ドアを思い切り閉めてアピールしないで…など訴え続けても取り合わず、毎回嘘までついて、両親と一緒に3対1でわたしを責めるのに?

「通勤に必要だから車を買うしかない」
貯金が10万もないのに?他に買わなきゃいけないものがたくさんあるのに?

現在までの事実と、彼が未来について言うことは、繋がっていなかった。
それは他人から見てあまりにも乖離があるというだけで、彼の中では何の矛盾もなかったのだろう。

"自己愛さん"にとっては過去も未来も、周囲の都合や感情は一切関係なく、「自分がこうする・こうしたい」という自分の意思が全てなのだ。周りの現象はその時々に、自分の意思に沿ったり、邪魔してきたりする…というだけで。



結婚生活についてはちょっとここでは書ききれないくらい色々あったので省略するが、どんな理不尽な扱いをされつづけても、どうしても元夫と離れることができなかったわたしが目が覚めたきっかけがあった。
それが週2日のパートを始めたことだった。

職場の人たちと話していて家以外の価値観に触れたこと、自分の能力がちゃんと仕事として通用すると実感したこと、そして
「人間関係についての自分の価値観は間違っていない。変なのは夫と親戚たちだ」
ということがはっきりわかったこと。

その実感がわいてからしばらく経って、離婚を要求した時には、元夫が異質な生き物に見えていて、本当に、なぜこんな言葉が通じない人間と3年近く関係構築しようと頑張っていたのか、全然わからなくなっていた。

その時のわたしは自分の価値というものを認識できて、自分をもう少し尊重してもいいんじゃないか?と思えていた。
今思えばその時ようやく、実家のルールの脱却が始まったのだと思う。

(余談だが、婚姻中は性生活についてわたしが泣いて訴えても取り合ってくれなかったのに、離婚直前になって体を求められまくったのが本当にきもくて…
穏便に逃げ切るための代償だ…心を無にして体を売る!というような気持ちだった。今思えばこのときの行動も自分の価値を軽視していることがよく出ている)


5 離婚以降-価値観の変化



結婚生活での扱われ方に、その最中も混乱していたが、離婚後もまだ混乱は続いていた。
あのときああ責められたことはわたしが悪かったのか?
あのときのあれも、あの時のあれも…わたしが変なのか?でも酷いことにも思える…
わたしはその判断がまったくつけられなくなっており、当時の五感が押し寄せるフラッシュバックがしょっちゅう起こるようになっていた。
複雑性PTSDの治療の過程で、あの時起きていたことについて整理しながら「モラハラ」や「自己愛性パーソナリティ障害」「バウンダリー(自他境界)」のことなどを調べた。

↑GADHA(モラハラ加害者の当事者団体)の代表の方の発信はとても役に立った。

当時起きていたことは精神的DVだったし、自他境界がとんでもなく侵害されていたから苦しかったのだ。
起きていたことと、なぜわたしが苦しかったかの説明がついたことで、だいぶ混乱がおさまった。

ただ、整理が進んだことで、
「"自己愛さん"の彼ら(元夫を含め、親や友人やその他の人々も)にも、自己愛さんになった理由があるのだろうな」
とも思った。
彼らが親から無関心や過干渉で育てられたことや、家庭環境や、自己効力感を培うチャンスがなかったことや…
彼らもまた何かの被害者なのかもしれない。
でも、それは他者を傷つけていい理由にはならない。



自己愛やモラハラについての知識がついてはじめて、
「いままでわたしがされてきたことは、モラハラだったのか」
とわかって、大切にされていると感じられなかった理由も、わたしの思う愛が彼らに伝わらなかったことにも納得した。

わたしはいま愛について、
「相手が幸せで自由で、のびのびと生きていることを尊重する・権利を奪わない」
「お互いに相手をそういう風に尊重した上で仲良く協力するのが愛のある関係」
だと捉えている。

そのように尊重しあい、協力しあう関係の中では
「わたしの側は怒ってはいけない」などというルールはなく、
むしろ「いやなことをされたら怒るべき」だし「怒っていい」のだ。
更に言えば「悲しんでいい、楽しんでいい、喜んでいい」だし、相手の反応に怯えずに思ったことを言っていい。
それで相手がどう反応するかは相手の自由で、お互いがどう感じてもそれぞれの自由で、その上ですれ違ったら話せばいい。

そういう関係は、こちら側を"単なる現象(望んでないことが起きると不快)"として捉えている人とは構築できないのだと思う。

そして、
「家族くらいの距離が近い人間同士」だとしても、「わかりあえない相手もいる」
当たり前のことだけど、離婚してしばらく経ってからやっと、その事実を受け入れることができた。


6 これから

ここまでとんでもない文字の量になってしまったけれど…

幸いなことに、いまは安心できる環境にいる。
最近、ホテルのカードキーを「ピッてするのやってみたいからやらせて」と自分の希望を高らかに伝えたが、これは数年前の自分なら絶対に口に出せなかったことだと思う。

実家のルールからは結構脱却できてきていると思う。
いまは自分にはそれなりの価値があると思っているし、"自己愛さん"を認識できるので、何か侵略的なことを言われても「何言ってんの?」と拒否することができる。
混乱して従ったりしないし、傷つけられて当然の関係に自分から入って行ったりもしない。


ずっとわからなかったけど、彼らと「わかりあえない」ことを知れてよかったなと思う。
これからはわたしの好きなように生きようと思っている。

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