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前十字靭帯断裂したまま、競技を続けていました

初めての長期離脱

高校生の時のお話です。。。
1学年上の先輩の卒業式の後、
いつもと変わらず、部活動がありました。
2007年3月1日。
寂しい気持ちと、次は3年生だからしっかりしないと
っていう気持ちが頭の中にあり
少し浮ついた気持ちで練習に取り組んでました。

(怪我をするときってやっぱり、そういう時。。)

3塁ベースからホームベースを経由して
1塁ベースまでダッシュして
3塁ベースにいる人から送球されるボールを捕球する
という様々な動作を絡めた、
ボール回しをしてたんですが、
3塁から走って、1塁ベース到着時に、
なぜか、"ぴょん"とジャンプして着地…。
3塁からのボールは、
正面から逸れた私の体の右側に
ショートバウンドで送球されてきました。
ジャンプして着地した足は、ロックされているので
足首から上体を動かすことはできず、
自由のきく膝から動き…
バンッ!
…その直後、
これまで経験したことのない激しい痛みと、
過去の出来事・思い描く未来の姿が走馬灯のように
頭の中で映像化されてました。
・県大会でピッチャーマウンドにいる姿
・U19の選考会の思い出 
  →世界大会出場どうなるかな
・高校ラストイヤー
・クラスで友達と談笑してる光景  etc...
我に返り気付いた時には、
立てず、歩けず、、激痛。
マネージャーにおんぶをしてもらい、グランド外へ。

そこから、1ヶ月は松葉杖生活となり、
ソフトボール、部活動を長期間離れることになりました。

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運命の診断結果…

足首の捻挫や、
ピッチングのブラッシングがうまくいかず
肘がパンパンに腫れたりする怪我の経験はあったけど、
松葉杖つくのは人生で初めてだったし、
周りにも大きな怪我をしている人をみたことがなかったので、
大きな怪我をした。
という感覚が全くなかったです。

後日、病院へ行き、MRIを撮り、
先生からいわれたのは
「右膝前十時靭帯断裂です、
 手術が必須で、競技復帰には半年〜1年です」
ということでした。

・・・いやいや、待って。
今年卒業で、学生最後やん?
インターハイに出るためにやってきたよ?
6月には、U19世界選手権も出場決まっとる…
手術なんてしたら…何にも出れない。。
後悔したくない…

いろんな方からの意見を押し切って
私が決断した答えは
① 断裂したまま、テーピングで患部を固定しながら競技を続行する
② 手術は、夏が終わってから行う

競技復帰、そして気づいたこと。。。

病院の先生方や学校の先生・チームメイト、
代表チームスタッフの方々、家族のバックアップのおかげで、
怪我をした翌月の4月末に競技復帰出来ました。

県大会は準優勝だったので、インターハイ出場は叶わず…
残すは、6月の世界大会。。
日本代表チームのトレーナーさん、ヘッドコーチをはじめスタッフの方々、
そして、チーム最年少だったので、年上の先輩方には
その時にもたくさん迷惑を…。。



"靭帯断裂したままでも競技を続ける!"
この私の決断は、
今考えるとなかなかあり得ない…。
怪我に対しての知識が全くなかったこと、
周りの大人の方たちの意見を聞かず
自分本位で決断してしまったこと、
振り返れば反省点はたくさんあります。

しかし、この経験をしたから、
周りや影で支えてくださる方々のおかげで生活出来ている。
っていうのをすごく感じました。
何ごとも一人じゃ出来ない。
周りの支えがあって成り立つ。。。

この有り難さや重要性は
当時17歳の私はあまり感じられていなかったかな…
歳を重ねるごとに感じています。。

今の経験・知識をふまえて、当時の自分に伝えたい事は
もっと長い目で自分の選手生命を考えなさい。
周りの方にどれだけ迷惑や心配をかけることになるか考えなさい。
それでも決断するのであれば、
"覚悟"を持って取り組みなさい。
この3つを言いたいな。


8月に手術を行い、翌年3月末に無事競技復帰しました。
復帰して、新たなスタート!でしたが、
選手生活は、この膝のおかげで色んなことを学べました。

それについては
また今後に記していこうかな…✨

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最後までありがとうございました。

#部活の思い出 #ソフトボール #膝の怪我 #前十字靭帯 #手術 #学生時代  

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