noteを書き始めたのは何故だったか?
noteで文章を書き始めたのは何故だったか?
「ボケ防止」。
冗談や照れ隠しではなく、本当にそのつもりだった。
学校卒業以来、文章を書く必要性がほとんどない生活。
それが何十年と続くと、いいかげんこんなことでは「アホになる」と不安を感じたのだ。
人が「書くこと」の何より一番の目的は、「考えを整理する」ためだという。
文章教室の本にもよく、「書くこと=考えること」と書いてある。
つまり人は「書かずに考えることは出来ない」ということだ。
頭の中で単にぼんやり思いを巡らせているだけでは「考えている」とは言えない。
実際、それは同じところを堂々巡りするばかりで、どこへもたどりつけない場合が多い。
考える目的は、現状を明らかにして、良い状態にすること。
考えるとは、言葉によって答えを出すこと。答えを可視化すること。
それには「書く」ことが大きな力になる。
そして、ようやく最近私は、多少は読む人のことを考えた方がいいのだろうと思うようになった。
というのも、すでにアップ済みの文章を自分で読み返したときに、「ああ、これは今ならもっと上手く書けるかもしれない、書き直したい」と思うことがよくあるからだ。
要するに自分が「読みにくい」文章を書いていると気が付いたのだ。
それらを書いていたときは、とにかく「頭の中を整理する」、
「言語脳を使う」ことを無理してでもやって、「ボケない」ことが基本だった。
もちろんそれ以上に、「自分の心の中のモヤモヤしたものを言葉にして目に見えるようにすること」が大事である。
当時はそれらをなんとか自分の中ではクリアしたと、満足してアップしていたのだ。
ところが、それがある程度の時間を経て現在の自分の視線から読み返すと、「まだ整理しきれてない」ところが見えてくる。そしてやはり、書き続けないとその能力つまり考える力は向上しないと気が付く。
いかん、これではまた「ボケ」が加速してしまう。
このように、人生はなかなか厳しい。
年齢による退化、劣化に抗わず流れに任せ、ぼんやり生きるのもいいかもしれないが、やはり自分は最後まで「しっかり生きたい」。
明日は敬老の日。僕は今月、還暦を迎える。
もう十分「おじいさん」の年齢だが、少しでも長く元気でいたい。
こころもからだも。
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