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『ダブリンの鐘つきカビ人間』観劇の記録〜この物語はハッピーエンドか、バッドエンドか?〜

発表された時からずっと楽しみにしていた『ダブリンの鐘つきカビ人間』を遂に先日観劇!!



チラシビジュアルを見た時から気になっていた「愛はいつも間違う」。単純なハッピーエンドではなさそうな匂いがプンプン(笑)

実際に観劇したのち余韻に浸りながら、物語を振り返ってみると、登場人物の視点によって結末の見え感が変わることに気がついた。

今回は、そのあたりをもう少し自分なりに掘り下げて、『ダブリンの鐘つきカビ人間』観劇の記録にしたいなと思い、このnoteに認めることにした!


※以降ネタバレ含む。
※1度のみの観劇で記憶を頼りに書いているため、セリフのニュアンス等が違っている可能性がある。また見落としている要素もあると思う。ご容赦ください。


深い霧で迷子になった聡と真奈美が辿り着いたのはとある老人の家。真奈美が霧の中で聞いた歌の話から老人の昔話が始まり、真奈美と聡はいつの間にか物語の世界に入り込んでいく。

冒頭でも書いた、登場人物によって見え方が変わる結末について、改めて考えてみる。


カビ人間とおさえ

カビ人間(七五三掛龍也)は、奇病により、昔の記憶も昔の美しい容姿も失った。体をカビで醜い容姿となり、触れたものを腐らせてしまうようになった。
その一方で人格は、奇病による醜い容姿や奇病になる前の歪んだ心からは想像もつかないほど、純粋無垢なものになった。劇中では「心は水晶のように美しい」と言っていたっけ。
でも、心がいくら純粋で美しくなっても、以前の歪んだ心と現在の醜い姿のせいで、カビ人間に積極的に近づこうとする者はおらず、避けられ蔑まれていた。

おさえ(伊原六花)は奇病により、思っていることと反対のことしか言えなくなった娘。伝えたい想いと真逆の言葉ばかりが出てしまう。

2人が出会った時、おさえはカビ人間のことを恐れて、カビ人間を遠ざけようとしていた。
でも口から出るのは、真逆だからカビ人間に好意があるような言葉ばかり出てしまい、「違う違う」と言うかのように慌てていた。

それがカビ人間に心を開いて以降は、本心は好意を抱いているのに、口から出るのはひどい言葉。

お互いの心が通った雨のシーン以降、カビ人間に対して、反対の言葉を言ってしまった後の、おさえの反応が変わったように見えた。なんだろう「今のは違う違う」の慌て方がなんだか違うような?


そんな中、街の教会が放火されるという事件が起き、カビ人間は放火犯に仕立て上げられた。

カビ人間の討伐に向かっていく民衆に対して、おさえは本音ではやめて欲しいと思っているのに口から出るのは「殺せ」、「地獄に堕ちろ」など、民衆を煽る言葉ばかり。

その結果、カビ人間を追い詰めていく。

おさえの本音を感じ取ったお父さんに「それ以上は喋るな」と言われても、おさえは喋ることをやめなかった。必死に伝えたいおさえの本音。

その時のおさえの表情、口調からも必死さが伝わってきて。

本音と反対の言葉しか出ないというのは頭ではわかっていても、想いが溢れて止まらない。でも実際に口から出るのは想いとは真逆な言葉。どんなに頑張っても、暴徒化した住民たちに自分の本心がなかなか伝わらない。それどころか自分の言葉で住民を煽り、大切な存在のカビ人間を追い詰め、カビ人間は撃たれた。

クライマックスの時、鐘つき塔の上に立ったおさえが言い放った「奇跡なんて糞食らえ、ポーグマホーン!!!」は、あまりに悲痛な叫びだった。


結果的におさえとカビ人間は亡くなり、おさえを1000人目の犠牲者として数えたポーグマホーンが奇跡を起こして街は救われた。

カビ人間とおさえ、聡と真奈美の4人で歌声が重なる、クライマックス後のシーンでは、カビ人間とおさえは手を取り合い触れ合えるようになっていた。

それは現実世界では叶えることができないまま終わったけれど、あの世では叶えることができたということなのかな。
カビ人間とおさえにとっては救いのあるエンドだったと言えそう。

聡と真奈美

物語の世界に迷い込んでしまった聡(吉澤閑也)と真奈美(加藤梨里香)。

お互いの言動に呆れ、苛立ったりしてしょっちゅう口喧嘩。でも途中で互いを見捨てることはなくて。物語の最後まで2人で一緒に見届けた。
いつの間にかすれ違った2人の心は、ダブリンの物語を経験したことで、再び結ばれていた。

カビ人間とおさえの結末を見届け、無事にダブリンの街の物語の世界から戻って、さあ、これからまた二人でともに未来を作っていこう、めでたしめでたし、このカップルはハッピーエンド!!

…となるはずだった。
それが最後の老人の語りのシーンで全身血まみれの聡と真奈美が倒れてくる。老人に殺されたと考えられる。

道に迷わなければ…
旅行自体をキャンセルしていれば…殺されることはなかったはず。

そもそもいくら予約していたからといっても旅行をキャンセルしたってよかった。でもそうしなかったのは、二人とも心のどこかにはお互いのことを想う気持ちが残っていたのかも。(少なくとも聡は劇中でも未練タラタラなのが明らかだったので、本心ではずっと別れたくなかったんだろうなとは思う。)

殺されたことはバッドエンドだけど、
きっと物語を経験しなければ、命は助かっても2人の心は2度と結ばれず、すれ違ったまま別れることになる。

殺された後に倒れてきた際、聡が真奈美を抱きしめたような状態だったのは、2人がもう一度結ばれた証じゃないかな。

だからこそ、聡と真奈美の心が再びちゃんと結ばれたという点ではある種のハッピーエンドなのかも。

(少し余談だけど、カビ人間とおさえが死んだ後の世界線で、ポーグマホーンの剣が老人の家にあったこと・老人がすでに不死であったことを考えると、もう老人の家に迷い込んだ時点で、二人の死は遅かれ早かれ決まっていたのかもしれないとも思ったりして。)


最後の血まみれで倒れてきたシーンの衝撃は凄かったが、最後の最後に互いの愛をちゃんと感じられたんだなと思うと、観ていてグッとくるものがあった。

ジジイと戦士

おさえの父、ジジイ(中村梅雀)。おさえのフィアンセの戦士(入野自由)。
2人とも、他の住民たちとは少し異なる存在だったと思う。
噂話に飲み込まれた住民たちとは違って、この2人は自分が実際に見聞きしたこと、感じたことを大切にして物事の本質を見ようとし続けた人たちだった。

ジジイがカビ人間と2人きりで話をしていたシーンや、戦士が真奈美と剣を交えたことで自身が神父に騙されていたのだと気づくシーンは、他の住民たちとジジイ&戦士の対比が感じられた。

その対比はクライマックスのシーンでも顕著に出た。

戦士が神父を倒したあと、おさえは戦士の手からポーグマホーンを奪い、鐘つき塔の上で、奪ったポーグマホーンを自らに刺した。戦士は愛するおさえを助けたかったはずなのに。

ジジイも娘のことを本当に大事に想っていた。反対の言葉しか言えない娘の考えに精一杯耳を傾けていた。それに感情が爆発してどんどんひどい言葉を言って状況を悪化させてしまう娘や、それを聞いて行動する住民たちを何度も止めようとした。

それなのに、戦士や住民たちの目の前で戦士・聡・真奈美の3人で見つけたポーグマホーンで自ら散ったおさえ。

奇病が治ったと喜ぶ住民たちの中で、2人だって奇病は治っただろうに、そんなこと気にも止めず、大切な人を失った悲しみに暮れていた。

ジジイと戦士にとってこの物語はバッドエンドだ。

ダブリンの街の住民たち

人によって症状は違うが(鳥がやたら止まる、羽が生えた、やたら大きな目玉がついた、亀の甲羅がついたなど…etc.)、住民はそれぞれ奇病の症状に悩まされていた。

そんな住民たちは、噂で流れてきた真実ではない情報を真実だと思い込み、カビ人間を共通の敵として倒そうと団結する。

その後カビ人間とおさえが死んで、ポーグマホーンの奇跡が起き、奇病が治ったことに純粋に喜ぶ姿。本当に嬉しそうだった。

人々にとっては奇病によって不自由になった生活から解放されて元通りになったことはハッピーエンドだろう。

ただ、その近くで大切なおさえを失って悲しむジジイと戦士の姿がある。

でもその姿に住民は見向きもしない。ジジイや戦士が悲しむ姿なんて、まるで視界に入っていないように見えて。
ただひたすらに自分たちの奇病が治ったことだけを喜び合う。住民たちにとってはハッピーエンドだ。

ジジイと戦士の悲しみと対照的な住民たちのあまりの喜びように、だんだん住民たちが滑稽であまりに残酷に思えてきて、何とも言えない気持ちになった。



市長/老人

ダブリンの街の市長をしていた頃の老人(松尾貴史)は「死にたくない、生きたい」と願っていたのに、ストーリーテラーとして現れた老人は、死ぬことを願う。

神父(コング桑田)から「Saint Stephen's Dayのお昼の鐘が鳴る時市長は死ぬだろう」という予言された市長。

その予言は奇病から来たものとされ、市長も「なんで自分の奇病の症状だけ死ぬんだ」と奇病のせいにしていたが、果たしてその予言は本物の予言だったのか?

神父の胡散臭さもたいがいで、なんだか得体の知れないというか、どこか真意が見えない人のようだったから、嘘の可能性もあったかも?と思う。

でも市長は完全にその予言を信じ込み、自分の死を回避するため、カビ人間を敵に仕立て上げ、神父と結託して住民たちを扇動していく。

「まだ死にたくない」その一心で。

聡と真奈美が見たポーグマホーンの奇跡が起きた時。あの時は確かに、市長はSaint Stephen's Dayのお昼の鐘が聞こえても死なずに済んだことを喜んでいた。
住民たちと同様にその時点では、市長にとってもハッピーエンドだったに違いない。

それが最後には、死んだ人の名前を挙げて「もうすぐその人たちの跡を追う」と言い出して、死を願っていた。

…はて?

ポーグマホーンの剣はこの老人の家にあり、冒頭と最後のシーンで流れるラジオ放送の声はニュアンスしか聞き取れなかったけど、多くの人(900ぐらいかな?)が行方不明的な感じだった。

聡と真奈美がこの老人の家で死んでいて老人に引きずられていったこと、最後の最後で再び聡と真奈美のような森への迷い人の声が流れてきたのを考えると、

この老人、ポーグマホーンの剣の次の奇跡を自ら起こして死のうとしている?そのために森の迷い人を物語の世界に連れ込み最終的には…?

そしてそれを何度もループするかのように繰り返し続けている。

あんなにも生きたいと願っていたはずなのに、不死になったという結末。それは老人になった市長にとってはバッドエンドだったのか。

最後に

ダブリンの街に奇跡は起きたけれど、それは人によってハッピーエンドでもあり、バッドエンドでもあり。

注目する視点によって色んな見方ができて、今回の『ダブリンの鐘つきカビ人間』は何度も見たくなる素敵な作品だったな。

またいつか、もう一度再演や円盤化でこの作品を見られる日が来てほしいな。
そう願って、『ダブリンの鐘つきカビ人間』の観劇記録これにて終了!

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