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2024/06/18(火) 日記。線状降水帯。長渕VS王貞治。ハラキリは嫌だ。

大雨。
四国が線状降水帯のおそれありと天気予報が言っている。
大阪もかなりの大雨で、今日は歯医者の日だが、傘を差して歩いて行ったのだが、
着いた頃にはスボンが太ももまでびしゃびしゃ。
定期的に歯の掃除。

鉄道はどこも問題なく動いている様子。

今日は洗濯物は室内だな。

英語の動画などを見ていて、途中休憩でおもしろ動画を物色。
長渕剛が王貞治と対談している。なんじゃこりゃ!
長渕氏が王さんにお話を聴かせていただいている、と言う感じ。
そりゃ当たり前だけど。
王さんはさすがふところが広いなあ、と。
日本刀で素振りする話も、同じことをもう何万回も話されてきたのだろうなあ、
そしてこの人も知っているのに訊いてくるなあ、でも動画を見ている若い人は
知らないだろうなあ、という感じで面白そうに語ってくれる。
王さんいつまでも最高。

あ、日本刀で思い出した。三島の映画、途中までだった。

途中で誰か帰ってきたので、長渕王対談は中断。

夕飯は豚キムチをリクエストされた。

夜、例のこのあいだの井浦新の三島由紀夫の映画の続きを見る。
例の市ヶ谷駐屯地の檄のシーン。
井浦新が熱演していた三島は、哀れで滑稽なだけという感じに描かれているようだった。
そして、自決。
壮絶なシーンだが、今見ると、だろうか、実に哀れで滑稽。
だが、笑えない。

とはいえ、彼ら(三島と森田)はやっぱり普通ではなかったのだ。

普通の人は、テキトウに生きて、そして寿命が来ているのにそれを自分でも認められず、
じたばたして死ぬ。みっともないものだが、そういうものだ。
死ぬ間際を美しく、などというのは幻想だが、まあそれが芸術というものなのかもしれない。
芸術ファンとか、芸術を商品として取り扱う業界でメシを食っている人は、無責任だよね。
芸術を作る人に対しては、命を削ってでも人を楽しませろとか、未だに言っている。
三島は本当はどうだったのか、不勉強ながら知らないが、
冷静に信念の下に腹を切ったのかな?「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」と嬉しそうに語るシーンがある。

そう言えば、岸田秀先生が三島について書いていたかも。
彼は全く精神がもともと死んでいた、作り物の精神の持ち主だったから、云々と
だから造花のような美しすぎる言葉で文芸をこしらえる才能があったと。
だがやっぱりそういう人生は虚しく、本当の生を生きたくなって、腹を切らざるを得なかったと。
(これ、間違って記憶しているかも知れないが。。。)

いや、しかし、とにかくハラキリは嫌だなあ。絶対ムリ。

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