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やりたいことリストから考えるお金の必要性の話

あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい

夢/THE BLUE HEARTS


やりたいことリストの作成


 僕は常に少々の時間を持て余しますし、僕には常に少々の時間しかありません。『生きる』という最大のタスクの大部分を占めてしまう睡眠、そして労働。それらの遂行だけでただこの身が朽ちていくのを待つのはあまりにも『生きていない』と思うのは僕だけではないはずです。だから僕は、僕たちは、与えられた少々の時間のみに『生きている実感』を見出して、どうにかして気持ちよく寝たり働いたりできないかと考えると思うのです。

 そんな少々の時間の過ごし方を見つめてしまった人間がこぞって作る『やりたいことリスト』なるものを、僕はただ自分のためだけに、これまで何度も自己啓発の書や言葉にそれを『作れ』と伝えられたことを無視してきた自分を一度シュレッダーにかけてから、作ってみました。これが『やりたいことリスト』か。

 その項目が多すぎてしまったことから、それらに優先順位をつける作業や『それをやるために必要なものリスト』が更に必要になりました。本来であれば、おそらくこういったものはもう少し『自分を鼓舞する目的』というか、ざっくりと『幸せな未来を想像する目的』というか、そうであるべきであって、プロセスの明瞭化などの論理的な思考が介入するのは最初の段階では邪魔にさえなるのだろうとは思っているんです。

 ただ、僕の性分が『曖昧』であったり『ざっくり』であったりするものをリスト化してしまうことを嫌って、そうしてフローチャートのようなものを仕上げてしまう『拙さ』を認めてあげることも全て含めて、僕はこの『やりたいことリスト』を作ったのだと思っています。『やりたいことリスト』を作ること、それそのものが『やりたいことリストの消化』における最優先項目だったわけです。

 前置きが長くなりましたが、僕はこの『やりたいことリスト』を作成している過程や、出来上がったそれを眺めている間に、至極当然のようにこんなことを思いました。

『ああ、お金が必要だな』と。

 この感想を持ってしまったこと自体が、先述した自身の『拙さ』を認めること以上に、自身の『俗人味』を認めなければならないという少々寂しい現実を僕に突きつけてきました。きっと僕は前向きになりたかったはずなのに、この時点では『俗だなぁ』と思うしかなく、何か自分に特別なことを期待していたわけでもなかったはずなのに、がっかりしたのです。それも含めて、僕はとても『俗』です。

 しかしながら、そんながっかりした心境はともかく、ここで僕はこの『やりたいことリスト』を作った意義を見出すことができたと思っています。それは今まで考えていたようで考えていなかったことで、知っていたようで知っていなかったこと、僕には『どうしてお金が必要なのか』という答えを見つけたような気がしたからです。リストを作った時点で『よっしゃー!頑張るぞー!』で終わらない自分のこと、やはり別に嫌いではないですね。

 僕のこれまでの人生の詳細については惜しみもなく省略するとして、裕福と貧乏の双方を成人してから経験したということだけ述べさせてもらいます。それはよく言う『人生はお金がすべてか?』という論について、言語化できるかどうかの是非はさておき、自分が『おそらくこれが正解だろう』という価値観を持ち合わせていると自負することになった要因そのものです。そんな自負がありながらもどうしてか見つけることができなかったものを見つけたので、『やりたいことリスト』を作るって本当に素晴らしいことですね。

自分に対して自分を表現する欲を満たすことが人生の幸福(?)


 『やりたいことリスト』を眺めていると、これは『自己の表現』なのだと強く感じました。抽象的なものの表し方になってしまうのですが、このリストはやりたいことをやっている自分を形にした時間を過ごしたいという欲の塊なんですよね。与えられた少々の時間で嬉しい楽しいという感情を得ることよりも、それを表現する経過そのものを欲しているようなイメージです。(もしかしたらここで『自分には当てはまらないな』と感じる方もいるかもしれませんがご了承ください)

 このリストに沿って物事を行っていった場合、僕たちはその瞬間を楽しんだうえで、計画を練るプロセスがあったが故により正確にそれを振り返ることができます。『やりたいことリスト』を作ってそれをこなしていこうと思って動ける人間は、その振り返れる積み重ねのほうを欲している気がするんですよ。それがまさに『どんな人生を歩んできたか』ということそのものじゃないですか。

 そういうタイプの人間は、リストがあろうがなかろうが実は同じことを常日頃から無意識にやっていると思います。僕は自分のこれまでの人生を振り返ってみるとそういった傾向があって、リストを作ることでそれを初めて自覚しました。

 その欲を満たすために必要不可欠となるものが時間であり、他人であり、お金なのです。やりたいことリストの項目によっては他人はいらないかもしれませんが、時間とお金はほぼ確実に必要でしょう。あれが欲しいこれが欲しいという物欲に消えていくお金がここで言う『表現欲を満たすためのお金』と明らかに質が違うのは、想像していただけるだけでよくわかると思います。

 人生にはお金が必要です。それが何故でしょうかと問われたら、僕は『自分に対して自分を表現するため』と答えます。裕福になっても自分に対して表現したい事が何もなければ、僕たちはお金をただ物欲の消化や表面を着飾ることだけに充てていきますし、そういったことばかりに意識を割いた時間だけを過ごしていると振り返って笑えることがほとんど残らないんですよ。

 逆に言えば、自分が自分に対して表現したいこととそれにかかるお金が明確になっていて、それをこなしていれば、普遍的に裕福とされる収入がなくたって満たされた人生だと感じることが可能だと思いますし、無意識でそうやって人生における幸せを勝ち取れている人がごまんといるとも思っています。

 『お金があったら欲しいもの』と『お金をかけてやりたいこと』は全くの別物です。後者においては『お金』が『時間』に置き換えられるケースもたくさんあるでしょう。生きているうえで前者が満たされないことは意外と諦めがつくのですが、後者が満たされないことは簡単に人間を不幸にします。僕は後者にとことん焦点を当てた人生をここで選びたいと、『やりたいことリスト』を眺めながら強く感じました。


とは言うものの……


 しかしながら世の中は厳しく、お金を稼ぐということに関しては才能、その才能を活かすための努力、その努力が報われるための機運が、程度を問わずどうしても必要になってしまいます。もともと物欲の強い方であれば、やりたいことをやるため以外にかかるお金も多くなりますし、考え方を変えることだけで不幸を回避できればいいのですが、実際は必ずしもそうはなりません。なければどうにもならないなんてことは大前提ですからね。

 なので、そこにまつわる不満というものを確実に解消する方法というものはありません。これは人生において何故お金が必要なのかをかみ砕いて理解することができれば使い方を誤りにくいというだけの話である、というのが寂しいところなんですよね。

 冒頭で述べたように、僕たちには常に少々の時間しかありません。その時間を「お金を使って自分を表現していって人生に納得していく」ということに使う段階の前に、お金が足りない人はその少々の時間を『お金を稼ぐことに使う』という選択をするのもいいと思います。タイムイズマネー。

 もしよかったら『やりたいことリスト』を作ってみてください。そこに書いた文字の向こうに、僕のように何かが見えてくるかもしれませんからね。

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