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オマージュ

DXについての講義などを多少させていただく自分ですが、現代にあって自分だけで生み出す知識などというのは当然ながらほぼ皆無なので、私が話すことは誰かの言ったことのパクリであるという自覚が常にあります。

なので、「別に私に依頼しなくても誰が話してもいいんじゃないかなぁ…」とよく感じていました。

ところが、最近読んだ本に書いてあったことを読んで「お、自分がやってるのはこれだよ。」と思うことが。

「先人のつくり上げたものを、敬意を持って学び、その方法やエッセンスを真似しながらも、そこに自分なりのアイデアを加えて、新しいものとして生み出すときに現れる現象です。これが「オマージュとして盗む」です。オマージュはフランス語で「 hommage」と綴り、 ①尊敬の気持ちを表したもの、敬意 ②ほめたたえるもの、賛辞、献辞、を意味します。」

—『降りてくる思考法 世界一クレイジーでクリエイティブな問題解決スキル』江上 隆夫著https://a.co/aRs7nhw

私がやっていたことは「オマージュ」だったんだと思うと同時に、自分の中にある知識を定着させるという行為は、誰かの知識を借りつつも、それを自分の経験と混ぜながら知見として自分の中に貯めているということであって、ある意味それはオリジナリティがあると言えなくもないのかもしれない。
学ぶ(真似ぶ)という行為はそういうものだし、だからこそ色々な人と会ったり、多くの場面で経験を積むという行為が貴重なんだろうと思いました。

そして、「この人尊敬できるなぁ」と思う人は必ずこれをやっていて、その人がすごく知名度が高い方だったとしても例外なく「偉ぶったところが欠片もない」というのは、常に先人たちや自分が持っていない何かを持っている人に敬意を持って対応するからなのかもしれません。

一方で、誰かの話をそのままオウム返しのように言うだけのくせに、さも自分のもののように言う人に自分が嫌悪感を抱いていた理由もわかった気がしました。

人への敬意は常に大事にしたいですね。