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【読書記録】河口和也『クイア・スタディーズ』、「1. レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望」を読む。

本noteは、ジェンダー・セクシュアリティ分野のクィア理論に関する入門書、河口和也『クイア・スタディーズ』(2001)の読書記録である。今回は特に第1部である「レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望」を読解し、要約する。

○目次

1. レズビアン/ゲイ・スタディーズからクイア・スタディーズへーー欲望の理論と理論の欲望

第1章 レズビアン/ゲイ・スタディーズ前史
1 同性愛解放運動の黎明期ーードイツにおける同性愛の「犯罪化」と「病理化」
2 ホモファイル運動

第2章 レズビアン/ゲイ・スタディーズ
1 ストーンウォール暴動
2 ゲイ解放運動
3 同性愛ー抑圧と解放
4 ホモフォビアとヘテロセクシズム
5 レズビアン・フェミニズム
6 「エスニック・モデル」化する同性愛
7 セクシュアリティ

第3章 クイア・スタディーズ
1 クイア理論/研究を取りまく背景
2 同性愛者、レズビアン/ゲイ、クイア
3 「クイア理論」の台頭
4 深刻化するエイズ問題
5 クイア・アイデンティティ

○全体要約

セクシュアル・マイノリティの社会運動史
セクシュアル・マイノリティ(今回は特に同性愛者に関して)の権利を推進させる運動のあり方は、時代や状況に応じて異なる。まずキリスト教において同性間の性行為は「自然に反する罪」と考えられ、中世以降、法令を介して犯罪とされていた。そうした状況に変化があったのは19世紀である。その当時、西洋では産業化に伴い、未来の労働を担う未成年の保護が法的に行われた。その際、ありあまる性欲ゆえの行為とされていた同性間の性行為がより厳罰化されたのだった。それに対抗したのが当時の性科学である。そこでは、新たに「同性愛(ホモ・セクシュアル)」という概念が提唱され、異性間で性行為を行う者と同様に、同性間で性行為を行う性質を持つ者がいるとされた。これをもとに、同性間の性行為は風紀を乱すものではなく、またそれは生得的な”異常”(のちに不当なレッテルであるとされた)であるため、刑法の対象となるにはふさわしくないという論理で反論したのだった。次に顕著な運動がみれたのは、1950年代のアメリカである。この運動は「ホモファイル運動」と呼ばれており、社会の「男らしさ」「女らしさ」に迎合し、同性愛者の無害性を主張した。このようにホモファイル運動は社会への同化戦略を取り、保守的であったが、同性愛者としての集団的アイデンティティを醸成する機会をつくったのだった。その後状況を大きく転換させたのは1969年、アメリカのニューヨーク州で起きた「ストーンウォールの暴動」である。当時ゲイバーに対して警察の執拗な手入れが行われていたのだが、その日これまで受けていた抑圧と溜まっていた鬱憤が爆発し、アメリカの異性愛者たちが実力行使による抵抗を行ったのだった。この抵抗は「ヘアピンの落ちる音が世界にとどろく」ように、世界に知れ渡った。これをきっかけに解放主義的な運動が行われるようになり、非異性愛者としてのアイデンティティに基づいた権利の主張がなされるようになった。これは当時の潮流でもあった「対抗文化(カウンター・カルチャー)」と同様に、主流文化(異性愛文化)に、自らの同性愛者の文化を対抗させるかたちを取った。ただこのように一つの性質「同性愛」で結束する仕方は、次第にそのコミュニティ内部に差異があることを顕在化させた(例えばレズビアンとゲイの差異、白人同性愛者と非白人同性愛者との差異)。また同時に1980年代におきた「エイズ・パニック」により、プライドに重点を置いた運動ではない、別の運動の形態が模索されたのだった。それがのちに見る「クイア・ポリティクス」である。以上のように、これまでのセクシュアル・マイノリティの主な運動は、すでにある規範や、状況への対抗でもあり、セクシュアル・マイノリティの生の範囲を狭める権力に対する抵抗の可能性は、多くの場合、歴史的あるいは/そして文化的条件によって規定されてきたのである。つまり、当時の文脈と独立した運動というのはないのである。

名乗りの変化「ホモセクシュアル」→「レズビアン/ゲイ」→「クイア」
セクシュアル・マイノリティが自らを名乗る名称らには、それぞれの運動のあり方が刻まれている。まず「ホモセクシュアル」という言葉が出る以前は、同性間の親密性は人間が持つ普遍的な性質として考えられていたため、名乗る必要はなかった。だが「ホモセクシュアル」というカテゴリーが出来てからは、それを名乗ることになり、また「生得的な”異常”」とすることによって、恩情を乞うていたのである。ただ、その後に用いられた「レズビアン/ゲイ」は、「ホモセクシュアル」のように社会から名付けられたものではなく、自ら権利主張をする者として自称を一新させた。その後新しく用いられた「クイア」という語は、そもそも英語で「変態」あるいは「オカマ」と性的少数者を侮蔑的に指し示す言葉であり、それをあえて被差別者である当事者が自称したのである。ここには社会や文化に働いている「同性愛/異性愛」の序列化を揺さぶる態度があり、すでに劣位に置かれている「クイア」をあえて使い、それが持つ撹乱可能性に賭けているのである(デリダで言えば「古名の戦略」と言えるだろう。)

議論の焦点
セクシュアル・マイノリティのそれぞれの社会運動は、問題として焦点を当てている場所が異なる。特にゲイ解放運動の際に生まれた「ヘテロセクシズム」概念とクイア・ポリティクスを特徴づける「ヘテロノーマティヴィティ」概念は、問題とする点が微妙に異なる。まずそもそも、同性愛を抑圧・差別する社会にその原因を求めるようになったのは、解放主義的傾向が強くなった70年代に入ってからである。その傾向を代表する概念が「ヘテロセクシズム」である。これは「性差別と人種差別というすでに存在していた概念を参照し、異性愛を中心に展開される構造や制度を問題化することに力点を置いた社会学的概念」である。これは同時期の概念「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」が差別する個人の内面を問題視したことと差別化される。この「ヘテロセクシズム」の考えをより進めたのが「ヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)」である。これは、われわれを取り巻く文化に働いている「正しい性愛のあり方を異性愛に限定する」動き、つまり「同性愛/異性愛」の序列化に注目する。そこで、いかに権力によって、その序列が「自明」「自然」とされているかを暴き、その序列を揺さぶるのである。このように「クィア・ポリティクス」とは、差別的な言説に対して、新たに自ら一貫している対抗言説をつくるのではなく、既存の言説に寄生し、その言説を書き換えるような運動を行う。その態度は、すでに序列化の渦中にある「クイア」をあえて用いることからもうかがえるだろう。またこうした戦略はアイデンティティを起点にしないため、先ほどのコミュニティにおける一枚岩問題を回避することができるのであった。


○各章、各節の読書メモ

第1章 レズビアン/ゲイ・スタディーズ前史

1 同性愛解放運動の黎明期ーードイツにおける同性愛の「犯罪化」と「病理化」
・「同性愛を「犯罪」として法によって規制する動きが存在したのと同時に、そうした言説を廃棄し、それにかわって同性愛を「病理」と考え、医療化しようとする動きが出てくる。(中略)医学的言説あるいは医療化言説は、同性愛の「犯罪化」に対する対抗言説として機能したのである。
→まずキリスト教において同性間の性行為は自慰行為と同様に「ソドミー」と呼ばれ、「自然に反する罪」とされてきた。それは溢れる性欲ゆえの行為と考えられていたのだった。また中世において、その宗教的規範の背後に国家という権力が置かれるようになり、これにより同性間の性行為は宗教上の罪であり、法令により犯罪となった。上記の「犯罪化」は、この中世のことを指しているのではなく、19世紀末にドイツなどの西側諸国で、未来の労働力を担う子どもたちを守るために同性間の性行為が「厳罰化」されたことを指している。この厳罰化に対抗しドイツの法律家、また性科学者が「同性愛(ホモ・セクシュアル)」という言葉を使い、同性間の性行為が行われるのは放埒さゆえではなく、異性間で性行為を行うのと同様に、同性間で性行為を行う傾向があるゆえであり、それは生得的なものであるため、刑法の対象となるにはふさわしくないことを指摘した。つまり「自然に反している」のではなく「当人たちに取っては自然なことである」という論理で脱犯罪化させたのである。ただ、この「同性愛者」は病理として考えられており、のちに「異常」という表象をひきづることにもなる。(三島由紀夫の『仮面の告白』(1949)では、ドイツの性科学者マグヌス・ヒルシュフェルトを引用し、自らの同性に対する欲望を「遺伝的変異による性的倒錯」としている。)

2 ホモファイル運動
・「「マタシン協会」も「ビリティスの娘たち」も、少なくとも社会への「迎合」をひとつの戦略としてもつようになったけれども、・・・」
→1950年代、戦後アメリカで目立った同性愛権利運動に「ホモファイル運動」というのがある。「ホモファイル(homophile)」とは「同性愛」のことを指し、性愛の「セクシュアル(sexual)」ではなく、ギリシャ語の愛である「ファイル(phile)」を用いたのであった。ここからも大衆に迎合し、聞こえが良いものを選んでいるのが分かる。この「ホモファイル運動」で特徴的なのは、書いてあるように「社会への迎合」である。つまり「同性愛者である方は、社会規範である「男らしさ」「女らしさ」は乱しませんよ」とする態度である。現に彼らは「世間で受容されているジェンダー特性の概念を侵犯するような、たとえばドラアグクインやブッチの情勢などから自分たちをできるだけ切り離しておこうとしていることを公言していた。」また社会的に発言力のある専門家にお伺いを立てることによって自分達の正当性を確保していた。
→また「マタシン協会」は、もともと共産党が主催する団体であり、そこには「同性愛者を支配的文化によって抑圧された集団としてみる立場」もあった。しかし戦後アメリカの赤狩りの影響があり、参加者たちは共産党と協会の関係を不安視していた。結果的に団体は共産党から独立し、団体内はそうした変革の立場ではなく、社会迎合的な立場が支配的となった。このように「マタシン協会」は保守的ではあったが、これによって同性愛者のコミュニティが醸成したのは確かである。


第2章 レズビアン/ゲイ・スタディーズ
・「1969年、ストーンウォール暴動を期に、アメリカ全土ばかりでなく主に西洋圏を中心にレズビアン/ゲイによる解放主義的運動が展開された。」

1 ストーンウォール暴動
・「この出来事が、アメリカの異性愛者たちの表立った実力行使による抵抗であるとすれば、それはやはり「暴動」あるいは「蜂起」という言葉に値するものである。」
→ストーンウォール暴動とは、1969年6月にストーンウォールにあるゲイバー「ストーンウォール・イン」で起きた警察と客であるセクシュアル・マイノリティらによる攻防戦である。当時ニューヨーク州にあるゲイバーは警察による執拗な手入れが行われており、その日も同様に警察が取り締まりを行っていた。またその日はゲイ・アイコンであったジュディ・ガーランドの追悼の催しが行われていた。それを邪魔されたことが一種の火種となり、これまでの抑圧、鬱憤が爆発したのだった。このように社会に迎合するのではなく、社会権力に対して真っ向から立ち向かう動きは「ヘアピンの落ちる音が世界にとどろく」ように世界中に知れ渡った。今でもストーンウォール暴動は、解放主義的運動のひとつの「起源」として象徴化され、語られている。

2 ゲイ解放運動
・「解放主義的運動は、異性愛者たちと同じであることを主張するのではなく、また異性愛社会が非異性愛者たちに対して抱いている不安に迎合することを拒み、異性愛と非異性愛のあいだの差異を鮮明に打ち出していった。したがって、解放主義的運動の根幹を支えるのは、そうした差異による非異性愛アイデンティティという考え方であり、またそのようなアイデンティティの表明としてのカミングアウトという政治的戦略だった。」
→この解放主義的運動は、ホモファイル運動の同化戦略ではなく「差異に基づく運動」であった。つまり「私たち(同性愛者)はあなたたち(異性愛者)と同じ」として「あなたたち」に迎合するのではなく、「私たちはあなたたちとは違う」とし、「あなたたち」に対抗する文化としての「同性愛者集団=文化」を認めろという議論の立て方である。また、こうした運動の背景にはさまざまな文化的状況があると考えらている。社会学者のジェフリー・ウィークスは「同じような状況における多くの人々の存在」「地理的集中度」「抑圧のターゲットが確認可能であること」などの5つの条件が当時のアメリカには備わっていたとする。また、1960年代には女性解放運動や、アフリカ系アメリカ人を中心とする人種的マイノリティ運動が行われており、主流文化や制度に対抗するという戦略を取る「カウンター・カルチャー」の潮流があった。そうした文脈からゲイ解放運動が起きたというのを忘れてはならない。

3 同性愛ーー抑圧と解放
・「1960年代から1970年代初頭における同性愛解放運動を記述し、その後の運動の理論的支柱になったのは、なんといっても1971年にアルトマンによって書かれた『同性愛ーー抑圧と解放』である。」
→デニス・アルトマンは、オーストラリアの政治学者で社会学者であり、1960年代にアメリカに留学していた。その留学中にゲイ活動家と出会い、共に活動した。帰国後、同性愛権利運動について書いたのが『同性愛ーー抑圧と解放』である。邦訳は、岩波書店から出ており『ゲイ・アイデンティティーー抑圧と解放』と題されている。

4 ホモフォビアとヘテロセクシズム
・「同性愛を抑圧・差別する社会にその原因を求めるようになったのは、解放主義的傾向が強くなった70年代に入ってからの特徴であった。
→その当時、新たに「同性愛嫌悪(ホモフォビア)」と「ヘテロセクシズム」という概念が生まれた。「同性愛嫌悪(ホモフォビア)」とは、心理学の概念であり「同性愛に対する恐怖症」である。次の「ヘテロセクシズム」とは、「性差別と人種差別というすでに存在していた概念を参照し、異性愛を中心に展開される構造や制度を問題化することに力点を置いた社会学的概念」である。これらは同性愛に関する問題を、差別する者、差別する社会の方に原因があるとする見方である。

・「「ホモフォビア」概念が同性愛を嫌悪・恐怖する個人をその対象とし、治療・教育的効果を目指していたのに対し、「ヘテロセクシズム」概念は差別の原因を個人ではなく社会構造に求め、その目的を社会変革に位置付けていた。」
→ただ「ホモフォビア」概念は、単に差別を差別する人、個人の問題に矮小化させることになってしまう。つまり「あの人は、同性愛に対して恐怖を抱いてしまう人だから、まあ教育すればいいのだけれど」と問題を個人のレベルに還元してしまうのである。一方「ヘテロセクシズム」は具体的な社会制度を問題にする。現在では、「個人主義的な病理としてのホモフォビア」という見られ方はレズビアン/ゲイ研究においてはされていないという。

5 レズビアン・フェミニズム
・「ゲイ解放運動の中でも女性解放運動のなかでも、レズビアンの存在は小さいものとみなされてしまい、ますます周縁化され、レズビアンたちは疎外感を感じていた。」

・「ゲイ男性とレズビアンとは、同性愛、すなわち性的対象選択において共通性を有する。しかし、セクシュアリティをジェンダーという軸で切ってみると、それはまた異なった様相を呈するのである。ここで、ジェンダーとセクシュアリティという二つの軸の交差する地点に位置するレズビアンの問題が生まれてくる。
→そもそも「ホモ・セクシュアル」と「ゲイ」は「同性愛者一般」を指しているため、男性も女性もそこに含まれており、ゲイ解放運動は「異性愛/同性愛」というセクシュアリティの対立で運動を行なっていた。しかし同時にフェミニズムにおける「男性/女性」というジェンダーの問題もあるため、同性愛者集団の中でも「同性愛男性/同性愛女性」では差異が生じるわけである。ここにレズビアン固有の問題区域が存在するのである。これは白人女性と黒人女性の問題には差異があることと同様の構図である。
→そのために「ゲイ」から「レズビアン」を独立させ、かつ埋没しやすい「レズビアン」を先頭に「LG」と並べていったという経緯がある。

・「セクシュアリティ問題への取り組みを促すような背景が存在しても、女性運動や女性学は依然としてレズビアニズムに対しては慎重に距離を取っていた。」
→フェミニズムの中でも「異性愛女性/同性愛女性」の間には差異があるわけだが、70年代までフェミニズムは「同性愛女性」を遠ざけていた。理由としては、「レズビアンどうしの関係性にはつねに(いわゆる「男役」と「女役」による)役割分業が伴っており」、性的役割を再生産する恐れがあったからである。それに対して、アメリカの女性詩人であるアドリエンヌ・リッチが問題提起し、異性愛女性と同性愛女性の問題を理論的に架橋した。

6 「エスニック・モデル」化する同性愛
・「エスニック集団モデルとは、明確な人種あるいは民族的な差異に依拠することにより、それまで周縁化されていた集団の市民権やその他の権利が保障され、主流の人種・民族集団との平等が確保されることを目指すものであるが、レズビアンやゲイがこのような考え方をモデルとすることで、性的なマジョリティに対して性的マイノリティが確固とした集団として想定されるようになる。」
→人種または性別となると視覚的にも差異がはっきりしている。しかし同性愛、とりわけ「ホモ・セクシュアル」という概念が生まれる前は、同性愛とはその人固有の性質ではなく、同性間の親密性、または同性間の性行為それ自体を指しており、それは隠せるもの、クローゼットなものだったのである。しかし、はっきりと同性愛者コミュニティとして可視化されることによってオープンになり、それが人種や民族などにみられる「エスニック集団モデル」として想定できるようになったのである。これによって「このコミュニティを承認しろ」という形で運動することが可能になったのである。

・「1970年代における性解放という方向性のなかで、ひとつの「人種集団」のように出現したレズビアン/ゲイ・コミュニティは、有色人種のレズビアン/ゲイの存在によって、ひとつの「統一された」集団やコミュニティではないことが明るみに出された。」
→「エスニック集団モデル」、つまり一つの民族、一つの人種、一つのセクシュアリティによって結束するモデルでは、問題の中心になっているその事柄のみが取り上げられ、他の問題は周縁化する可能性がある。レズビアン/ゲイ・コミュニティであれば「白人同性愛者/黒人同性愛者」の間の差異が消されてしまう。有色人種のレズビアン/ゲイの存在が明らかになることで、そうしたコミュニティが一枚岩でないことが明らかになったのだった。

7 セクシュアリティ
・「性的指向によって、同性愛者たちは、異性愛者とは明確に区別され、性的指向が含意する「不変性」ゆえに「人権」という基本的権利を目指す主張や運動が可能となったことも確かである。しかし、同時に、異性愛のさまざまなセクシュアリティの形態を理解しようとするとき、こうした二元論的な性質をもつ性質をもつ性的指向という概念は、セクシュアリティの複雑さや多様性を捨象してしまう危険性を持つものでもあった。」
→これまで「セクシュアリティ」を「性的指向」、つまり「その人の恋愛感情や性的関心が、どの性別を対象にしているか」と考えていたが、「セクシュアリティ」とは「性現象一般」であり、S /Mなどの性的嗜好も含むものである。ただ前述の通り「性的指向」という概念を作り出すことによって、明瞭で先天的な差異として「セクシュアリティ」を定義でき、それが権利運動を行う足場となったのだ。
→「標準的なセクシュアリティ」と「非標準的なセクシュアリティ」の差が強くみられたのはレズビアン・フェミニズムの領域であり、たとえばSM、バイセクシュアリティ、ブッチ/フェムなどは家父長制に対して同化することと同義であると考えられてきた。1980年代には非標準化されたセクシュアリティがレズビアン・フェミニズムの中に可視化して登場し、「標準化」とのあいだの政治的焦点が顕在化した。


第3章 クイア・スタディーズ
1 クイア理論/研究を取りまく背景
・「クイア研究において、ホモフォビアあるいはヘテロセクシズムに取って代わる概念は「ヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)」である。すなわち、同性愛/異性愛の二元論によって異性愛から同性愛が分離され、互いに対立的な位置に配置されているが、それは両者が対等な関係に置かれているのではなく、むしろ異性愛という規範を生成するために同性愛を構成的外部として位置づけるだけのことである。したがって、問題にすべきは、こうした同性愛と異性愛を分けて配置する二元論的権力自体なのである。」
→「ホモフォビア」は個人の内面、「ヘテロセクシズム」は社会制度に焦点が当てられた概念であったわけだが、新たにポスト構造主義の影響を受けながら生まれた新たな研究領域である「クイア理論」では、われわれを取り巻いている文化に染み付いている「異性愛規範(ヘテロノーマティヴィティ)」に目を向ける。「ヘテロノーマティヴィティ」は「ヘテロセクシズム」の考えを一歩先に進めたものであり、「正しい性愛のあり方を異性愛に限定する」思想、つまり性愛の序列化に対抗するものである。いわば、社会構造上は同列であっても、文化として序列があれば意味がないということだ。
→また上記の内容は「同性愛/異性愛」という二項対立に関する内容である。つまり、異性愛は単独で特権的な地位を得ているのではなく、「同性愛」ではないという否定形で、つまり常に「同性愛」に依拠しながら、その特権を維持しているのである。これが「異性愛という規範を生成するために同性愛を構成的外部として位置づけるだけのこと」ということだ。そして注目すべきは「だけのこと」であることだ。つまり、ただある権力(力の勾配)が働いているだけで、それに必然性はないということだ。このように(戦略的に)議論を持っていくことで、異性愛規範の自明性と自然性を揺さぶるのである。

2 同性愛者、レズビアン/ゲイ、クイア
・「「クィア」というのは、英語で「変態」あるいは「オカマ」を侮蔑的に指し示す言葉であるが、レズビアンやゲイの当事者たちは、そうした侮蔑語をあえて自分たちを指す言葉として引き受けることで、「クィア」という言葉に歴史的に込められた否定的な意味合いやニュアンスを肯定的なものに転換していこうという意図をもって、自称として用いるようになった。」
→侮蔑語というのは差別者から被差別者に対して用いられるから侮蔑語なのである。そのように機能している侮蔑語を、あえて被差別者側が用いる、それが「クイア」を自称するということである。これは侮蔑語の機能を転倒し、それに伴う「異性愛/同性愛」の序列を揺さぶるという試みなのである。例えて言うならば、「この変態!」と言われるのに対して「変態ですが何か?」という態度を取り、相手をムッとさせるのである。

・「おおまかに言ってしまえば、欧米、とりわけ英語圏では、homosexual, そしてlesbianとgay, さらにqueerへという呼称使用に関する歴史的変遷があったと言ってよいだろう。」
→まず「ホモ・セクシュアル」は、1870年に行為ではなく人格としての「同性愛者」というカテゴリーによるものである。それは病理としての面が強かった。そうした社会から名付けられたものではなく、自ら権利主張をする者として「レズビアン/ゲイ」と自称を一新させた。これがまさに「アイデンティティ・ポリティクス」である。これは新しく場を設定して対抗する態度であるわけだが、新たな「クイア・ポリティクス」では、既存の序列を揺さぶる態度であるため、すでに劣位に置かれている「クイア」をあえて使い、それが持つ撹乱可能性に賭けているのである。

3 「クイア理論」の台頭
・「一人の人間の内部を通り過ぎるさまざまな線分をいかにして捉えるかを模索する理論がデ・ラウレティスの考える「クイア理論」なのである。」
→これは、これまでとりあげた「レズビアン(同性愛女性)」「黒人同性愛者」などのダブルマイノリティが持つ固有の問題についてどう考えるか、に関する話題である。また、この議論は「インター・セクショナリティ」の議論とつながる。自分なりの解釈であるが、アイデンティティに基づく運動であると先ほどのように「エスニック集団モデル」にならざるをえなくなり、一枚岩化する。このようにアイデンティティに基づくのではなく、「同性愛/異性愛」の序列化に焦点を変えるのがクィア的戦略であった。そのようにすると他のさまざまな序列化「黒人/白人」「労働者/資本家」「女性/男性」に関わるそれぞれの権力(力の勾配)との重ね合わせとして、ダブルマイノリティの固有の問題が考えられる。これが「一人の人間の内部を通り過ぎるさまざまな線分をいかにして捉えるか」であろう。また重要なことは単なる足し算ではなく、重なることによって足し算とは言い難い独特な経験、問題が発生していることである。つまり黒人女性の問題は、黒人の問題と女性の問題の足し算ではなく、二つが重なることで「黒人女性」という特有の問題が現れるのである。

4 深刻化するエイズ問題
・「クイアの文脈の一環としてポスト構造主義の思想が理論面で影響を与えたものとしてあげられるとしたら、エイズ問題は、まさに実践的課題をレズビアンやゲイのコミュニティに突きつけた。」
→まず、エイズとは「後天性免疫不全症候群」のことで、1980年代になって発見されたエイズウイルスの感染によって起こる疾患である。当時は治らない病気であったが、現在は症状である免疫力の低下を抑える薬が開発されている。
→特にアメリカのゲイを中心に爆発的に感染が拡大し、また国家の対応の遅さゆえ、ゲイコミュニティとしてどのように対応するかが問題になった。ただゲイのアイデンティティを持って対抗しても、こうした問題には対抗できないのである。社会学者の森山は「確かに、ゲイとしてのアイデンティティをしっかりと持てば、異性愛者からの抑圧を毅然と跳ね除けることが可能かもしれません。つまりゲイとしての自覚や誇りを持っても、そのことそのものがHIVの感染やエイズの発症を予防するはずがないのです。」(『LGBTを読み解く』p. 113)と表現したり、またクィア理論者イヴ・K・セジウィックは「結局のところ、この病気について、それも単純なアイデンティティの境界など歯牙るのは、厳密なゲイ一本槍の分析ではなく、クィア分析しかありません。」と語る。実際にAIDSアクティビズムとしては「ゲイの病としてのHIV /AIDSの支配的表象に反論し、共通する性的アイデンティティをもたないバラバラの集団に、セイファーセックス教育プログラムを開発して届けるための作戦を練った」。このように「リスク集団からリスク行為というように思考法に変化が起こったため、セクシュアリティが性的アイデンティティというより、性的行動として考え得直されるようになり、性的存在と性的行為間の重要な不一致が認められるようになった。」(スクリブナー思想史大事典「クィア理論」)こうしたところからも、アイデンティティに依拠しない形での運動へと代わっていったのがわかるだろう。

5 クイア・アイデンティティ
・「本質をそなえ一貫性を維持したものをアイデンティティとして理解するなら、「本質なきアイデンティティ」という言い方は、語義矛盾である。しかし、クイア理論家たちは、こうした矛盾を孕んだ曖昧さや不確定性といったものを、限界としてではなくむしろ肯定的に捉えている。」
→「本質」とは「核」のようなもので、別の言い方をすれば「これがないと自分ではない」という要素のことである。そしてそれは一生変わらないような一貫性を持っている、それが「アイデンティティ」という概念である。つまり「クィア」が示すのは「本質なきアイデンティティ」である。つまり自分の核の唯一性や一貫性のないアイデンティティのことのことである。これは先ほどの「アイデンティティ」概念の定義と矛盾している。ただ「矛盾を孕んだ曖昧さや不確定性」こそが、序列を揺るがす契機につながるのである。
→私なりの解釈だが、クィアな思考とは「一貫した主張Aに、他の一貫した主張Bを対抗させる」のではなく「一貫しているかのように見えるAに隠されている綻びを見つけ、Aであると決定さることを遅延させ、他の可能性をつくり出し続けること」である。
→なお矛盾型で表現しなくとも、新しいアイデンティティ観として「アイデンティティとは行為遂行的な蓄積物、またはプロセスである」と打ち出すこともできるだろう。


○他、気になった文

・「しかし、ホモファイル運動の保守性や規範に対して同調的である部分を、21世紀に入った現時点で批判することにそれほど重要性があるとも思われない。権力や規範に対する抵抗の可能性が、多くの場合、歴史的あるいは/そして文化的条件によって規定されることを考え合わせれば、むしろそうした時代の傾向がどのような条件下で生まれ、それはのちの時代にどのように引き継がれていくのか、あるいはのちの時代とどのように断絶しているのかを焦点化することのほうが意味あることなのではないだろうか。」(p. 15)
→河口は、セクシュアル・マイノリティの社会運動史を単なる断続するアップデートの物語としては理解しない。多くの抵抗のあり方は「歴史的あるいは/そして文化的条件によって規定されている」のであり、単に社会運動のあり方単体で批判できるものではないのである。また「マタシン協会」のホモファイル運動から、ゲイ解放運動の流れが顕著であるが、そこには単純に「不連続性」という転回が起きたと見ることはできないのである。集団的コミュニティの醸成という観点で言えば、「マタシン協会」から受け取ったものは多いのである。河口は「ホモファイル運動の担い手たちが解放主義的運動の担い手たちにくらべて保守的であったと言うことではなく、二つの運動における社会的コンテクストの違いがきわめて大きな意味を持っていたのである。」とまとめる。その時、その場でできる運動の可能性、生き延びるための抵抗の可能性は、各々で違ったかたちをとって当然なのである。

・「「寛容」とは、差異に価値を十分に与えることなく差異と表向きの共生を可能にするような差別の一形態なのである。」
→最近の日本の保守論壇では「寛容」を謳っているいるが、アントマンのこの指摘は、まさに「寛容」という言葉が差別の隠れ蓑として使われることへの批判である。「差異にもとづいたアイデンティティの承認を流す」「曖昧に丸く収めれてしまう」ことを「寛容」という口当たりのいい言葉で正当化してしまうのである。

・「クイア理論は、おもに思想、哲学、文学、映画批評など人文科学の領域で研究を押し進め、その成果を蓄積してきた。目指すべき研究対象が「ヘテロセクシズム」から「ヘテロノーマティヴィティ」にシフトしたことで、それを担う学問的ディ主プリンも変化したのだが、こうした変化は必ずしもアカデミズム内部の要因にすべて帰されるものでもないようだ。」(p. 53)
→現在クイア理論では、主に文芸批評、美術批評、表象文化論などの領域で議論がされている。それは、その理論的背景となるポスト構造主義とそれらの領域の親和性もあると思うが、河口が指摘するように、アカデミズムの外側の要因もある。それは資金問題である。財政の配分の関係で、社会科学にお金が回らず、在野でもかろうじて可能な人文学の分野でクイア理論は栄えたのである。これもまさに「権力や規範に対する抵抗の可能性が、多くの場合、歴史的あるいは/そして文化的条件によって規定される」ことの例であろう。ただ2024年現在、人文学的な知のあり方は危機に瀕している。そのときいかに「抵抗の可能性」を考えることができるのだろうか。これが最近私の考えていることである。

・「こうしてクイアのカテゴリーが既存のカテゴリーそれ自体を脱自然化することにかかわってきたのであれば、クイアそれ自体は基盤としての論理や一貫性のある性質をもつことはありえなくなる。」(p. 62)  
→クィア理論自体が、なにか自立して新たなテーゼを出すことはない。それはクィア理論の論の立て方の性質からしてないのである。クィア理論の態度は、先ほども言ったとおり「一貫しているかのように見えるAに隠されている綻びを見つけ、Aであると決定さることを遅延させ、他の可能性をつくり出し続けること」であり、既存のテクストや既存の制度に寄生し、それを読み換えるような運動を行うのである。これはまさに人文学の営みそのものであり、過去のテクストを読み換える運動なのである。

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