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13. 牧野さんとロールスロイス /純喫茶リリー

雨漏りしそうなボロい小さな一軒家。
その家の前には、似つかわしくないロールスロイスがよく停められていた。ぼろ家にロールスロイス。
なかなかのコントラストだ。コントラストが効きすぎている。
リリーの隣の牧野さんの家だ。

牧野さんの家には駐車場がないから、いつも家の前に路上駐車していた。
リリーの建物も牧野さんの家もどちらも小さいから、両方の家に跨って停まっていた。

ある時、テレビでビートたけしのロールスロイスが映った時、あ、あの車だ!と律子は牧野さんの車を思い出していた。
車の鼻先に、変わった形の鳥がついていたから間違いない。
やはりあれは高級車だったのだ。
律子は牧野さんの車を見るたびに、鼻先の鳥をポキっと折って、自分のものにしてしまいたいという衝動に駆られた。だが、律子はその車には触ることさえしなかった。

なぜかというと、牧野のおじさんはヤクザという噂だったからだ。

もし車に傷でもつけたら、律子はコンクリートで固められて海に沈められて殺される!とガチで思っていた。
まだ子供の律子でも、ヤクザはヤバいということは十分理解していた。
これは律子のママが家でサスペンスや刑事ドラマばかり見ていたからだと思う。
サスペンスは当時の律子にとってはホラーだったのだ。

牧野のおばさんは、ちょっとまるい体型だけど、べっぴんさんだった。髪の毛がもともと薄茶色で、外国人みたいに目鼻立ちくっきり。綺麗だけどなぜか服は小汚かった。
髪の毛は茶色くてパサパサ。
いつも薄汚れた白いTシャツの上に、これまた薄汚れた淡いピンクのタオル生地のワンピースを着ていた。とてもオシャレとは言えなかった。
牧野さんの娘もかわいくて、律子より2つくらい年下で、細くて小さい色素の薄いきれいな子だった。

ある日、牧野のおばさんがリリーでコーヒーを飲みながら、
「今からうちに遊びにおいでー」と律子を誘った。
律子は牧野のおばさんと話すのが苦手だった。
もともと人見知りだからすごく嫌だった。
が、牧野さんの家は怖かったので、断れずに遊びに行った。

牧野さんの家は玄関を開けたらすぐに居間だった。玄関を入ったらすぐにテレビがあったのだ。
そのテレビで映画の「ジョーズ」を見させられた。

律子はニュースも怖くて見られない子供だった。交通事故のニュースで事故後の道路に血が映るだけで、怖くてチャンネルを変えるほどの臆病な子供だった。
そんな律子が、ジョーズなどという恐ろしい映画を見たいわけがない。
見たくないと嫌がったが、おばさんは「大丈夫大丈夫、怖くないってーハハハ!」と笑い飛ばし、律子はおばさんから逃げることも怖くて見るしかなかった。
「子供にこんなものを見せるなんて、この鬼ババァ!」
と叫びたかったが、心の中でしか叫べなかった。

でも、その居間でジョーズを最初から見ていたのが、牧野さんの娘ゆりちゃんだ。律子より2つも年下の女の子が、平気な顔でジョーズを見ているではないか。負けず嫌いの律子はビビりながらも平気なフリをして最後まで見るしかなかった。

おかげでその日以来、家で一人で留守番するのも、一人でお風呂に入るのも、電気を消して寝るのも怖くてしかたがなかった。本当に怖かったのだ。何をやってもそこからサメが出てきて食われるのではないかと想像してしまう。
トイレに座っている時、突然水の中から大きな口が現れるとか、歯を磨いていると洗面台の水の中からガブッと…。

そんなことがあるわけない!と思いながらも、もしも油断した瞬間に本当にそんなことが起きたらどうしよう、と心の中で葛藤していた。
もちろん、そんな不安をママに打ち明ける勇気はなかった。

牧野のおばさんは、律子がこんなに苦しんでいることも知らずに、あのヤクザと笑っているんだろう。
やっぱりあの人は苦手だと律子は思った。


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