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コロナ禍の花嫁たちの友達

私は今年、32歳になる女性です。コロナ禍が、世間で言われている結婚適齢期であり出産適齢期の当事者です。私自身が結婚したのは、コロナ前だったので、結婚式もハネムーンも影響を受けていません。出産は、コロナ禍で立ち会いは禁止されましたが、無事、第一子を出産し、今に至ります。

コロナ禍でも順調な周囲の結婚

コロナの影響を受けて、結婚数が減っているとか出産数が減っているとかニュースで報道されることもありますが、私の周りではそんなことはありません。コロナ禍に多くの友人が結婚し、出産しています。コロナに後押しされてなのか、もともとそのつもりだったのか、コロナ前に二人が出会っていたから対象外なのか、よく分かりませんが、統計上の数字はどこまでも統計上の話です。少なくとも私の周りでは、順調に結婚したり出産したりしている友達が多いです。

順調にいかないのは結婚式?!

しかし、結婚や出産は、個人の自由な活動として影響を受けていないものの、結婚式は、かなり影響を受けている印象です。どうやら個人の自由な活動と社会の自粛要請がぶつかる第一前線に花嫁は立たされているようです。今回は、コロナ禍に6回の結婚式の招待を受けた経験と葛藤と学びを書かせていただきます。

価値観と向き合うことになった結婚式の出欠

結婚式は、結婚する二人のお家とお家が結びつく、社会的承認の場。その人の人生において大切な門出。お祝いの席に招待される事自体、ありがたい事だと思っています。

私自身が挙げた結婚式の経験では、遠方だったということもあるのか、招待したうち何人かの友達には参加を断られています。仕事や家庭の事情ということで、あまりよく覚えていませんが、残念で少し寂しかった感情だけは今でもよく覚えています。
そして、妊娠中にも関わらず遠方から駆けつけてくれた友達や結婚式のダブルヒッターで遅刻して駆けつけてくれた友達もいて、とても嬉しかったことも今でも鮮明に覚えています。
そして、私は、その時、自分の結婚式に来てくれた友達の結婚式に招待されたら、必ず出席すると心に決めたこともよく覚えています。

感謝の誓いと思考停止

自分の結婚式に来てくれた感謝から、「あなたの結婚式にも必ず行く」という誓いは、悪くいうと、ギブアンドテイクの発想であり、思考停止。
私は人間関係の原則だと思っていましたが、コロナ禍において、立ち止まって考えさせられました。



結婚式に参列しない選択肢

自分の結婚式に来てもらったのに、相手の結婚式には呼ばれてもいかないなんて、不義理な人間だ。
私は、すぐこんな主張をしたがるのですが、30代にもなれば、環境は変わり、妊娠や育児している場合もあります。家庭の事情で結婚式に参加できないこともあるでしょう。経験上、理由が何であれ結婚式に来てもらえないのは寂しい。けれど、それを責めても何も始まらない。自分の価値観で、判断し、行動する。その結果、相手がどんな価値観でどんな受け取り方をしてどう行動するか。人間関係は、この双方の作用の繰り返しなのです。

コロナがややこしくする結婚式の参列の判断

妊娠や育児に加えて、コロナ禍は、自粛という社会や会社からの要請があり、それも加味して判断することになります。自分は、結婚式に行けるのか、行きたいのか、行っていいのか。感染環境の問題から同居する配偶者の考えや配偶者の会社の考えまで配慮を巡らせる必要があります。緊急事態宣言が出ているとかいないとか、蔓延防止措置が出ているとかいないとか慣れない指標も増えます。専門家の意見も人によって全然違います。

私は、「自分の結婚式に来てくれた人だから行く!」という一択でしたが、周囲の人は様々な判断を下していました。それで、私はようやく自分の思考停止に気が付いて、まずいな、と焦りました。

結婚式の政治的判断

そもそも参列者も悩むが、もっと悩むはずなのは、結婚式の主催者だろう。自分のお祝いごとにこんな社会情勢の下、健康リスクをおかしてまで大切な人たちを式に招待をしていいものか。

結婚式を二度延期をした友達が二人もいる。
一方で、その間に、リスクをとって結婚式を開催した友達もそれ以上にいた。
主催する人も大変だ。

そして、結婚式が終わり次第、妊娠していく友達達…。

私は、すごく複雑な想いをしました。

社会の要請を聞き入れ、参列者を思いやるがゆえに自分の結婚式を延期した人たちが、バカを見ていないかと。

延期した二人の友達には、共通点がある。
それは、真面目思いやりがあって、いつも皆の事を考える優しい子なのだ。
だからといって、開催に踏み切った友達が、思いやりがないわけではないから、難しいのだけど…。

でも、そこで、私はやっと気が付きました。

これは政治なんだと。

結婚式を主催する側も、自分の想い価値観で実施や招待者を判断確定する。
結婚式に招待される側も、自分の想い価値観で出欠の可否を判断確定する。

主催する側も参列する側も、相手にどう思われるか気にして判断を鈍らせずに、ちゃんと意思表示して、その判断はお互いに尊重されるべきなのだ。
あるいは、うまくやりたいなら、うまく相手に根回しして相手に快く決断を促したり、受け入れてもらうのだ。

コロナ禍でも、主催者が自分の結婚式に人を招待するのも自由だが、それを断る選択肢も全然自由だ。
むしろ、コロナ禍において、招待された側の不参加の意思表示で、「支持しない」というと言い過ぎだが、暗に社会的なメッセージを送る事だってできる。

結婚式の参列を断ることで、人間関係にヒビが入るとしたら、それはそれまでの関係なのだ。
今は平時でなく有事一人一人が自分の生き方や命を大切にする時なのです

私の出した答え

私は、この未曾有の感染者爆発の史上最多の感染者数を更新する中、友達の結婚式の参加を行くと決断し続けた。夫の理解があってのことなので、私だけではなし得なかったけれど、最大限、私の価値観を支持してくれた夫には感謝しかない。

私の価値観の決め手は、やはり単純に相手の笑顔が見たかった事と末永いお付き合いをこれからもしたかったことだ。
参列を断ったとしても、友情にヒビが入るとは思わなかったが、それでも、お祝いの場に駆けつけて祝福することは、私にとって意味のある行為だった。

結婚式を主催する友達は、本音で話してくれた。こんな時代でも、結婚式の延期をしないのは、はやく子どもが欲しく妊活したいからだと。
だったら、家族婚にすれば、こちらは悩まずにすむと言いそうになったが、友達を自分の結婚式に呼びたいという気持ちはわかるから言わないでおいた。それは、私のエゴの押し付けで、相手を困らせてしまう。結婚式を済ませて子どもがいる私が言うセリフではない。

私は乳幼児を抱えて、遠方に住んでいる。コロナ禍の結婚式を断ることもできたが、やっぱり断らなかったのは、私の生き方だ。友達のエゴでも、ワガママでも、一生で一度の花嫁姿で参列をお願いされるなら、結婚式くらい駆けつけるよ。

だって、今まで学生時代から散々、私のエゴやワガママに付き合ってくれたじゃないの。お互い様だよ。

心からそう思います。

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