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完璧主義と自己受容の関係

こんにちは。
心理カウンセラー・メンタルコーチのSayaです。


あなたは、このような完璧主義に悩んでいる、ということはありますか?


具体的には
・他者の至らないところが許せない
・自分の努力を認めてあげられない
・婚活しているが、相手の嫌な所ばかりに目がいき、好きになれない
・物事に白黒つけないと気が済まない
・最初は「これだ!」と思ってはじめたことも、粗がみえてきて嫌になってしまう
・自分より上を仰ぎ見ては、自分の至らなさに落ち込み、自分より下を見ては、見下したり、怒りがわいたりする。


。。。


なぜこのようなことが起こるのでしょうか。


完璧主義とひとことで言っても、
単にその人の生まれつきの性質(才能)で、細かいところに気が付きやすく、平均的な人よりも五感が敏感で、分析や細かい作業が好きで得意な人もいます。

そのことにより自分が恩恵を受けているのなら、もちろん問題と捉える必要はないと思います。


ただし、いびつな完璧主義により、最初に述べたような困ったことが発生する場合があるのはなぜなのでしょうか。


私がこれまでの自分自身を振り返ったり、
クライアントさんのお話を聴いていて感じてきたことは…
完璧主義の原因として、自己受容ができていないことが挙げられる、ということです。


自己受容とは、「どんな自分も、これが自分だから」と思える感覚で、いわゆる自己肯定感と同義です。

小さいころに大切にしていたぬいぐるみや、
愛用していたブランケットに感じていたような「愛着」をイメージして頂けるとよいかもしれません。

使い古してほころんでいても、「これでいい。これがいい。」と思える感覚を、自分に感じることが自己受容です。


この自己受容ができていない場合、自己イメージが不安定になります。


自己イメージが不安定な状態とは、具体的には
・一番良い状態の自分しか「自分」だと思いたくない。あるいは、自分はもっと素敵な人間だと思いたい
・何か少しでも「できないこと」や「人より劣っていること」を自分の中に見つけてしまうと、「自分はダメだ」「何もできない」などと自分を無価値だと判断をする
・そうかと思えば、人に称賛されたりすると「自分はすごい」と全能感のようなものを持ったり、「この人は自分のことをわかってる!」というように他者からの評価に一喜一憂する

このような状態です。


それではどうすればよいのか。


今回のテーマである「いびつな完璧主義」だけでなく、
人生における精神的な苦しみが解決して(気にならなくなって)いく段階というものがあります。

その段階とは 「自己洞察→自己受容→自己決定→自己信頼」 です。

・自己洞察は、自分をジャッジせずに観察して理解していくプロセスです。

・自己洞察をしていく過程で、自己受容ができるようになります。
使い古したブランケットのように、自分に対する愛着を抱き、「どんな自分でも、これが自分だから」と思える段階です。

・その次は自己決定です。
本物の自己決定ができるようになると、褒められたい、世間に認められたい、他者に負けたくない、という動機ではなく、純粋に自分が喜ぶことを選べるようになっていきます。

また、他者の問題を受け取らない決定を下すことができるので、人間関係に振り回されないようになり、仮にその渦中にいたとしても気にならなくなります。

・自己信頼の段階では、「わたしには力がある」という感覚を得られるようになります。
権力、つまりフォースという意味での力ではなく、泉から湧き出る水のような、そこはかとない信頼感です。
ここまで来るとイージーモードです。


人生は、何歳になっても自己洞察が基本であるとつくづく思います。

嫌な気持ちになったとき、その理由は必ず自分の中にあるからです。


次回の記事で、自己洞察を行う方法について書かせていただきますね。


最後までお読み頂き、ありがとうございます(^^)

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