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遠い国の女の子と文通を始めました

最近始めたこと、もう1個。プラン・インターナショナルへの継続的な寄付を始めました。覚えておきたいから、ちゃんと書いておくことにする。

「私には遠い話」と思っていた、けれど

プランを知ったのは、電車の中吊り広告がきっかけだ。「遠い国の女の子の、私は親になりました」という広告。

といっても、その広告を見てすぐに「寄付しよう!」と思ったわけではない。ただ“親になる”という強い言葉が忘れられず、しばらくしてプランのHPを見に行った。途上国で困っている子どもたちがいることは知識として知っていたし、早すぎる結婚・出産で苦しむ少女が大勢いることもぼんやりと想像できていたけれど、実際に体に残った障碍に苛まれる少女の声はあまりにも辛くて、悲しくて。

それでも自分とは遠い世界の話だと思っていたし、当時の私に「寄付し続ける」という選択肢が浮かぶことはなかった。寄付って、裕福な人だけに許された特権だと思ってたから。

自分のために、“誰かのため”の何かをしたい

少し時が経って、わたしは30歳になった。周囲の友人・知人たちがどんどん結婚し、子育てしている人たちも増えてきた。一方わたしは、20代のころから変わらず、仕事と趣味に邁進する日々だ。結婚願望もなければ、子どもがほしいと思ったことも未だに一度もない。たぶん一生こうなんだろうな、と思っている。

「仕事が生きがい」と言い切る毎日は充実しているし、自分が携わった記事が人に読まれることにやりがいを見出しているけれど、それって全部「自分のため」だなと思って。家庭を持った友だちが自分の子どもにするように、あるいは自分の両親がわたしにしてくれたように、“自分より大切な誰かのために何かをする”という経験は、このままじゃ一生得られない。

だから、自分のために「誰かのための何か」をしたいと思った。この衝動に駆られたときに最初に思い出したのが、ずっと頭の片隅にこびりついて離れずにいた「遠い国の女の子の、私は親になりました」というフレーズだった。

改めてプランのHPを訪れ、詳細をきちんと読んでいく。1カ月に3,000円~で、「チャイルド」と呼ばれる特定の子どもと手紙のやり取りができることを知った。もう、こうなってくると「へー! 楽しそう!」というモード。その金額ならさして裕福じゃない自分でも苦にならない、なんなら使っていなかったサブスクサービスを解約すれば捻出できる。

「やってみようかな」と思ってから実際に申し込むまでは実際、新しいサブスクを選ぶかのような気軽さで進めていた。いつでも解約できるしな……と思ったのも大きい。

知らない世界で生きる女の子と出会いました

申込みをしてからしばらく経って、わたしとやり取りしてくれるチャイルドのプロフィールが送られてきた。インドに住む、5歳の女の子。聞いたことがない地域だったのですぐGoogleで検索したんだけど、日本語のWikipediaページはまだ存在しないみたい。

ちなみに彼女が話すのは「現地語」とだけ書かれていた。英語版Wikiを読み、多分これかな……と辿り着いたのは、これまた名前すら聞いたことのない言語。インドだからヒンディー語かと思ったら、国としての公用語がヒンディー語(と英語)なだけらしく、実際は州によって使っている言語や方言が大きく異なるらしい。知らなかったー! 「こんにちは」くらい彼女が使う言葉で伝えたいなと思ってGoogle翻訳しようとしたら、Googleに「そんな言葉はありません」と言われるなど。ちょっとモヤモヤ。

「どこ?」「何語?」と疑問ずくめで始まった、ほんっとうに知らない世界の、まったく知らない子とのやり取り。たぶん向こうにとっても、東京はあまりに遠い存在だろうと思う。

プロフィールには、カラフルな服に身を包み、こちらを睨めつけるような表情の写真が添えられていた。見慣れないカメラを不審に感じたかな、知らない人に送る写真だからそりゃ緊張するよな、それでもお気に入りの服とか選んでくれたのかな。

単純なもので、そんなことを思いながら彼女の写真やプロフィールを眺めていたら、とたんに会ったことのない彼女に愛着がわいてしまって。お返しに用意した自撮り写真に写った自分は、我ながら驚くほどやさしい表情をしていた。

プランでの手紙を通じたやり取りは、最長で、チャイルドが18歳になるまで続く。だからもしかしたら、ここから13年、彼女と手紙越しの関係が続くのかもしれない。13年後、わたしは何をしているだろうね。わからないけど、「こういう大人になりたい」って少しでも思ってもらえるよう、がんばらなきゃと思ったりする。

彼女にはちゃんと両親がいて、きっと愛されて育っているから、会ったことのないわたしは“親”にはなれない。でも、“遠くから応援しているおねえさん”くらいにはなれるかな。なれたらいいな。

あくまで自分のための行動、だけど

プランはインスタやTwitterにも同内容の広告を出しているが、そこには「女の子しか救わないの? 女尊男卑?」とか「日本国内に目を向けるべきでは?」というコメントも目立つ。

でも個人的には、こうした批判はナンセンスだと思っていて。男の子を助けたい人、国内の子どもたちを救いたい人は、別の方法を選べばいいだけだ。ちなみにプランでは男の子の支援も行っているし、国内で貧困にあえぐ子どもを支援するNPOは少なからず存在している。プランが正義だと思って続ける行動に違和感があるならば、自分が「これこそ本当の善である」と信ずる方法を取ればいいだけのこと。

果ては「早すぎる結婚というけど、それはその国の文化なのでは?」というコメントも見たけど、いくら伝統的な文化であっても、子どもの心身を傷つけるような風習はなくすべきだと思う。

少なくともわたしは、あの広告が忘れられなかったし、国外で懸命に生きる少女たちのことを知りたいと思った。だからほかの団体(同じように手紙のやり取りをさせてくれる団体もある)ではなく、プランを選んだ。

プランでは申し込みにあたり、チャイルドの居住地域と性別、および手紙を日本語・英語のどちらで受け取るか(どこまで翻訳してもらうか)が選べる。選ばないこともできたんだけど、私は「アジアに住む女の子」とした。今は見当もつかないけれど、ひょっとしていつか会いに行きたくなったとき、アジアなら踏み切りやすいかなと思ったから。

手紙の受け取りを英語にしたのは、英語を使う機会がほしかったから。先日出した初めての手紙は、推敲にChatGPTを試したりとかして、これがま~~素直に勉強になる。早く次の手紙を書きたいから、返事がめちゃくちゃ楽しみ。

ね、どこまでも自分本位でしょ。高尚な理由なんか全然ない、一から十までわたし自身のために始めた寄付。けれどその先に、わたしとやり取りしてくれる少女が笑顔でいてくれたらいいなぁという思いはすでに生じている。この気持ちがこれからどんなふうに変化していくのか、楽しみでもあるのだ。

【追記 2023/05/24】
Twitterで「そんな無責任な気持ちで里親にならないで。このnoteも消して。気に障ったらごめんね」って言われたんだけど、全然里親じゃないです!!! どこを読んで里親制度の話だと思ったんだ!!! 気には障らなかったけど、読み返してもわからない!!!

無責任なのは百も承知で、「それでも始めてみたし、自分の気持ちもちょっとずつ変化してきた」という経過報告だけの記事でした。なので無責任と思う人はもっと崇高かつ立派な意志のもと、なにか別の支援を見つければいいと思う。

この記事は、自分が寄付に対してどう考えているかの定点観測にしたいと思っていて。多分またそのうち更新します。

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