sniç beksa(スニックベクサ)

since 10.Nov 2022 My records is…

sniç beksa(スニックベクサ)

since 10.Nov 2022 My records is…

最近の記事

#6結婚・離婚

同期で、友達としても仲が良かった人と付き合って結婚。 でも私の悪事をきっかけに離婚。 たった1年の結婚生活。 「なんで結婚したの?」と聞かれるが、答えは「”結婚”と結婚したかった」 28,29歳の女子の夢。 ただそれだけ。 でもこの出来事を通してたくさんのことを教えてくれた。 最大の味方は家族 ピンチなときに助けてくれる友達こそ本当の友達 教育の洗脳に人生の大半は流されていること 自分を愛さねば、相手を愛せないこと 許すことが最大の愛 最後は自分で決断する勇気を持つ

    • #5社会人-紆余曲折-

      専門学校を卒業し、無事国家試験も合格し社会人になった。 今までは、お金も自由も時間もなかったため、 3年目ぐらいまで欲望が一気に爆発して散財した。 一方で勉強会や研修にも積極的に参加し知識、技術に切磋琢磨した。 4年目の春頃、可愛がってくれた先輩が退職し、その後任を任された。 が、5年目に先輩や上司と関係が悪化。 ちょうどその頃、父方の祖父の体調が悪く、家族総出で介護にあたった。 それを機に在宅や終末期医療に興味を持ち、その職場を退職した。 終末期を主とした新しい職

      • #4学生時代 -専門学校-

        専門学校では、「集団の中での個人戦」。 高校から、またさらに全く違った価値観を持つ人ばかりが集まった。 医療系の専門学校は、大学みたいに甘くない。 朝から晩まで、机と向き合ったり、実技の練習をしたり忙しかった。 また2時間かけて通学し、体力的にきつく精神的にも尖っていた。 というのも、自分自身を受け入れてもらえないことが多かった。 今まで「自由気ままに、アホで楽しく」をモットーにしていた自分にとって、どうしたらいいのか悩んだ。 10代で一度立ち止まった時期だった。

        • #3学生時代 -高校生-

          高校では、「集団」生活だった。 高校では、地元から離れ全く違った価値観を持つ子ばかり。 ここでもスポーツ女子だった私は、 新たにカッコイイ部活をしたいと思いダンス部に入部した。 かわいい先輩、かっこいい先輩もいた。が、「部内ルール」が厳しかった。 半年もすると、厳しい先輩たちは卒部。 間の2年生がいなかったため、なんと1年生の私がキャプテンになった。 もちろん「部内ルール」なんてなくなる。 ただメンバーもだらけてしまい、収集がつかなくなった。 ダメダメなキャプテン

          #2学生時代 -小中学生-

          小中学校は「スポーツ」中心の生活だった 小学低学年までプール、少年野球、くもん、習字、ピアノと習い事に挑戦し カッコいいスポーツがしたいとはじめて自ら志願して ミニバスケットボールクラブに入団した 厳しい先生のもとで、練習も楽しくて夢中だった バスケットを初めて3年目に、私がキャプテンになった。 しかし今まで先輩たちがいたチームと違い 驚くほど連携がとれず、弱小チームになってしまった。 先生に怒られることが多くなり、あの1年はすごく嫌になった。 振り返れば、、 ・私

          #2学生時代 -小中学生-

          #1幼少期 -自由奔放なわんぱく娘-

          関西生まれ関西育ち 兄一人の二人兄妹 母は看護師 父は鉄工所の作業員 祖父母の家で二世帯住宅として同居していた 祖父の庭で植物や庭道具で遊んだり いらない野菜をおもちゃにしてままごとをしたり 仲良くダンゴムシと遊んだり 祖父母の影響で音楽に触れる機会も多かったり お経を読んだり、書字練習をしたり 近所の家の犬と仲良くなりそのお家に上がらせてもらったり あと3歳の頃から保育所に預けられていたが、 兄の幼稚園の制服姿に憧れ駄々をこねて幼稚園に入れてもらった。 プールに入

          #1幼少期 -自由奔放なわんぱく娘-

          はじめまして

          今年で31歳。女性、バツあり独身。 私は約10年間理学療法士をして働き、 そして今年、医療業界から一度遠ざかることを決意。 それと同時に、死ぬまでに必ず行きたいと願っていた 「アウシュビッツ」へ行くことを決意。 そして最高の旅から帰国して現在に至る。 今までの私をChapter1。 これからの私がChapter2。 感情を素直に出して、もっと自分を好きになりたい。 苦手な言語化にトライして、もっと自分を磨きたい。 自分の道は自分で決める。一歩ずつ丁寧に。 小さな小