打席に立って、思いっきり振る

🙆‍♂️ちかちか毎日の積み重ね語録807

【打数>打率が重要かなと】
三振しても三振しても最後まで打席に立ち続けた人が生き残っている。

【人生とは打率ではなく打数だと思うようになってきた】

野球好きな私も、最近こんな風に思うようになってきた。

行動する人としない人の差はなんだろう?
すぐ返事する人とそうでない人の差は何だろうか?

人生を打率で計ってはいけない。
人生とは打数なんだよね!

迷ったときは、打席に立つ。
空振りしてもいいから、恥をかいてもいいから、打席に立つ。

打席に立てるチャンスがある時は果敢にチャレンジする。

目先の打率を上げることは考えない。
目先の打率を上げようと考えるから、いろいろ悩み、プレッシャーがかかる。

それよりも打席に立つ。
たとえ打てなくても、いま出せる自分の最大限のチカラで打席に立つ。

なので、私は、レギュラーでもないのに(笑)
打数はたいていの人よりかなり多い。
相当多いかもしれない。

当然、そんなに打てるわけではないから、打率は下がる。

自分だけの想いが先行しすぎて、周りがついてこなく、がっかりすることもたまにある。

多少傷つく事や、思い通りに進まない事など、打数が多い分、増える。

しかし、それを恐れては、新しい自分と会えないことも事実で、楽しくない。
といつも自分に言い聞かせている。

結局は、一度の人生という長いような短い大舞台で、打数が多い人生の方が、結局楽しいと思うからだ。

打率を下げたくないがために、「いま調子が最高ではないから今回は打席に立つのをやめよう」とか「もっと絶好調のときを待って打席に立つことにしよう」とか、「今は、そんな力ないから幹事とか難しい」とか、「独立しても、バイヤー勉強会の講師なんて今の自分には無理」とか、打席を毎回見送っていたら、きっといつになってもチャンスは回ってこない。

調子悪くても、打席に立つことで、調子の上げ方もわかってくるかもしれない。

まだその分野で初心者であったとしても、三振覚悟で打席に立ってみること。

そっちのほうがずっと重要だし、なにより自分の事を好きになれる。

高打率だけど打数が少ない代打人生と、低打率だけど打数はだれより多い一番打者人生のどちらが楽しいと思うか?

僕自身は、まったくヒットが打てないことが続いたとしても、人より多く打席に立ち続ける方を選ぶ。

何度も言うように、たった一回の人生だ。
生まれてきた事に感謝出来れば、打席立つことなんか、何も怖くない。
みんな真っ暗な産道を潜り抜けて新たな未知なる世界に飛び出てきた経験を既に誕生日に経験している。
だから、何でも出来る!ひとつでも多く経験したほうが楽しい。

確かに、一見打率が高い方が格好いい。
どうせなら三振もミスもエラーしたくないし、損もしたくない。
かっこよくも見せたいし、いい思いもしたい。

だから調子のいいときを選んで、自分の得意分野だけ選んで、用意周到に準備できる打席だけに立つ人も多い。

確かにそうすれば打率が上がる可能性は増えるだろう。
勝負強いとか褒められるだろう。

でも・・・打数、少なくない?

一度の人生、そんな少ない打数で楽しいと思えるか??

目的は、誰かに褒められるためではない。
自分が満たせるかどうか、そしてみんなに笑顔を通じて貢献できるか?ではないか?

一試合に1打席だけ代打で打席に立つ3割打者と、毎試合5打席立てる一番バッターの2割打者と、どっちの人生の方が結果的に楽しいと思うか?

人生の悩みの多くは「他人との比較」だ。

相対的に他人と比べると、それが悩みになる。
相対的な比較。
つまり、それが打率である。

◎独自性
自分も、お店も、会社もこの独自性を失ったら終わりだ。
他社との差別化と言っている企業は危ないと思う。

株式会社Enjin Plusらしさをどこまで貫けるか??

あくまでも、今目の前のお客様にどう最高に喜んで頂くか?を考える事が大切。
この基準がブレなければ、他人、他社と比較する事なく、人生楽しくなる。

鉛筆も包丁も毎日削って、研ぐから【らしさ】を発揮する。
自分らしく、自分らしさを発揮するには、毎日の【価値観】の持ち方の違い

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