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アラフォーの私がなぜ単身フランスへ?

ボンジュール、皆さま。
訪れてくださってありがとうございます!
今日は海外で働いたことは疎か、留学も短期滞在すらしたことのない37歳の私がなぜ単身、フランスへ行くことに決めたのか?についてお話ししたいと思います。

理由は単純、一緒に働いてみたい人、やってみたいお仕事を見つけたからです。
今思い返しても、私の人生と暮らしは完全にお仕事中心にくるくる廻っていたように思います。

前回のお話の通り、転職に焦り出した頃、少し前から気になっていた設計事務所が日本での業務拡大に伴い、日本窓口担当者を募集していたのです。
電車内で何となく見ていたSNSでこの求人を発見、そのタイミングの良さに「おー!」と内心叫び、内容を読むと「勤務地はパリっ!」と声が出ました in JR中央線。主な条件は、

・日本語ネイティブ、英語または仏語上級スキル
・設計建築事務所か、その関連での勤務経験(海外経験尚良し)
・パリ在住、あるいは住むことができる人

私が当てはまっていたのは、「日本語ネイティブ、(ビザを発給してくれたら)パリに住むことができる」だけでした。これだけでは普通なら応募しませんよね…。

この時期になると、パリではいたるところで満開の藤の花(la glycine)が街並みを優しく彩ります。

あらゆる条件未満の私が応募できた理由
ここで皆さまに告白しますが、私の語学レベルは当時、英語は簡単な日常会話ができるかな?という程度、フランス語に至っては、挨拶と「ラディッション シルヴプレ(お勘定お願いします!)」と「ピュ○ン!(前職のフランス人同僚の口癖)」くらい。「え!フランス企業のPRを10年もやっていたのに?」と思われたかもしれません。幸か不幸か、日本支社の仏人ボスや同僚は日本語ペラペラ、本社や香港支社とのやり取りは英語、しかもほぼメールのみだったので業務に支障はなかったのです。今思えば、恵まれた環境にいながら勿体無かったのですが、学ぶ余裕がなかったのも事実です。30代は少しずつ必要になった英語をマイペースに勉強していましたが、常に語学苦手のコンプレックスの塊でした。

足りない点ばかりでも応募しようと思えたのは、“身軽”だったことがポジティブに影響したのでしょう。きっと自分の一存だけで行動できるアラフォーは少数派ですよね。

当時の私は独身で彼もおらず(常に絶賛募集中だったのに彼氏いない歴○年…今も独身)阿佐ヶ谷で賃貸ひとり暮らし、家族と言えば両親は健康、姉妹も家庭を持ち幸せに暮らしていました。まさに、私の渡仏を遮る人や事柄は何もなかったのです。その状況こそが、私の意志を後押ししてくれました。受かりさえすれば、すぐにでも渡仏できるこの瞬間に応募しない手はない、落ちたところで、就活を続ければ良いのです。失うものは何もない、と。

パリ植物園(Jardin des plantes)のポピー(le coquelicot)も満開。

でも、今は思うのです。もし、この時、私に覚悟や意志がなかったら、きっと些細な言い訳を見つけては応募しない理由にしていました。既に心の奥の方にボッと点火された想いが、現実の捉え方を自分で変えていたのだと思います。

というわけで、37歳にして初、英語でモチベーションレターとCV、ポートフォリオを用意し、面接後に3ヶ月の試用期間のチャンスを得たのが始まり。フランスで働きたかったわけでも、パリに住みたかったわけでもありません。携わってみたかったお仕事の勤務地がたまたまパリでした。

パリ生活日記じゃないの?とそろそろ読むのを止めようと思っている方、ごめんなさい!次回から、いよいよ(やっと?)こちらでの暮らしを綴っていきます。
2023年5月7日
さぁや、パリ。

パレロワイヤルのチューリップも満開!

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