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海外に住むということ #3

今日は3回目にして、少し海外在住者っぽいことを書いてみようと思います。
題して「海外に住むということ」


1回目の記事、2回目の記事に実は書き手の紹介として海外在住歴を書いています。以下、それです↓

<書き手の自己紹介>
201X年よりとある大学院でお天気の研究をしていました。今の奥さんである彼女と2020年に出会い、その彼女がカナダ🇨🇦に行くことが決まっていたので一緒に行くことを決意。それから2021年7月〜2023年5月まではVictoria🇨🇦、2023年5月からSan Jose🇺🇸に在住。2023年後期のYMS🇬🇧にも当選しており、そのうちイギリスにも行くかも。

さかなばさんのnote

大雑把に言って、北アメリカ大陸の西海岸に3年間くらい住んでいるといった感じです。もっともアメリカとカナダではだいぶ違いますが、何が違うかは追々のネタとして。。。(覚えていられるかわからないけど)


さて、今から当然のことを書きます

”海外に住むということは日本と住むのとは訳が違う”


うん、当然ですよね。ただ具体的に何が違うのかというのが気になるポイントでしょうか。
皆さんの頭の中に思い浮かぶものは何でしょうか?

物価?言語?交通ルール?建物?
そうですね、色々なものが日本とは違います。所変わればなんちゃらというやつです。ただ本質的に違うのはなんなのでしょうか?

そう問われれば、恐らく”物の見方とか価値観”と言ったものになると思います。育ってきた環境という前提条件がだいぶ違うので、当然と言えましょう。
日本の中でも、北海道で生まれた人、大阪で生まれた人、沖縄で生まれた人、東京で生まれた人で多少違いますし、東京生まれのさかなばさんとしては、神奈川で生まれた人、埼玉で生まれた人とも若干の違いを感じることがあります。例えば渋谷や六本木に特別感を特に感じないとか。昔から知っている場所で行き慣れた場所ですから、渋谷に行くからこうしなきゃとか六本木に行くからお洒落しなきゃとか、そんな感覚は皆無です。…いや、俺たち私たちもそんな感覚持ってねーわ!という方がいたら申し訳ないっす。

”日本と海外の”物の見方とか価値観の話に戻します。
さて、海外の方々との感覚の差を感じる場面とはなんなのか。個人的に思うのは”仕事に対する考え方”でしょうか。

まず、仕事の残業。基本的に月0時間です。残業をすることは美徳とされません。頑張った証ではなく、仕事が遅いという証にすらなりかねない勢い。かなり厳しい感覚を持っています。残業したくないから店がCloseの時間より早く閉まるなんてことはザラです。
経営者側の目線で考えても、残業時間分はお給料が1.5倍になるし、下手したら裁判沙汰になります。残業させてもいいことがありません。

そして”自分の仕事”の捉え方。日本は”何でも屋さん”が重宝される傾向にあると感じています。なんでも屋さんにならなくても、自分の関わりのある仕事は把握しといた方が楽だからと言って、自分の仕事でないことも積極的に覚えようとする方もいるように思います。
しかし、こちらでは”Specialist”が重宝されます。それ故、大学の「専攻」が重視されます。どういった「肩書き」で働いたかが重視されます。
そのような感じだから、会社も人をあっさりとクビにするわけです。下手したら部署丸ごとグビにする感じ。だって、会社のこれからの事業に不要なSpecialistは要らないから。単純です。日本は”何でも屋さん”がたくさんいるから、少なくとも部署ごとクビということは出来ないはず。だって他の部署に行ってもらっても”何でも屋さん”だから出来ちゃう。部署を潰すことがあっても、わざわざ人員削減する必要がないですよね。金銭的に余裕があればですが。。。


仕事の価値観を例にして日本と海外の違いを言ってきたわけですが、恐らく海外に住んでいる人はそういった何かしらを想像ではなく”実感”しているはず。この実感こそが「海外に住むということ」の正体だと思います。。
これまた当然なのですが、海外という場にいるわけですから”リアル”なわけですよね。目の前に姿を表しているわけです。


たまに「海外に住むこと」はチャレンジだ!という方がいるわけです。
いや、それは間違ってないと思いますよ。ただし、初めて海外に移り住むというタイミングの人だけの話だと思うのです。なぜか。

先ほど「海外に住むということ」は何かしらの”違い”の実感を持つこと、というようなことを書きました。
そしてチャレンジということは何かしらの課題があってそれの解決に挑むことだと思うのですが、「何かしらの”違い”の実感」というものは解決しなければならないものなのでしょうか?多分違いますよね。

つまり何が言いたいって「海外に住むということ自体はチャレンジにならない」ということです。ただ「海外に住んでいる」からといって何か自分が成長したということにはなりません。自分が成長するとしたら、その何かしらの実感を持ち、それにアジャストしようとした時にするのだと思います。別に英語とかコミニュケーションの取り方以外でも、何かしらのアジャストをしようとした時に成長しているのかなというのが個人的考え。


「海外に住むということ」とは何かしらの”違い”の実感を持つこと。
それだけではなんともならない

よし頑張るぞ!と思ったこのタイミングで、自分の中にしっかりと持っておきたいと思います。


なんかもっとポップでわかりやすい話になるかと思ったのに、なんかよくわからない小難しそうに見える話をした気もしますが、これこそさかなばさんのnoteのタイトル「ご放念くださいませ」の本懐といったところでしょう笑


<書き手の自己紹介>
201X年よりとある大学院でお天気の研究をしていました。今の奥さんである彼女と2020年に出会い、その彼女がカナダ🇨🇦に行くことが決まっていたので一緒に行くことを決意。それから2021年7月〜2023年5月まではVictoria🇨🇦、2023年5月からSan Jose🇺🇸に在住。2023年後期のYMS🇬🇧にも当選しており、そのうちイギリスにも行くかも。

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Canada在住のさかなばです♪時間ができたら、カナダのお菓子や小物を紹介したいなと思っています!