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その自信、イリュージョンかもしれません。

こんにちは。
心理カウンセラー・メンタルコーチのSayaです。

昨日の記事では、「自信とは、予測可能性のこと」だと書きました。
今日、それとは違うアプローチで自信について書く前に、もう一つ
予測可能性という観点で分かりやすい例えを挙げたいと思います。


あなたが一人で、初めていく場所に観光に来ているとします。
たくさん歩いてヘトヘトなので、座ってゆっくりできる場所を探しています。

しばらく歩くと、スタバが見えてきました。しかしあなたは考えます。
スタバは好きだけど、せっかくならここにしかないお店に入ろうかな…
そう考えた時、地元の老舗っぽい喫茶店も見えました。

でも、その喫茶店は窓にブラインドがかかっていて、中の様子が見えません。入口のドアにも小さい窓がついているのですが、曇りガラスになっていて、中にどんなお客さんやスタッフさんがいるのか、どんなインテリアなのかも不明です。

もうヘトヘトなので、スマホで口コミを調べる気力もない。

あなたならどうしますか?

きっと、地元の喫茶店に入ってみようと思われる方もいると思いますが、
スタバに入るという人のほうが多いのではないでしょうか?

なぜなら品質が明瞭だからです。

スタバは全国どこに行っても、スタッフさんの接客が丁寧で心地よい。
そして店内は、くつろげるソファのような席もあれば、作業や勉強ができる席も用意されています。また、よほどのことがない限り清潔で、たばこのにおいもしません。

もちろん、ものすごく混んでいたり、座った席の近くに騒がしい人がいたと、くつろげないこともあるけれど…
とりあえずスタバの店内を覗いて混み具合を確認してみよう…

といったところでしょうか。

この「品質が明瞭」というのも、予測可能性の中にはいります。

ここで何を強調したいかというと、
この、品質の予測可能性というのは、「絶え間ない努力」によって維持されているということです。

何十回行っても、心地よいサービスを受けることができたという信頼感。
これによって予測可能性が生まれます。

しかしこの「絶え間ない努力」というのは、同時に「持続可能な努力」である必要もあります。全国のどの店舗においても再現性がないと成り立たないからですね。

これは、個人にも当てはまるんです。
「自信がない」と言う方のほとんどは、この「持続可能な努力」と言う観点が抜け落ちているように思えてなりません。

叶わぬ恋愛ばかりを続けて、「恋愛に自信がない」
なんだかすごそうなことに挑戦して、なかなか結果が出ず、「自信が持てません…」

思い返してみてください。
スタバに入るときに「私は心地よい接客を受ける自信がある!」なんて思いませんよね。
「そうなる」と意識にすら昇らないレベルで信じている。これが自信です。

これを読んでくださっている方の中にもしも
「自信が欲しい」「どうやったら自信が持てるんだろう」と思っておられる方がいらしたらまず、
何か特別な結果を求めるのではなく、持続可能な「当たり前」を大切にしてみてください。

恋愛であれば、まずはとにかく異性に慣れることから。
仕事や目標であれば、「誰でもできること」を「誰よりも上手にできるように」頑張ってみましょう。


イリュージョン的な自信は、持つべきか否か

前置きがかなり長くなってしまいました。
やっとこの記事での本題に入ります…

タイトルにつけたイリュージョンとはなんなのか。

イリュージョン=幻想、ですね。

以前の記事でポジティブイリュージョンについて書いたことがありました。
ポジティブイリュージョンとは簡単に言うと「自分が思っている自分の価値が高すぎること」を指します。


海外に住んだ経験がある方や、外資系企業に勤めたことがある方からよくお聞きするのは、
「日本人は自分の経験をベースとして徐々に自信をつけていくのに対して、アメリカなど自己主張が是とされる文化圏の方は、やったことがないことでも”できる”と言ったり、自信満々に間違った答えを主張したりする。」
ということです。

私も外資系企業で働いたことがあるので、これにはかなり身に覚えがあります。

このように、ポジティブイリュージョンが語られる際に、文化の違いは欠かせません。


これまでの日本では、謙遜が美徳とされてきました。
褒められても「いえいえ」と否定したり、自信満々に振舞わない態度が奥ゆかしくて美しいとされ、何よりも人間関係が円滑になったんですね。

それに対して、自己主張が是とされる文化圏では、「できる」という態度がかっこいいのです。それだけでなく、自分を主張しないと、自分の権利を奪われてしまう可能性すらあります。
だから、日本人からすると「何を根拠に?」と思うほどに、自信があるように見える態度をとるということなんです。

でも、だからといって、彼らの全員が自信があるかというと、そうでもありません。そういう態度が美徳とされる文化圏にいるから、「そういう態度になる」というトリックがあるんですね。


それでは、態度だけではなく本当にポジティブイリュージョンがある(自分が思っている自分の価値が高すぎる)場合をどう捉えたらよいのでしょうか。

結論から言うと、努力が伴うのであればOKなこともあるが、
「自信がある!」ことにあぐらをかくのであればNGということです。

自信があるとはっきりと自覚している状態では
自分が結果を出せるよりもずっとレベルが上の物事に躊躇なく飛び込み、大けがをしてしまう可能性が大きいからなんですね。

ポジティブイリュージョンは、高慢さにつながるのかもしれません。

ここで「イリュージョン的な自信は、持つべきか否か」という問いかけに立ち返ります。
私は、イリュージョンに限らず、「自信はなくてもいい」と思っています。

なぜなら、
自信がないから、準備を怠らないし
自信がないから、確認を怠らない。
自信がないから、当たり前の努力を続けられます。

自信があるとかないとか、正直どうでもいいのでは。。。と思うほどです。
「自分の目標を達成し、責任を果たすことに集中する」これが一番大切なことだからです。

必要なのは、自己信頼。


自己信頼とは、泉から湧き出る水のような、そこはかとない自分への信頼感。「この先何があっても、きっと自分なら対処できるだろう」と思える力のことです。

自己信頼については、過去にも下記の記事で少し触れてきたのですが、


どうやって、その自己信頼を育んでいけばよいのか、次回以降の記事でお伝えしたいと思います。


最後までお読みいただいてありがとうございます^^












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