同期で、友達としても仲が良かった人と付き合って結婚。 でも私の悪事をきっかけに離婚。 たった1年の結婚生活。 「なんで結婚したの?」と聞かれるが、答えは「”結婚”と結婚したかった」 28,29歳の女子の夢。 ただそれだけ。 でもこの出来事を通してたくさんのことを教えてくれた。 最大の味方は家族 ピンチなときに助けてくれる友達こそ本当の友達 教育の洗脳に人生の大半は流されていること 自分を愛さねば、相手を愛せないこと 許すことが最大の愛 最後は自分で決断する勇気を持つ
専門学校を卒業し、無事国家試験も合格し社会人になった。 今までは、お金も自由も時間もなかったため、 3年目ぐらいまで欲望が一気に爆発して散財した。 一方で勉強会や研修にも積極的に参加し知識、技術に切磋琢磨した。 4年目の春頃、可愛がってくれた先輩が退職し、その後任を任された。 が、5年目に先輩や上司と関係が悪化。 ちょうどその頃、父方の祖父の体調が悪く、家族総出で介護にあたった。 それを機に在宅や終末期医療に興味を持ち、その職場を退職した。 終末期を主とした新しい職
専門学校では、「集団の中での個人戦」。 高校から、またさらに全く違った価値観を持つ人ばかりが集まった。 医療系の専門学校は、大学みたいに甘くない。 朝から晩まで、机と向き合ったり、実技の練習をしたり忙しかった。 また2時間かけて通学し、体力的にきつく精神的にも尖っていた。 というのも、自分自身を受け入れてもらえないことが多かった。 今まで「自由気ままに、アホで楽しく」をモットーにしていた自分にとって、どうしたらいいのか悩んだ。 10代で一度立ち止まった時期だった。
高校では、「集団」生活だった。 高校では、地元から離れ全く違った価値観を持つ子ばかり。 ここでもスポーツ女子だった私は、 新たにカッコイイ部活をしたいと思いダンス部に入部した。 かわいい先輩、かっこいい先輩もいた。が、「部内ルール」が厳しかった。 半年もすると、厳しい先輩たちは卒部。 間の2年生がいなかったため、なんと1年生の私がキャプテンになった。 もちろん「部内ルール」なんてなくなる。 ただメンバーもだらけてしまい、収集がつかなくなった。 ダメダメなキャプテン
小中学校は「スポーツ」中心の生活だった 小学低学年までプール、少年野球、くもん、習字、ピアノと習い事に挑戦し カッコいいスポーツがしたいとはじめて自ら志願して ミニバスケットボールクラブに入団した 厳しい先生のもとで、練習も楽しくて夢中だった バスケットを初めて3年目に、私がキャプテンになった。 しかし今まで先輩たちがいたチームと違い 驚くほど連携がとれず、弱小チームになってしまった。 先生に怒られることが多くなり、あの1年はすごく嫌になった。 振り返れば、、 ・私
関西生まれ関西育ち 兄一人の二人兄妹 母は看護師 父は鉄工所の作業員 祖父母の家で二世帯住宅として同居していた 祖父の庭で植物や庭道具で遊んだり いらない野菜をおもちゃにしてままごとをしたり 仲良くダンゴムシと遊んだり 祖父母の影響で音楽に触れる機会も多かったり お経を読んだり、書字練習をしたり 近所の家の犬と仲良くなりそのお家に上がらせてもらったり あと3歳の頃から保育所に預けられていたが、 兄の幼稚園の制服姿に憧れ駄々をこねて幼稚園に入れてもらった。 プールに入
今年で31歳。女性、バツあり独身。 私は約10年間理学療法士をして働き、 そして今年、医療業界から一度遠ざかることを決意。 それと同時に、死ぬまでに必ず行きたいと願っていた 「アウシュビッツ」へ行くことを決意。 そして最高の旅から帰国して現在に至る。 今までの私をChapter1。 これからの私がChapter2。 感情を素直に出して、もっと自分を好きになりたい。 苦手な言語化にトライして、もっと自分を磨きたい。 自分の道は自分で決める。一歩ずつ丁寧に。 小さな小