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自己愛の彼らにとって、わたしは単なる現象だったんだな-前編


「自己愛さんの言動には、特に価値とか意味ってないんですよね」
「行動基準がまず全然違って、”周りの人間が自分のいいように動く世界”に住んでいるので、自分に都合が悪いことをする人はおかしいから攻撃したり、無視したり、怒ったりする、と…」

最近聞いた言葉にとても納得した。
今までに数多くの”自己愛さん”と関わってきたが、本当にその通りだ。
両親と弟妹、元夫とその親族、何人もの友人…
家族以外とは関係を絶ってきて、振り返るととても大変な扱いを受けていたなと思う。

でも、なぜ、そういう人々と何度も関わっていたのか?すぐに離れなかったのか?大変な扱いを甘んじて受け入れていたのか?

端的に言えば、「人間関係とはそんなもんだ、と思い込んでいたから」だ。
その思い込みと、思い込みを外すまでの過程を振り返ってみようと思う。

後編は

4 元夫とその親族について-結婚と離婚
5 離婚以降-価値観の変化
6 これから

です。↓


1 「言動に価値とかない」とは


"自己愛さん"に出会ったことはあるだろうか?
関わったことがなければ、彼らのイメージはつきにくいかもしれない。
「逃げる以外の選択肢はない」とまで言われている自己愛、モラハラ、そういうタイプの特徴についてはよく話題になっているのでここでは割愛する。

彼らの言動に価値や意味がないのは、根本的に他人のことを"自分を取り巻く単なる現象"だと認識しているから
…だとわたしは思う。

まず、その世界には視点が本人の視点1つしかない。つまり主人公は自分で、そこからしか世界を見ることができない。
根本的に、他人にも人格があるとか、感情があるとか、そんなことには興味がない。
もう少し詳細に言えば、「自分の意思が最重要で、それに比べたら他人の感情とか都合なんて葉っぱ一枚くらいに些細で、基本的に意識を向けようとする必要なんてないこと」だと思っている。たぶん。

わたしが「それやめてよ、嫌だ」と意思表示することや、わたしが好きな服を着ることや…そういう時、彼らは怒る。

俺がやりたいようにしているのを邪魔してくんなよ。
こいつが面倒くさいことを言ってきたせいで俺の時間が奪われた。
俺の好みじゃない服を着ているなんて俺の意思に歯向かっている。
何様なんだよ。腹立つなぁ。
俺の意思をこんなにも尊重しないのは著しい攻撃だから、罰されて当然だ。

彼らの言動に意味や価値がないのは、自分を取り巻く現象に対する自分の主観のみの反応だからだ。
例えるなら、

強風が吹いた時に「さむ!帽子飛んでいった、くそっ」
出かけようとした時に「うわっ雨降ってるじゃん!自転車で行こうと思ってたのに、勘弁してくれよ〜」

というような文句と一緒で、人間相手に会話・対話をするのではなく、相手の気持ちを想像するでもなく、こうするのが当然だろ!と要求する。
だから意味がない。双方向のコミュニケーションをしようとする言動じゃないから。

ただし、彼らは本気で「自分が当たり前のことを言っている、相手が非常識極まりない」と思っている。


2 父親について-実家のルール


わたしの父親も、”自己愛さん”なのだと思う。
実家での生活で負った複雑性PTSDについて、今も(主病名の双極性障害とは別で)服薬・通院しているが、あの問題だらけの家庭の、一番の原因は父親なのだと思っている。


↑実家で起こっていたことについて書いているnote

父にとって子供たちは、「身の回りで起きている単なる現象」であり、「現象の中でも自分の家族として固有名詞がついている現象」だった。
「"家族"な訳だから家の外で起こる他の現象よりも自分が要求したりコントロール可能で当たり前」という認識なのだろうと思う。
(家の外では自分の要求で何ともならないことがたくさんあるので、処世術として腰の低い振る舞いをするとか…モラハラ人間の有名な生態ですね)

それは子供だけでなく母親に対しても同じで、母が面倒くさい怒り方をしていた時などは、父は本気で迷惑そうな顔をして
「まだ終わらないの?部屋行くわ、あんま大きい声出さないでね」
などとドアを閉めてこもっていた。

"単なる現象"が自分に対して不愉快なことを言ってきたり、自分の知らないことを学校で習ったと披露したりすると、当然父は大きい声で
「親に勝ったつもりなの?誰が稼いできていると思ってるの?大人に対してでかい口叩くなよ、寒すぎるよ?」
などと子供の立場を下げるために威嚇していた。



母のヒステリーとわたしにだけ向けられる悪意、父の自己愛モラハラ、それが実家のルールで、わたしが人生で最初に叩き込まれた人間関係のルールだった。

このルールから脱却するために16歳〜30歳までずっともがいてきたけれど、あのやばい憎悪をぶつけてくる母もおそらく(元々の資質はあれど)父からそういう扱いをされ続けていたのだろうし、全ての始まりは父のこの性質なのではないかな、と思っている。


3 友人について-実家を出た後の人間関係



10代は、クラスメイトと自分の人間関係構築についてが色々なポイントで噛み合わなくて大変だった。

ルールを守らない人を「おかしいでしょ」と叱ったり、怒って罵倒して突き放して、縋りついてくる過程が愛情だと思っていたので恋人に愛想を尽かされたり…。
自分の常識=うちのルール が批判されることが多く、かといって家ではそのルールに違反するとめちゃくちゃに罰せられ、しょっちゅう戸惑っていた。

20代に入ると、実家を出たこともあり段々正常な人間関係というものがわかってきて、ある程度快適に人とコミュニケーションができるようになっていた。

ただ、
「デリカシーがない人」
「わがままで自分勝手な人」
「周囲からえっ?とびっくりされるようなことをする人」

そういう、"コミュニケーションに体力がいる感じの人"が近しい友達に数人いた。
関係の中で当然のようにわたしの側が頑張らないといけない、負担が偏った関係。
めちゃくちゃな理屈で責められたり振り回されたり、わたしが「やめて!」と怒ると「なんだよそれ!」と、わたしを上回る勢いでブチ切れてきたり。

でも、そういう関係を断ち切ったりしなかったのは、わたしが人間関係を「そういうもん」だと思い込んでいたからだ。

わたしは少しひどいことを言われても平気だし、わたしの側にほとんどの負担がある関係でも、両親との関係に比べたら天国のようなもので、何一つ苦じゃなかった。
一般的に、言われたら「はぁ!?」と怒るようなことを言われても、わたしは柔和な態度を崩さず冷静に対応することができる。
その忍耐力はむしろ強みだとすら思っていた。

そして、
「どんな人とでも、関係を続けて、じっくり根気よく向き合い続ければわかりあえるのではないか?」
という、人間に対する希望を、わたしはずっと持ち続けていた。
その希望をどこかで手放すことができていれば、結婚はしていなかっただろうと思う。


すでにめちゃめちゃ長いぞ!
後編に続きます。

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