見出し画像

伏線は回収しなければならないものなの?

今日は一日休みだったが、何だか無駄に過ごしてしまった気がする。

朝からカターレ富山関連のnoteを書いていて、午前中で終わらず、午後3時頃までかかってしまった。

その後は、急に眠気が襲ってきて、サッカーを横目に見ながらしばらく昼寝して、気がつけばもう夕方5時近く。

何か書こうと思っていたが、いいネタが思い浮かばない。
今日聞いたポッドキャストで印象に残ったものを書こうかとも思ったが、それもしっくり来なかった。

そこで、ちょっと小ネタを。

あるテレビドラマのこたつ記事みたいなものに書かれていたこと。そのドラマでは放置されたままになっていることがいくつかあるが、その伏線はこの素晴らしいドラマだから、必ず回収される確信があるというものだった。

最近、伏線が回収されることがやたらと喜ばれる風潮にあるように感じる。あれが伏線だったのか、など、ドラマの後にはTwitterにはそういう声であふれる。

だが、ここまで来ると、ドラマってそうやって味わうものだっけという疑問が。
何だか以前書いたことではないけれど、伏線回収マウントが行われているようにも感じる。

もっと気楽に肩の力を抜いてみるものじゃないだろうか。
たかが、と言っては怒られるけど、テレビドラマである。
基本的には娯楽のはず。

伏線が回収されるのか、と見るのも娯楽と言われればそのとおりなのだが、ドラマの楽しみ方はそれだけではないのでは。
あのシーンが良かった、あのセリフが良かったなど、もっとそういう楽しみ方もありなのでは、と思う。

ということで今日は終わり。
今日の記事に伏線はないです。はい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?