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未婚・子なし35歳女のリアルな心の内

昨日は、noteでいろんな人の記事を読んでいた。

私が進みたい分野で独立して頑張っている女性の記事もいくつか読んだが、面白いほど共通していることがあることに気づいた。

それは、パートナー(主に夫)や子供について言及していることだ。

彼らとどれだけ良好な関係を築けているかということ、彼らに対してどれだけ感謝をしているかということが、必ず書かれていたのだ。

彼女らのサクセスストーリーにわたしはとても共感・共鳴し、ワクワクしながら読み進めていたのに、そのくだりになった途端に、少しガッカリというか、しゅんとした気持ちになってしまう。

それはなぜなのか。
ちょっと箇条書きで書きなぐってみる。

  • あ、やっぱり素敵な人には素敵な相手がいるのね

  • 女性は、素敵なパートナーがいて、子供を産んでいることが前提なのか

  • 女性は仕事ができても、家族がいないと不十分ってことか?

  • てか仕事で活躍している話の中に、プライベートの話いれる必要あった?

  • 女性として憧れる対象になるためには、”素敵な男性に選ばれる”ことが重要ってことか

  • 自分の名前で売っていくうえでは、いかに自分が素敵な人であるかをアピールしなくてはならないから、プライベートもキラキラしている(させている)必要があるのかな

まあ、少なからず嫉妬のような感情も入っているのだと思う。

自分が独身で、これといった相手もおらずフラフラしていて、子供を生む予定も一切ないから、そう思うんだろう。

別に、わたしはそれが悪いことだとも、脱却したいとも思っていないが。

わたしの世代だと、未だに、「結婚しているマウント」「子供いるマウント」を取ったり、感じたりすることがとても多いようだ。

やはり女性の中で、今も、「素敵なパートナーとかわいい子どもがいる」というステータスが、とても高い優先度で憧れの対象として残り続けているのは確かである。

わたし自身、もうそのマウントを感じなくなるほど、その幸せのかたちを手放し始め、憧れることもほぼなくなったと思っていた。

しかし、同じような状況で頑張っていて、まるで仲間を見つけたかのような心強さを感じさせてくれた女性たちに、「わたしはあなたとは違いますよ」と突き放されたような気がして、勝手に悲しくなっている。

結局は、未婚・子なしコンプレックスからまだ自分を解き放てていないということなのだろうか。

いや、モヤモヤの正体はそれだけではない。

仕事の話の中で、なぜプライベートの話を出さなければならないのか?ということもある。

やはりそれが、「仕事人としてだけじゃなくて、女性(=ちゃんと男性に選ばれ女性の幸せも諦めない)としても優秀な人間ですよ」と言っているように感じるのだ。

それが、まるで「女性として憧れられるための最低条件」のように。

なんだか、彼女たちからも、「私は”未婚・子なし”から抜け出しましたよ!女性として完璧でしょ!」みたいなマウントを感じてしまうのだ。

結局マウント感じてるんかい!!笑

う~~~ん、これもただのこじらせ女の被害妄想のようにも見えてしまうな……なんか情けない……

でも、わたしは、別に女性だからといって、決まったパートナーがいて、結婚して、子供を持つことだけが正解だとは思わない。

もちろん、それが最良だと思う人がいて良いと思うし、そうしたい人はそうすれば良い。

わたしは、それに当てはまらないだけだ。

わたしは、そういうことにとらわれずに、好きに生きていきたいし、そうすればいい。

自分がやりたいことを、やりたいようにやれば、それが一番幸せだと思う。

結婚したければすればいいし、子供を産みたくて、産むことが叶うなら産めばいいと思う。

でも、一生結婚せずに恋愛の楽しいところだけを楽しむのも良いと思うし、子供を持たなくても良いと思う。産まなくても、養子縁組で子供を育てるというのも魅力的だ。

もっと自由でいいんだ。わたしは。

なんだか自分で自分を慰めるような記事になってしまった。笑

いや、別に落ち込んでない。自分のスタンスを改めて認識しただけ。



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