映画感想文「あちらにいる鬼」どうしようもない魅力的な男を巡る2人の女の物語
女であることが不自由である。
昭和は、そんな時代だった。
専業主婦が大多数。夫に黙って従い、不満があっても我慢して家庭に尽くす。
そんな母親をみてモヤモヤを抱いていたのは、私だけではないだろう。
この作品は、そんな昭和を生きた作家井上光晴とその妻笙子、そして先日99歳で亡くなった瀬戸内寂聴の三角関係を描いた実話だ。しかも作者は作家の実の娘である。
何人も愛人を作り、果てには身重の妻に自殺未遂した不倫相手の対応を押し付ける。
嘘付きで、我が儘で、子供っぽくて。どうしようもないダメ男をトヨエツが色気ダダモレで演じ、ナイスキャスティング。
屈託のないおおらかさ、世の中に対する真っ直ぐな正義感。そんなものが、欠点だらけのこの男をやけに魅力的に魅せている。
そして、妻がいると知りながら関係を持つ、瀬戸内寂聴。でも7年の不倫の末、わかっちゃいたけど煩悩に苦しむ自らをもて甘し、51歳で出家という道を選ぶ。
(女であることが歓迎されない歌舞伎の家に第一子として生まれ、だからこそ女であることを武器に女優業を極める、寺島しのぶが熱演)
後に出家の理由を問われた寂聴は「更年期だったから」と答えたそうだが、これはシンプルかつ非常に示唆に富んだ回答だと、わかりみが深い。
更に、元国語教師というキャリアを持ち、夫の小説の代筆もこなしていたという才媛、そのうえ料理上手で家事も完璧だった妻笙子。
夫の女性関係にも動じず、淡々と家庭を守る。自分を殺して生きていたように見える彼女の揺れ動く心の機微を、広末涼子が好演。
時間潰しに観た作品だったが、思いがけず素晴らしく、その後原作を読み悟ったこと。
寂聴を描いたようでいて、本当の主人公は妻笙子であった。
父も母も亡き後、この本を起こさざるを得なかった娘、井上荒野の心情を思い、泣けた。
隠れた名作。映画も本もおすすめ(特に昭和を生きた母を持つ娘には)。
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