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食の記憶の温かさ〜往復書簡〜

※この記事は、私と碧魚さんとの往復書簡となります。盗み見てぜひ楽しんでください。過去の手紙のやりとりはこちらからご確認ください。
https://note.com/sabaryo/n/n9dc25d92c6d0


拝啓 碧魚まり様

 お忙しい中、ご返信ありがとうございます。いきなり「春の味覚」という無茶振り、申し訳ありませんでした。
 でも、まりさんの「空豆」という回答の中に、家族との思い出や自身の記憶、その手触りまで記されていて、大変面白く読ませてもらいました。思い出の食べ物のはずが、記憶にない。これはミステリーか?とさえ思いました。
 顔も知らぬまりさんが、幼い手つきでさやから豆を出す姿が頭に浮かび、温かい家族の風景を感じました。
 「空豆」というと、私は茹でたものしか食べたことがありませんが、醤油の煮付けで食べられていたのですね。郷土料理でしょうか?そうだとしたらまりさんが今後、ぜひ残していって下さいね。
 さて、そういえば「空豆」の名前の由来は

実が未熟なうちは空に向かって育っていくから

だそうですね。Google先生にお教えいただきました。「実が未熟なうち」は空に向かうのですね。私はこの由来を知って、なんだか人間と同じようにも思うし、違うようにも思いました。身体的な成長は人は空豆と一緒かもしれない、けど、精神的な成長はどうでしょう?人は身体と精神(中身)が比例して成長し、衰退していくものではないかも知れませんね。心に向上心を持てばいくらでも成長できるかもしれないと思うと、身体的な成長が終わった私にも希望が感じられました。
 「春」といえば新年度、新生活の季節です。もうすぐ、街には初々しいリクルートスーツを着た若者や大きくなることを見越して買ったであろうブカブカで新品の制服を着た学生を見かけるようになりますね。そういう姿を見ると、こちらまで何か新しいことをしなければならない気持ちになるのは私だけでしょうか?
 「空豆」のように碧空へ真っ直ぐ伸びるまりさんはこの春から挑戦されることはありますか?
もしあればお教え下さい。

空豆を探してスーパーをはしごする鮎太より
                    敬具


 
 

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